10月上旬


警察の中でも、「豊里の誘拐事件は警察の失態の結果、引き起こされたものである」との認識が広がったため、瑞穂の命が狙われている件について、今後は本腰を入れて対応しようとしていた。そして、名村兄妹全面協力の元、瑞穂と大和周りの出来事を真剣に調査し、秋津家の警備体制を強化する、といった行動を見せた。そうして人間達が歩み寄ろうとする姿勢を見せてきたため、瑞穂達もそれに応えて真実をしっかりと伝えよう、としていた時だった。
ネット上に複数の動画が公開され、全世界に混乱が広がる。
――――とある男が、『代表者』と『守護者』に言及した動画を投稿した。自分は間近でその二人を見てきて、本人たちからも話を聞いていた、と前置きをする。『この世界のどこかで、世界最大規模のテロを企てている連中が存在する。全国の"先天性髪質異常症"患者は、各国の"代表者"であり、本人の預かり知らぬところで任意で選出された、言葉の通り"代表"なんだ。"代表者"は、人体実験を施された結果、体内に感染性の非常に高い"殺人ウイルス"を内包していて、生まれてからずっと保菌している状態だ。コロナや、人喰いバクテリアなんて非じゃない。その証拠が、"先天性髪質異常症"として体外に現れている。"代表者"の加齢が進み、特定の条件下に晒されると、体内物質の分泌量変化により、体内に留まっていたウイルスが体外排菌を開始する。―――その特定の条件、というのは不明なんだがね。だが、その排菌までに"代表者"が死んだ場合は、持ち主と一緒にウイルスも死滅するらしいんだ。』そして守護者についても触れていた。『軍服の奴は、通称"守護者"だ。彼らの役目は、来たる日まで、"代表者"を"護衛"すること。軍服の奴も、もしかすると人体実験の結果生まれた化け物かもしれない。』そして軍服の男の証拠VTR映像が流される。その動きは人間のそれではなく。また、怪我をしても数日で元通りになる経過写真等も撮影されていた。首の数字については、『どういう仕組みかはわからないが』と前置きをして、残りの"代表者の数"を指し示していることを述べる。『各国の"守護者"は今現在も、皆、首元に同じ数字を浮かべていることだろう。―――…いいか。もう一度言う。このまま"代表者"を野放しにしていれば、やがて人類は滅ぼされる。』そして最後に言い放った。『"代表者"を"殺さなければ"、世界中にウイルスがまき散らされ―――やがて人類は滅亡するだろう。』
――――そして、別の動画。先ほどの動画とは、語る人も、内容も、まったく別のものだった。そして何より、"先天性髪質異常症"の張本人であった。『神が我々に試練を与えています。私の傍らにいる軍服の彼は"守護者"といい、神の遣いで…人ではありません。神は長年、私達人類の行いを嘆いておられていたようです。各国に一人ずついる"代表者"を生贄に差し出すことで―――…神はお許ししてくださるとのことです。"代表者"は皆、"先天性髪質異常症"を患っています。…私は、周りの大切な人、そして人類のため―――命を差し出します。』映像の中では、代表者の女性が座り込み、祈るように手を合わせて目を瞑ると―――守護者が女性の額に銃口を突き付け、引き金を引く様子が記録されていた。
――――そして更に別の動画では。『"守護者"を語る人物は、人間ではありません。―――もしかしたら、我々人類にとって、「死神」のような存在かもしれない。…何故なら、人類滅亡を企てる一派なのだから。』この男も、守護者が人外の動きをする動画や、怪我が短期間で忽ち完治する様子の写真を載せていた。『彼らは、"代表者"を守るフリをして、危険に晒している。』

「―――…やられたな…。」秋津家の瑞穂の部屋。瑞穂、豊里、大和の3人で動画を見ていた時。大和が苦虫を嚙み潰したような顔で呟いた。瑞穂と豊里も、顔色を悪くしている。「これ…なんかヤバくない…?」瑞穂の問いに、大和ははっきりと答えた。「ヤバいぞ。」
――――「…大和くんの言っていた通りになったな。」「…うん。」同時刻。名村兄妹は、7月上旬、秋津家で大和と話した会話の内容を思い出していた。
――――「…それに、代表者の数を減らす方法はそれだけじゃないしな。」大和の発言に、名村兄妹が見る。「そもそも、守護者が殺し屋なんかの人間を利用したとして、たった1年で、190以上もの代表者達を虱潰しに探して殺すなんて、あまりにも非現実的だ。だからこそ4月のチャーター機なんて手段も取ったのかもしれないが…。それよりもずっと、もっと効率的な方法がある。"世間を利用する"ことだ。」「…おいおいまさか…、」「あぁ。このネット社会だ。それを利用しない手立ては無いだろう。真実を織り交ぜながら、代表者と守護者の存在に疑念を抱かせるような投稿なり動画なりを流して、『代表者を殺す』ように差し向ける。そうすれば自ら動くことなく、不特定多数の人間達に代表者を殺させることが出来る。…しかも、居場所を突き止められなかった代表者がいたとして、周囲の人間の反応から炙り出すことも可能だしな。」
――――「…その時が来た、ってわけか…。」「虎視眈々と狙っていたわけね。このタイミングを…。」動画の内容は、少しやりすぎな気もしていた。1つ1つの動画の証言は、それぞれが突飛で非現実的であり、『正常な人間』が見たとして、信じることなどあり得ないような内容ばかりだ。だがそのどれもが、虚実が織り交ざっていること、似たような共通点があることで、真実味を増しているようにも見えた。こんな馬鹿な話、と切り捨てるには、これまであまりにも色々な事が起こり過ぎた。7月に流された軽い噂に加え、今年に入ってから世界各地で起こっている守護者と代表者の事件。先日の豊里の一件も、ニュースやネットで密かに騒がれ始めていた。おそらく他の国でも同様の事態が発生しているのかもしれない。そんなタイミングでの、この動画。意図的としか思えなかった。二つ目の動画も、おそらくその内、実際に遺体が発見されることだろう。そうすればより信憑性が上がり、世の中の『代表者を殺すべきだ』と言う風潮は高まることになる。世間が混乱の渦に巻き込まれるのは間違いなかった。「…」名村兄は立ち上がると、外出の準備を始めた。「…どうするの?」「…とにかく、瑞穂ちゃんの身が危険だ。すぐに対処しなきゃならない。」そうして名村兄は家を後にするのだった。

その数時間後。秋津家に、名村兄と警察の面々が訪れていた。事前に連絡を貰っていた瑞穂と大和が出迎え、その後ろでは両親と豊里が心配そうに見ている。玄関前からでも、何やら仰々しい雰囲気を感じた。「瑞穂ちゃん。君を保護しに来た。」「え…?」そして今度は、住宅街に似つかわしくない、大型の警察車両、バス2台が到着した。それを見て眉を顰める大和。そこから武装した複数の人が降りてくる。その中の一人が、玄関先まで歩いてきた。「この子達が、例のか?」「そうだ。」男は訝し気に瑞穂達を見ると、それぞれに指示を出した。「君はこちらの車両、君はあちらの車両に乗ってくれ。」大和と瑞穂を別々に隔離して護送する、という男の指示に、名村が思わずその肩を掴む。「…?おい、話が違うぞ!」だが、男は動じない。すると今度は大和が発言する。「おい…まさか、あの馬鹿げた動画を信じているんじゃないだろうな。」自分達の話は信じないのに、と大和。「…指示に従えないというのなら、我々を敵に回すことになるぞ。」「…!」それは、『お前達を信用していない』という言葉と同義だった。「動画で語られていたことの真偽が不明な以上、君達が危険人物である可能性を拭えない。」「…!」「俺達の立場も理解してくれ、名村。」そのやり取りを見て、不安そうに大和を見る瑞穂。「…大和、」「…」だがここで拒否や逃走をしようものなら、どんな目に遭うかわからない。瑞穂と大和が動けずにいると、武装した男達が玄関先にまで入り込み、二人は半ば強引に歩かされた。「瑞穂…ッ!!」豊里が背後から声をかけてくる。瑞穂が思わず振り返ると、今にも泣きそうな母親と、顔を青ざめさせた豊里と父が目に入った。「……っ…、」瑞穂も泣きそうな顔をするが、抵抗できずにそのまま連れられるしかなかった。大和は瑞穂に手を差し伸べようとしたが、その手は武装した男達の前に封じられた。「……ッ…!」そうして半ば拘束された状態で、連れられて行く。そうして瑞穂と大和は、それぞれ別の車両に乗せられていった。その上、椅子へ座らされた大和は、手錠で手首を拘束された。「……!!」そしてそれを見ながら、より眉間に皺を寄せると、ぽつりと心の中で呟いた。「(何が『保護』だ…。)」
――――「…ごめんな、瑞穂ちゃん。」名村兄は瑞穂と同行を許可された。名村は申し訳なさそうに瑞穂に謝罪する。「名村さんのせいじゃないでしょ。…寧ろ、私達のためを想って、手配してくれたんでしょ?」その言葉に、名村兄は言いづらそうに告げた。「…実は、君に対する殺害予告が出たんだ。」「……!!」「それで警察も動かざるを得なくなった。」「……そう、なんだ…。」顔を俯かせる瑞穂。これまでいろんな悪意に晒されてきたが、人に殺意を向けられることはそう無かった。自分に対して『死んでほしい』という人間がいるという事実が流石にショックだったのだろう、瑞穂のそんな表情を見て、『言うんじゃなかったな』と後悔する名村だった。確かにショックはショックだ。だが、今の瑞穂はそれよりも。「(大和――――…)」窓に付けられた金網越しに外を眺めるが、当然大和のいる車両は見えない。瑞穂は、到着まで何も起きないことを祈るばかりだった。
――――大和の四方には武装した男達が取り囲み、まるで"不審な動きをするようならただじゃおかない"とばかりに、ピリピリとした緊張感を醸し出していた。大和は俯くように座り込み、不安と焦燥でどうにかなりそうだった。―――自分が傍にいないこんな状況で、もし瑞穂に何かあったら…。豊里の事件を思い出す。あの時の感情が渦巻き、頭痛と吐き気がしてくる。「…機動隊…か。通りでこんな扱いを受けるわけだ。」誰に言うでもなく、独り言のように呟く大和。その口調からは怒りがにじみ出ている。「今すぐ私を、瑞穂のところに行かせろ。」
――――…この女…恰好が変わっているものの、普通の若い女じゃないか…。もう一人の方も、髪色に異常があるだけの、ひ弱そうな女子高生だった。こいつらが世界の命運を握る二人だと…?馬鹿馬鹿しい。機動隊員がそんなことを想っていると、大和が瑞穂に会わせるように申し出てきた。それに対し、呆れたように答える。「悪いがなあ…俺達はお前らのこと何一つ信用しちゃいないんだ。保護してくれ、というなら、相応のこと――――…そう、真実を、ちゃんと話してくれないとな。」「それなら、名村の兄に全て話したつもりだが。…聞いていないのか?」「いいや、聞いたさ。ただな、根拠も何もない、非科学的なそれを信じろと言われても、そりゃあ無理な話だ。」「……元から期待なんかしてない。こんな馬鹿げた話、現代人に通用しないことは…この9か月で十分すぎるほどにわかった。…だがな、あんたらが私達のことを信じようが信じまいが、こっちからすればどうでもいいんだ。世界を終わらせたくなければ、さっさと私を瑞穂に会わせろ。」情けない話だが、その時の女の眼光に、体の筋肉が収縮する感覚を覚えた。どうやら、周りにいた奴等もそうらしい。皆、僅かにだが動揺している。――――…話している内容は実にくだらない。が…何百人と人を見て来た俺ならわかる。こいつは、本気だ。そして、平静を装いつつも、激昂している。女は、どうにか交渉しなければ、そのためには冷静を保たなければという理性からか、一度深呼吸をすると、俺達を説得するように語り出した。「…いいか、私達の話が事実だという前提で聞いてもらいたい。もうゲームが始まって9か月―――逆に言えば、ゲームが終わるまで残り3か月しかない。その上、あの動画配信だ。人類滅亡を目論む守護者と代表者は、生き残りの私達を潰しにかかってきている。わかるか?時期的にも、置かれている立場的にも、今は非常に危険な状態だ。そいつらだけじゃない、危険な思想を持つ人間共が敵として姿を現し始めている。悪いが、お前等がそんな奴等から瑞穂を守り切れるとは到底思えない。」「…随分と甘く見られたもんだな。彼女の周りには、そういった警護に関してプロ級の奴等を置いている。心配することは―――――」「!!」その時、女が何かに感づいたように息を飲んで立ち上がる。その視線の先では、例の女子高生が乗る車両が走っている筈だ。そして女は語気を荒げて叫んだ。「全車両を止めさせろッ!!そして私を今すぐ解放しろ!!!」そのあまりの剣幕に圧される。「…何故だ…?」「何者かが瑞穂を攫いに来たッ!!!!」「!―――…馬鹿な…。俺達は―――…」機動隊だ。機動隊に対し、そんな強硬手段を働く輩なんか居る筈が無い。「瑞穂に危機が迫ってる!!猶予なんかない!!いいからさっさと従えッ!!!」だが、大和の鬼気迫る様子にその自信は揺らぐ。どうすべきか、と思ったところで。「!!?」車両が急停止する。「なッ…なんだ!?」そしてその直後から聞こえる発砲音。車内にいた隊員が慌ただしく立ち上がる。そして無線から音声が届いた。『秋津瑞穂のいるバスが…ッ、襲撃されました…ッ!!!』「何…っ、おい!!」振り返ると同時に、窓が割れる音が鳴り響いた。黒髪の女は姿を消し、そこには歪められ破壊された柵と、ひしゃげた手錠だけが落ちていた。
――――胸がどうしようもなくざわつく。犯人の目的にもよるが、そのまま瑞穂が殺される危険だってある。今まで、瑞穂を誰かの手元へ渡したことはなかった。もし、自分の目の届かないところで、瑞穂が―――…。そう考えただけで、全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。とにかく、後を追わなければ。混乱する頭の中でそう考えるより先に、体は勝手に動いていた。
――――都心から離れた場所の、林の中にひっそりと佇む無機質な建物の前へと到着した。「はぁ…っ、はぁ…っ…、けほっ、」―――……っこんな時に…!!自分の息が上がっていることに、ついさっき気づいた。後から思い出してみると、車に乗り込んだ時から頭痛が酷かった気がする。気づかなかった。瑞穂の傍にいてやらなければと、躍起になっていたからかもしれない。尋常じゃない量の汗が、体を伝ってるというのに。体温も異常に高い。…こんなことなら、警察を引き連れてくるんだった…。…いや、奴等が入ってきても、瑞穂の身の安全が保障できるわけじゃない。それに、今そんなことを考えても無意味だ。私は通信機器を何一つもっていない。そもそも、奴等の連絡先も知らない。重くなった体に力を入れるように、胸元の布を固く握りしめた。汗で滑るかもしれない。私がなんとかしなければならない。瑞穂を守ると決めた。これまでだって、危機はあったものの、なんとかやってきた。守る。瑞穂は、私が守る。――…だが、なかなか体が意識に追いついてくれない。動こうと思っても一挙一動が遅い。意識が朦朧とする中、遠くで発砲音が鳴り響くのが聞こえた。かと思えば、頬と足に焼けつくような痛みが。…―――しまった、撃たれた。そう知覚する頃には既に、私の体は前の方へと傾いていた。動かしづらい体でなんとか足を踏み出し、踏ん張る。だが、気づく間もなく攻撃を受けてしまった、敵に見られてしまったという焦りが、私の呼吸を更に乱れさせた。―――…思っていたより、状況は最悪だった。目の前に2人…いや…3人…、いる…?まずい。相手の人数も計れないんじゃあ、戦うどころじゃあない。しかも相手は、機動隊を出し抜くくらいの相当なやり手だ。本気でかからなければならない。だが――――…。
残念なことに、私の意識は、そこで途切れた。
――――「秋津瑞穂。…私達に、本当のことを話しなさい。」やたらと大げさなマスク、手袋をして、淡々と、冷徹に私に話しかける女。片手に持ってちらつかせてくる銃が、そう思わせるのか。私の乗っていたバスがこの武装した女たちに襲われ、私一人だけがここまで連れてこられた。ここに来るまで、縛られ目隠しされていたから、ここがどこだかわからない。気づくと、暗く汚い、廃墟のような部屋の中で、椅子に座らされ縛り付けられていた。「…言ったら、解放してくれるの?」「…それはどうかしら。」「…でも、言ったところで…どうせ、信じないと思う。」思ったままそう伝えた。そう言いながらふと、大和もこんな気持ちだったのかと、この状況に似つかわしくないことが頭をよぎってしまい、切なくなった。「それは聞いてみないとなんともね。…いいから、あなたはただ話してくれればいいのよ。」ただただ事務的に聞いてくる女。その態度には、絶対に吐かせてやろうという自信が垣間見える。きっと、下手に嘘をついたところでこの人にはバレるんだろう。何をされるかわかったものじゃない。―――そう判断した私は、おとなしく女に従うことにした。真剣な目で向かい合い、事実を目の前の女に突きつけてやる。―――だが、話している途中から女はあからさまに興味をなくした様子で、私から視線を離すと、ふらふらとあたりを徘徊し出した。そして、ついに堪えきれなくなったのか、私の目の前に戻ってくると『不快』を隠さない表情を浮かべ、手元を遊ばせる。「―――…あまり…ふざけたことばっかり言わないで。」「ふざけてない…ッ!私はありのまま真実を――…」パァンッという渇いた音を耳で拾う。と同時に、太ももに肉の抉れる痛みが走った。私はたまらず、声にならない悲鳴を上げた。痛みはあっという間に体全体に広がる。縛られた手足を悶えさせながら、それをなんとか体から逃がそうと蠢いた。傷口が熱い。汗が噴き出る。こういうのは、何度味わっても慣れるものじゃない。あの悪夢で散々体験した筈の痛みは、現実で味わうとこんなにもキツイものか。それでも、精神はアレで大分鍛えられた。目から涙が溢れ出はするものの、みっともなく泣きじゃくる真似はしなかった。「痛いでしょう?でも、あなたが嘘をつくからこうなるのよ。本当のことを素直に喋ってくれれば、こんな目に遭わずに済むの。…でも大丈夫。急所は外してるから、死ぬことはないわ。あなたが本当のことを話すまで、じっくり聞かせてもらうから。」そう言って目の前の椅子に座り込む女の様子に、ただならぬものを感じた。―――きっと、これまでもこうして、何人もの人を拷問し、吐かせてきたのだろう。その事実にぞっと背筋が凍った。…本当のことを話しているのに、信じてもらえない。残念だけど、話が通じる未来が見えない。あんなタイミング、あんな方法で私を攫った人達だ、それも当然な気はする。そりゃ馬鹿らしい話だし、信じられない気持ちもわかる。でも当然、私は嘘なんてついてはいない。普通に考えても、この状況下でこんな出来の悪い嘘を付くわけがない。私はただ紛うことなき真実を話しただけなのに、なんでこんな痛い目に遭わなきゃいけないんだ。っていうか、ただの女子高生相手にいきなり銃ぶっぱなすか普通!?痛みを怒りに切り替え、なんとか耐え忍ぼうとする。―――こういう時、弱気になるのが一番駄目だって学んできた。気持ちで負ければそれで終わりだからだ。大和が来てくれるまで、私はこの場を耐え抜かなきゃならない。大和に無茶はさせたくないけれど、こうなってしまっては私にはどうしようもない。私の手足を拘束するのは、縄じゃなく手錠だし、ここがどこかなのかも、建物の構造もまるでわからない。相手の人数だって。どの人もなんかプロっぽいし。私一人で逃げ出そうとするには、かなり酷な状況だ。…ああもあっさりと捕まってしまった自分にも、責任は十分感じていた。そして私を守ろうとした名村さんも、傷つけてしまった。…痛みは、その代償だと思うことにする。とにかく私は、生きなきゃならないんだから。家族のため、友人のため、大切な人たちのため。――…人間のため。そして何より、大和のため。再び顔を近づけてくる女を、生きる意志を強く持って、思い切り睨みつけた。「あんたが信じるまで、何度だって言ってやるわよ…ッ!!」
――――悲鳴が聞こえて、目が覚めた。手足の自由がきかない。虚ろな目で捉えたのは、椅子に縛られた自身の体と、周りで監視する数人の武装した人間。起きてすぐに気づいた。呼吸はまだ、整っていない。体も熱いまま。使えない、と心の中で自分の体に悪態をつく。「…起きたか。」目の前にいた奴が話しかけてきた。が、そんなことはどうでもいい。さっきの悲鳴は。声の正体を探ろうと耳を澄ませたところで、二度目の叫び声がした。その声を聴いた途端、体中の汗が噴き出す。胸がざわついて、どうしようもない焦燥感にかられた。体が熱いんだか寒いんだか、よくわからない感覚に陥る。―――…だって、あの声は。ずっと、傍で聞いてきた声だ。「おい、聞いてんのかこのクソ餓鬼。」今回は、夢とは違う。瑞穂が、傷つけられる。精神だけじゃなく、肉体も。瑞穂が、苦しんでる。死ぬかもしれない。「…どこだ。」「あ?」それも全て、こいつらのせいか。「瑞穂は―――」
――――飛びそうな意識が、どこからか聞こえて来た衝撃音を皮切りに戻ってきた。目の前の女も、思わずそちらに目を向ける。彼女の後方にいた人たちは、武器を携えて扉の向こうへ駆けていった。その数秒後、彼らは右から左へと、赤い飛沫をまき散らしながら、おかしな体勢で吹き飛んでいった。壁にぶつかり地面に落下すると、彼らは人形のように力無く転がる。私を甚振った女が怯えを見せるほどの、残忍な光景。女が震えながら出入口に銃を向けたその時―――その暗がりから、黒い、としか形容できない…異様な"何か"が入ってきた。一目であいつだと認識できないような、人ならざるもの。姿も、動きも、纏う雰囲気も、人間が本能的に恐怖を覚えるものだった。とにかく、気味が悪い。―――…怖い。あいつが近づいてくるごとに、身の毛のよだつ、邪悪な空気が濃くなる。全身の毛が逆立つ感覚。汗が吹き出し、寒気さえ覚える。あいつの、体中に付着させた血液であろう赤色が、一層恐ろしく感じさせた。あいつは息苦しいのか、体を屈ませ、肩で呼吸をしている。
―――…大和は、我を忘れてる。名前を、呼ばなきゃ。まず、そう思った。でも、叫び声を上げ続けた喉は限界を迎えていて、憔悴しきった体は、声を発するだけのエネルギーも残っていなかった。そんな内に、女があいつに発砲―――したと思ったら、彼女の腕が、宙を舞っていた。目を疑った。自分の意識が一瞬飛んだのかと思った。だけど、違った。その瞬間、ハッと息を飲んで我に返る。まずい。まずい、まずいまずいまずい――――!!!
「大和ッッ!!!!!」
ボロボロの紙屑みたいになった女の喉に、ガラスの破片を突き刺そうとしていたあいつが、こちらを見る。その様子は、体中の毛穴がぱっくり開くんじゃないかってくらいに恐ろしいものだったけど。アレが大和で、自分の為にああなったのかと考えると、そんなことは言っていられなかった。あいつは、我に返るように、はっとした顔で私のことを見た。そして、女だったものを放り投げると、よたよたとした動きで、私の元に駆け寄ってきた。私との距離を詰めるごとに、段々あいつが大和に戻っていく。そして大和は私の目の前まで来ると、いつのものように体を気遣う言葉をかけて来てくれた。間近で見ると、その顔は赤く火照っていて、呼吸は荒い。汗もかいてる。更には目に薄く膜も張ってる。―――…いつもの、大和だった。私は安心して、遠くから聞こえる複数の足音を耳に、意識を手放した。


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