頬に風を感じて、心地よさに目を開けると人影を捉えた。寝起きで霞む視界でもわかるその色とシルエットに、思わず笑みがこぼれる。「…っ瑞穂……!」私が目を覚ましたのに気付いたのか、今までに見たことのない表情を浮かべて、大和が私に近寄る。わかりやすくいえば、大和らしくない、すごく情けない顔をしていた。「…具合は、」「ん…平気…あちこち、じくじく痛むけど…。」「…そうか。…水飲むか?」「ん。」私がそう言うと、ベッドの傍らにあった水差しから、コップに水を注ぐ大和の姿。普段見れない光景に、つい笑ってしまう。辺りを見回すと、どうやら私は病院のベッドで眠っていたようだ。体を起こそうと少し動かすが、それだけで体に激痛が走る。それに気づいた大和は、「大丈夫か。」と気遣いながら私の体を支え、起こしてくれた。体勢を安定させて一息つくと、大和が差し出してきたコップを受け取って、渇いた喉に水を流し込んだ。その感覚がなんとも久々な気がして、思わず目を丸くして大和に聞いた。「ねぇ大和…私、どのくらい寝てたの?」「…5日だ。」「そんなに!?」まずったなあ…それだけ寝てたらきっと皆心配してるだろうなー。と、なんとも暢気な感想ばかりが浮かぶ。「…瑞穂。」大和が、真剣な眼差しで私を見た。「二人で何処かに逃げないか。」そんな顔で、駆け落ちする男女みたいな台詞を言うもんだから、私はつい吹き出してしまった。「…本気で言ってるんだが。」「あはは、ごめんごめん。…らしくないね。さっきの大和といい…あんなに狼狽えるなんて。」「…もう、目が覚めないと思った。」目を伏せて、いつになく弱気な発言をする大和。「…ごめんね、心配かけて。…ありがとう。」「…」「私、大和なら助けてくれるって思ってた。…姿が見えた時、すっごい嬉しかったよ。…でも、大和も…疲れ溜まってたんだね…。…もう、大丈夫なの?」「…あぁ、おかげさまでな。…だが、…初めから警察に頼まなければ、…こんなことにはならなかった。お前がこんな目に遭うことも、なかった。」「…私は、大丈夫だよ。」「大丈夫じゃないから言ってるんだ。」少し語気を荒げて言い放つ。あの大和が、こんなに感情的になるなんて。眉間に皺を寄せて、何かに耐えるような顔をしてる。拳も固く握りしめている。私は宥めるように、自分の手をそれに重ねた。「…でもさぁ、大和だって具合悪かったんだし…警察の人達がいなかったら、そうしたらまた、状況も違ってたと思うよ?…あの人たち相手に、真っ向勝負で勝てたと思う?」「…」「…あの時の、アレは…何?」あの暗い無機質な部屋で見た、異質な大和。「…わからない。」今は普通の大和だ。ただし、いつもより弱気の。「…怖いか?」そんな風に問いかけてくる大和は、これまた珍しい。「全然!」あっけらかんと言う私に、大和の方が若干拍子抜けしてる。「だって大和って結構なんでもできちゃうし。これまでがそうだったようにさ、アレもなんか…形態の一種?みたいな感じだったんじゃない?」「…まぁ、確かに…。」「それに私、大和のこと信じてるし。前にも言ったでしょ。」「!」『最初のようには戻らないと思う』―――まさにその通りだった。「…大和もさ、もっと、人間を信用してよ。……私も、人間だよ。」「…」
その時、病室の扉が開いた。そこからぞろぞろと入ってくる人達。その先頭には名村刑事がいた。大和は黙って、私の前に立ち塞がった。「…そんなに警戒しないでくれ。」「…お前等の仲間だったんだろう、あいつら。それで警戒するな、ってのは無理な話だ。」「正確には同じ組織でも――――…いや、それもそうだな。わかった。じゃあ、そのままでいいから、聞いてくれ。お前ら、俺より前に出るんじゃないぞ。…俺なら、まだ信用してくれるだろう?」「…」大和は黙ってそれを肯定した。「まず、…瑞穂ちゃん、君を危険な目に遭わせて、済まなかった。そして大和くん、君も…私の説得不足のせいで…すまない。彼らは特殊部隊に所属する人間の中でも、過激派のメンバーでね。瑞穂ちゃんの存在が危険だと判断しての行動だったようだ。」「…」「だが、安心してくれ。我々は今回の件で…君たちを正式にサポートすることになった。」「…」まだ疑いの目を向ける大和。だが、名村刑事は構わず続ける。「まずは、そうなった経緯についてだが…。瑞穂ちゃんが誘拐された後、君たちが捕えられていた地に、警察も踏み込んだ。…大和くんには悪いが、酷い惨状だったそうだ。被害者は重傷で、辺り一面血の海だったそうだ。彼らは組織の中でも戦闘に特化したエリートが寄せ集まっていた…にも関わらず、あの状況だ。鑑識も、人間のできる所業じゃないと言っていたそうだよ。…人間の常軌を逸した君の能力に、お偉いさん方も信じざるを得なくなったわけだ。」「…」私は名村刑事から、大和に視線を移した。顔が見えないから、どんな表情をしているかわからない。「…アレが君の本性ってわけかい、大和くん。」「…」「首謀者の女も、それはそれは恐怖に慄いていたよ…。『化け物』、って呟きながらね。」名村刑事の背後にいる人達の顔から、血の気が引いていくようだった。そしてその人達も、チラチラと大和の顔を覗う。「…何が言いたい。」「君たちの正体についてはお偉いさんたちも含め、取り敢えずは理解してもらったよ。ただね、君が。君が、だよ。いまいち信用できないんだ。…果たして本当に、我々人間の、…瑞穂ちゃんの味方なのか…ってね。」名村さんがそう言った途端、この病室を纏う空気が一気に張りつめた気がした。気のせいか、警察の人達の体も強張っている。大和は何も言わない。弁解しようとも、思わないのだろう。最初の頃の私に対してのように。「そう言えば君に神との勝負の話を説明された時に聞くのを忘れていたよ。…『守護者は代表者に真実を話す義務はあるのか』『嘘をついてもいいのか』―――…ってね。」私は、痛む体に鞭を打って立ち上がろうと動いた。それに気づいた大和は、私を静止しようと触れてくる。それを払いのけて、私は自力で立ち上がり、大和の前へ出た。「あ…っのさぁ!!!」久々に出した大声。喉がひりひりして痛かった。「言わせてもらうけどね!!そんなっ…悪いけど!!私なんかそういう期間、もう半年も前に終わってんのよ!!ばっかじゃないの!!こんな20代そこらのガキに、大の大人たちが何ビビってんのよ!!大和だって、ただの普通の女だよ!!ちょっと強いだけで!!…あ、いや、ちょっとじゃなくて、結構強いけど!!」「…」「とにかく!!大和が私をずっと守ってきてくれたことは事実だし、それ以上も、それ以下もないの!!あんたら警察なんかより、よっぽど頼りになるし、何より頑張ってきてくれたのッ!!…勿論、私が弱かったり、無能のせいだってあるけど…!!その5日前のことだって、大和は…ッ、体に疲労、溜め込んでたのに…っ、それでも、助けに来てくれたんだから…っ!!」秘めておいた思いが、胸から次々に溢れてくる。多分また、後で思い出したくない思い出に追加されるんだろう。「大和は…っいつも、いつでも…っ私のこと、助けてくれて…っ!!嫌な顔、一つしないし、自分のことより、わたしのことばっかり…っ、助けてくれたら、っ、いっつも、私が無事で良かったって、いうしっ、っ、」しゃくりがとまらなくない。だけど、ここで黙るわけにはいかなかった。だって、そんな大和が悪く言われるのは納得がいかない。自分の身を何一つ守ってこれなかった情けない私を、大和はいつも助けてくれた。守ってやるって言ってくれた。私だけじゃない、他の人だって助けてくれたじゃない。―――これまでの日々が、頭の中に流れてくる。大和への思いが、今この場に関係ない筈の思い出まで甦らせる。私が怖い思いをすれば抱きしめてくれた。私が傷つけば気遣う言葉をかけてくれた。私と一緒に笑ってくれた。私のために怒ってくれた。くだらない日常を、一緒に過ごしてくれた――――
涙が止まらない。どうして、こんな大和が、私の味方じゃないなんて言えるんだ。「…瑞穂、もういい。座れ。」尚も訴えを続けようとする私を、座るよう促す大和。私の肩を掴んで、ゆっくりとベッドに座らせる。みっともない。こんな大勢の前で泣きじゃくるなんて。高校生にもなって、子供みたいなことしか言えないなんて。…本当に。「ありがとう、瑞穂。」ティッシュを取り出して私鼻にあてながらそう言った。子供みたいに素直にチーンと鼻水を出す。上目遣いで大和の表情を窺う。その目はやっぱり優しかった。「…私は、大和の味方だから。」不貞腐れながらそう伝えると、大和は少し驚いた顔をした後、いつもの笑顔を見せてくれた。「知ってる。」
―――「…すまない、瑞穂ちゃん。聞いてみただけだよ。」名村さんからの呼びかけに、視線を戻す。「少なくとも俺は、電車テロの一件から彼女を信用している。」その言葉で、名村さんはわざとあんな挑発めいたことを言ったのだと気づいた。周りの警察の人間に対して聞かせるために。「…さて。目覚めたばかりの瑞穂ちゃんにあまり負担はかけたくない。また改めて来るよ。」そう言って話は一先ず終わったと、体を翻して病室を出て行こうとする名村刑事。そこでハッと思い出した。「そうだッ…!名村さんッ!!怪我……ッ!!」「!」私の言葉に大和が反応する。襲撃して来た女達から私を庇って、お腹を撃たれた筈だった。名村刑事は振り返って笑うと、「大したことないよ。…それに、まんまと瑞穂ちゃんを連れ去られた、俺に対する相応の罰だ。」そう言うとそのまま出て行ってしまった。
――――「(―――…夢…?)」何か、夢を見たような気がする。暫くぼうっとした後に、自分がうっかり気を失ってしまっていたことに気づいた大和は、目を覚ますと勢いよく起き上がった。真っ白な部屋に、屈強な男二人と女一人の黒ずくめの人間が。隣にもう一つベッドがあって、見慣れた金色が見えた。慌てて駆け寄るが、瑞穂は穏やかな寝息を立てて、すやすやと眠っていた。それに気づいてほっとする大和。そう言えばと己の体が随分と楽になっていることに気づいた。それほどまでに眠りこみ、弱った瑞穂を無防備な状態で晒してしまったという事実を察すると、自分に憤り、歯を食いしばる。「安心してください、あなたが気を失ってから何も起こっていません。」「時間もそれほど経っていませんよ。事件は昨日のことですから。」気を利かせた護衛の人間が話しかけてくる。その様子はどこか緊張していた。彼らは事件での大和の様子を聞かされている。護衛の発言を聞いて、大和は傍らにあった時計に目をやった。時刻は昼の一時を示していた。拳を握りしめる。「…瑞穂は、目覚めてないのか。」その問いに護衛達はややどもった後、短く「はい」と肯定の返事をした。「しかし、命に別状はありません。」と、フォローも入れる。それを聞くと、瑞穂にかかっていた布団をめくり上げ、怪我の箇所を確認する。あの時はそこまで思考が至らなかった。急所は外れているし、怪我の度合いもそこまで酷くなさそうだとやや安堵した。だが、包帯が巻かれている様だけでも痛々しい。合流した時の瑞穂の憔悴しきった様子や、あの時聞いた悲鳴が頭を離れない。瑞穂がこんな目に遭ってしまった経緯を考えると、つい眉間の皺が深くなる。「…すまないが、出て行ってくれないか。」明らかに機嫌の損なったトーン。「しかし…」護衛は躊躇うが、「悪いが。」そう立て続けに言い放った化け物が、殺意のこもった目で見てくるものだから、護衛達は何も言葉が出せなくなってしまった。護衛達は、大和が復活すれば大丈夫だろう、という話は聞いていたため、「…我々は、外で見張っています。」そう告げると大人しく部屋を出て行った。おそらく入り口で、先程と同じように立ちっぱなしになるのだろう。彼らが瑞穂だけでなく、自分の安全も確保してくれていたことは理解している。彼らが悪いわけでもない。…が、こうなってしまった事が事だし、今は関連する人物――――警察の人間と、…というより、"瑞穂以外の人間"と同じ空間にいる気にはなれなかった。瑞穂の寝顔を見ながら、思いつめたような表情を浮かべる大和。傍にあった椅子に、項垂れるようにして腰をかけた。
―――大和が目覚めた報告は名村の耳にも入っていた。「…今俺が行っても逆効果になるだけだろ。瑞穂ちゃんの回復を待とう。」そう言う名村も、瑞穂を庇った際に負傷した腹部を治療中の身だった。
―――それからずっと、瑞穂の目が覚めるまで、隣に座り見守り続ける大和だった。
「あんたねぇ…いい加減にしなさいよ。」「何がだ。」「そろそろ人間のこと信用しなさいって言ってんの!」「嫌だ。」「嫌だじゃないっ!!」瑞穂が目覚めてから数日が経った。未だに大和は瑞穂以外の人間に対して、一切心を許さなかった。瑞穂の傍を一時も離れようとしないで、誰かが来ようものなら、誰彼構わず睨み付けて威圧する始末。「私が人間を信用しないところで、今のところ何か不都合でもあるか?」「看護婦さんとか警察の人が来るたびにガンつけんのやめてって言ってんの!!」「…別につけてない。」「いーや、絶対つけてた!」むすっとしたままの大和に、はあ~~っと呆れたため息をつく瑞穂。まるでいつもとは逆だ。「…あのさ、医者や看護婦さんは勿論、警察の人達だって頑張ってくれてたんでしょ?私達が眠ってた間も、一切の不幸が起きないように、細かいことまで気を配って…いろいろと手を尽くしてくれたって聞いたけど。」「当然だろ。それがあいつらの仕事だからな。それに、自分達の不手際のせいであんなことになったんだ。その埋め合わせをしたいだけだろ。」「もう~~~!!なんでそう頑固なのよ!」「何でも何もそうだろ。誰のせいでお前があんな目に遭ったと思ってるんだ。私は正直に本当のことを打ち明けたし、名村兄妹がそれを正確に伝えた筈なのにだ。私が直接話したって良かったんだ。…いや、話したところでどうせ信じなかったろうがな。あんなガバガバ警備で、お粗末な対応、なにもかもが足りない。」「だから…それはほら、…私も、この前あんなこと言ったけど…あんたのことまだ信用しきれてなかったからで…。最初の頃の私と同じよ。」「…でも、お前とあいつらじゃ違うだろ。」「何が?」「お前は単純だが、あいつらは違う。」「どういう意味よ!」「いや、そう言う意味じゃ…なくもないか。」「はあっ!?」「ともかく、…子供で、一個人であるお前と、大人で複数の、集団に属するあいつらを比べるもんじゃない、って言ってるんだ。…お前より大人で、何もかもを疑わなければならないような職業に就いてる奴らだ。社会人としても、成人した人間としても、お前の何倍もいろんなものを見て来てる。あの馬鹿げた話を本当の意味で信じさせるのは、相当骨が折れるだろう。その上あいつらは集団だ。組織だ。いろんな思惑があって、いろんな価値観がある。奴等は疑い、騙すことが仕事なんだ。表でいくら信頼してる風を装っても、腹の底では何を考えているかなんてわからない。あの時みたいに、いつ狙われたっておかしくはない。寝首をかかれるかもしれない。そういうリスクを極力減らしておきたいと思うのは当然のことじゃないか。」「(な…なんか、私の疑り深さが移ったみたい…。いやでも、こいつも元からこんな感じか…。)」意固地になっている大和を見ながら、はあっとため息をつく瑞穂。あれこれと言い訳をして意地になってる。その様が、とあるものと重なって。彼女の様子が段々と別の物に見えてくる。そのミスマッチさが瑞穂の笑いを誘った。「…ふふっ…」この状況に不似合な瑞穂の笑顔に、やや怪訝な表情を浮かべる大和。「…なんだ。」今何もおかしなことは言ってないのに、とでも言いたげだ。だが、構わず笑い続ける瑞穂。そうして一通り笑った後、短く息を吐く。「なんか…駄々をこねてる子供みたいだなあって。」しょうがないなあといった風に笑う瑞穂を見て、まるで自分がわがままを言って拗ねてるだけのように感じられ、なんとも不服になる大和。「…そんなことないだろ。」「そんなことあります〜。」あんな目に遭ったというのにこうして愉快そうに笑う瑞穂を見ていると、ほっとすると同時に、自分が悩んでいるのがなんだか馬鹿らしく思えてくる大和。「ふふっ、普段大人ぶってるくせしてそーいうとこは子供だね、大和?」「…お前、」いつもの台詞を取られたようでどこか悔しい。「馬鹿にしてる♡」
――――珍しく立場が逆転していた。最近こういうことが多い。瑞穂をいじっている筈が、いつの間にか手玉にとられている、なんて。全て見透かされているような、全部お見通しだと言わんばかりだ。それほど、自分のことが理解されているということか。半年以上も共にいれば、そりゃ理解もされるだろうとは思うものの、なんとなく恥ずかしい気持ちになる。だが、この扱いはなんとなく気に入らない。何より私は、いじられるよりいじる方が好きなタイプだ。―――…瑞穂と話していると、どす黒い感情がどこかへ消えてしまうような。いつの間にか、悪い考えなんて忘れてしまう。
夜中、瑞穂が寝静まった後。数日ぶりに、名村がやって来た。「…すまなかったな。」開口一番、謝罪の言葉を口にする名村。それを冷めた目で見る大和。「…それは、何に対しての謝罪だ。」「…瑞穂ちゃんを守り切れなかったことと…先日の、君を疑ったような発言をしたことに対して、だ。」「!」そして大和の視線は名村の腹部に注がれる。あの後瑞穂から聞いたが、名村は瑞穂を必死に守ろうとしてくれていたようだ。だが、武力と数の差で引き剝がされてしまった。下手をすれば殺されてもおかしくない状況であったにも関わらず、瑞穂を渡すまいと奮闘してくれていたという。そして先日の大和に対する発言に関しては、大和も、周りの人間達に聞かせるためのものだったのだろうことは理解していた。「でも、君も君だぜ。アレのことは教えてくれなかっただろう?」"アレ"とは、どす黒い化け物じみた状態になった大和のことを指していた。「…私だって、あの時が初めてだったんだ。そう言われても困る。」「…そうだったか。いや、それをあの時に聞くべきだったな。それならいいんだ。」「…」すんなりと納得した名村に大和も黙る。「だが俺があの時言ったことは本当だ。俺は君のことを信頼しているし、君の言ったことも信じている。」それは大和も理解していた。名村はこれまで、瑞穂と大和のためを想って数々の行動を起こしてしてくれていた。それが実を結ばなかった原因は、他にあった。「…」威圧的な態度をやわらげ、少し考え込むような様子を見せた大和に、名村は微笑んだ。「そういえば、瑞穂ちゃんからクレームが入ってね。」「瑞穂から?」「『あんた達のせいで、うちの大和が人間不信になってるんですけど』ってね。」「…あいつ…」「ははっ、まるで妹をいじめられた姉みたいだな。」少し不機嫌そうな顔をする大和は、いつぞやの彼女に戻りつつある気がした。「…瑞穂ちゃんの命を狙う人間達を憎む気持ちはわかる。でも、彼らにも彼らなりの動機や境遇があることは理解してほしい。」「…聞きたくないな、そんなこと。」名村のその言葉に、また不機嫌になる大和。「まあ待ってくれ。君達を守ってくれる人々も、命を狙ってくる奴等も、皆等しく人間なんだよ。各々事情があって、自分達の信念や願い、祈りがある。だからそういう考えで行動して来る奴ら――――ひいては、瑞穂ちゃんを狙ってくる奴等が出てきちまうのは仕方ないことなんだ。それはそれとして、事実だと受け入れるべきだ。…じゃないと、一々イライラして仕方ないだろう。無駄に疲れるだけだぜ、それ。」「言ってろ。」「それに、そういう奴等にばかり目を向けて、他が見えなくなるのが一番危険なんだ。あの時の君のようにね。君達にとっての敵は、確かに大勢いるかもしれない。状況次第では、これから更に増えることも考えなくちゃならない。でも、それと同じだけ、味方だって作れる。人間は十人十色だ。だから、敵もいれば味方もいる。」「…」「君の周りの人達はどうだい。瑞穂ちゃんはどうだい。…端から諦めてもらっちゃ、こっちとしても心外だよ。信頼ってのは相互に生まれて初めて成り立つものだろう。―――そもそもだ。…これから三カ月、本当に君一人で、瑞穂ちゃんを守れると思ってるのか?」「…!」図星だった。すぐに肯定出来ないその問いに、大和は唇をキュッと引き結んだ。「これからもっと、いろんな奴が仕掛けてくるかもしれないんだ。それこそ、なりふり構わない方法でな。多人数相手にも立ち回れるのかい、たった一人で。」大和の顔に陰りが出来る。「はっきり言おう。先日の件だって、俺達が、瑞穂ちゃんを奴等の手に渡してしまったのが発端と言えど…俺達が到着していなければどうなっていた。君も、瑞穂ちゃんも、かなり弱っていた…あの状況で。」拳をギリ、と握りしめる大和。「言っておくがな…―――君は、弱いぞ。」「…っ!!」バッと名村を睨み付ける大和。だが名村は冷静に続ける。「銃で撃たれれば怪我をするし、疲れれば熱を出してぶっ倒れる。ちょっとした予知は使えても、超能力が使えるわけじゃない。そういう意味では人間と大差ないんだよ。君は、無敵じゃないんだ。」「そんなこと…ッ!!」「…わかってるよな。だから、歯痒い思いもしてきたんだろう。」「…!!」何も言えずに振り上げかけた拳を下ろす。口を噛み締める様は、まるで子供だ。―――無理もないだろう、彼女は生まれてまだ9か月の子供だ。「…だからこそ、リスクを減らすことよりも、味方を増やしておく方が賢明だと思うんだ。」俯き、ふらふらと近くの椅子に座り込む大和。そんな大和に名村は優しく話しかける。「…言っておくが、俺だって長生きしたい。」「!」その言葉に、大和はハッと目を見開いた。「…若い頃、妻を病気で亡くしてるんだ。…自殺も考えたが…。彼女の分も俺が長生きするって決めてさ。よくある話だ。あいつは再婚でもすればいいとか抜かしてたが…おかげで未だに独身だよ。…俺だけじゃない。見えないだけで…この世は死にたくないって思ってる人間が大多数だよ。…俺の同僚は愛妻家の子煩悩でね。少なくとも、孫の顔を見るまでは死ねない!っていつも言ってるんだ。…日々、多くの人間が死んでいるが……彼らだって、心の奥底では、本当は『生きたい』って思っていたに違いない。」「…」「警察だって、人間だぜ。大切な人たちを守りたいし、長生きだってしたい。…なんのために俺達は警察官になったと思う。まあ、個人差はあるだろうが…人を守りたいと少なからず思ってなきゃ、わざわざこんな職業に就かないさ。瑞穂ちゃんっていう一人の人間を守って…それがこの世界の人間達を救うことに繋がる、って言うなら…俺等がそれに尽力するのは当然のことだと思わないか?」「…」「…これまでのことは、本当に悪かった。俺達警察―――…いや、人間達に非があったことは事実だ。君の信頼を裏切り続けたことに対して、深く詫びよう。…だが、俺達は皆、反省した。反省して、次に活かすことにした。これからは改善するよう、努力する。安全を確保して、君達を危険に晒すことはもう二度としない。瑞穂ちゃんに不幸を寄せ付けさせることもない。勿論そのために、警察内部の体制も徹底する。君達の周りに置く人間も、信頼できる人物を置くよ。…約束する。」名村のその言葉を聞いて、大和は瑞穂の祖母の言葉を思い出していた。「君の存在と、勝負の内容さえ人々に信じさせれば、あとは全部こっちのもんだ。俺も、妹も、皆努力する。だから、君も協力してくれよ。―――…頼むからさ。」更に、5月の旅行の時に、秋津夫妻に言われた言葉を思い出した。―――『もっと大人を頼っていい』―――…。はっと目が覚めるような感覚がした。
―――…こんな当たり前のこと、何故気づかなかったんだ。『どうせ信じない』そんなことばかりで、人間達の側に立って考えるということを忘れていた。信用の出来ない人間にばかり目を向けて、信用すべき人間を疎かにしていたんじゃないか。瑞穂の言葉の数々を思い出す。――――…そうだ。2月のあの日。私は気づいたんじゃないか。人間も"一人一人思考し、生きている"のだと。もしかしたらこの世には、私達の話を信じてくれている人がいるかもしれない。代表者達の身を案じてくれている人がいるかもしれない。これから先も生きたいと、願っている人がいるかもしれない。―――…人間は、瑞穂を襲ったような奴ばかりではない。…私自身、これまで多くの人と出会った。出会って、良くしてもらったことも多かった。私達に対し、協力的に接してくれる人も多かった。得体の知れない私に、優しくしてくれた人間もいた。瑞穂のことは勿論大事だ。だが、他の人間達だって、大事な人は多くいる。瑞穂が死ねば、皆も死んでしまう。―――…悔しいが、名村の言う通り、私は非力だ。こんな状況になってしまった以上、瑞穂を、人間達を守るには、私一人の力では到底足りない。手を指し伸ばそうとしてくれる手を跳ね除けて、一人、子供のように駄々を捏ねていたのは――――…。
――――そうして思考を巡らせる大和の表情を見て、名村は微笑んだ。その顔は、彼らが知っている『大和』だった。暫くして結論が出たのか、俯かせていた頭を起こす大和。その顔は、憑き物が落ちたような顔をしていた。「…悪かったな。少なくともあんた達兄妹は、ずっと私達を気にかけてくれていたんだった。…忘れていた。」「いや…君の信頼に十分に応えられなかった俺にも問題はあった。思えば、君は疑り深くはあったものの、俺にはずっとヒントをくれようとしていたんだよな。」「……本来なら、私から頼むべきところだったんだ…。味方を増やせれば優位になるのは当然だ。…瑞穂のことを思えば、それが最善だと…、…少し考えたらわかることなのに…。」苦悶の表情で自分の額を抑える大和。「…私は…瑞穂のため、瑞穂のためと言いながら…何もわかっていなかった。」項垂れるように「…それは違うな。」「…違うことなんか、」「少なくとも、瑞穂ちゃんがそれを聞いたら、100%『違う』と言うぜ。賭けてもいい。」「…」「君が瑞穂ちゃんのことを思っているのは、誰もがよくわかってる。君は確かに、瑞穂ちゃんのことを最優先に考えて行動していた。…ただ、他の方法もあったってだけだ。君がそっちの結論に至ってしまったのは、俺達人間側にも責任があるしな。」「――…」「君、意外と気にしいなんだな。…いや、そうなったのか?」「…」「初めて会った頃から変わったよな。」感情も表情豊かになって、人間らしくなったようだ。そんな名村の言葉に、思わず笑う大和だった。「…あいつのせいだな。」私の世界は、瑞穂を中心に回っている。
「それで?名村刑事とは仲直りできた?」「仲直りって…。」翌日。瑞穂と大和は病室で話をしていた。「だってそうでしょ?」「…まあ、一応…。」「良かったじゃん。」「…瑞穂。…お前に、謝りたいことが…。」「いいよ。」「は?」「どうせ大和のことだから、細かいこと気にしてるんでしょ!大和が私に謝ることなんて何もないわよ。…謝るのは、私の方だしね。」「なんでお前が、」瑞穂は目を伏せる。「…私、甘えてた。大和にも、名村さんたちにも、皆に。」「…」「結局、なんだかんだで自覚してなかったのよ。自分の役割とか、その責任の重大さっていうのを。…私、当事者なのにね。私の生死に、皆の命運がかかってるかもしれないのに。…大和のこと、一番信じてあげてるなら、私も何か頑張るべきだったのよ。味方を作るなら、人間である私が率先して動くべきだった。これまで、私から何か行動したことなんてなかったもん。いつも大和や他の人に任せてばっかりで…。守られてばっかり。」「瑞穂…、」「これからは、私も頑張る。私に何か出来ることがあるならする。だから、そういうことも含めて全部、ちゃんと言ってほしい。大人だからとか、子どもだからとか、関係なくね。…だから、一緒に頑張ろう、大和。」力強い表情で大和の手を取る瑞穂。「…一緒に、」「ずっと…ごめんね、大和。一人で背負わせて。…私もちゃんと、頑張る。だから…一人で悩まないで。私達、一心同体なんだから!運命共同体、ってやつ?…二人で生き残る、って…決めたんだから。」「…」意思のこもった力強い瑞穂の目は、大和の目の奥を射貫く。「…私がもっと早く動いてれば、大和だってあそこまで人間不信になることもなかったんだろなーって思ったらさ。」困ったように笑う瑞穂。そんな瑞穂に、大和も表情を緩ませる。「…お前って奴は…。」「ん?」
―――…今、わかった。秋津瑞穂は、もう、ただ脅えて助けが来るのを待っているだけの、守るべきひ弱な庇護者なんかじゃない。―――『最後まで"生き残る"!…二人で!…よ。』―――あの時の瑞穂の言葉が、脳内を反芻する。こいつは私の―――…。
―――大和は、握り込まれていた右手で瑞穂の手を取ると、握手をした。「…敵わないな。―――相棒。」「!」その発言と、久々に生気の宿った大和の目を見て、瑞穂も強気に微笑みながら、それに応えるように手を握り返した。