8月中旬


お盆。毎年恒例だけど、田舎のおばあちゃんの家に遊びに行くことになった。電車では行きづらい場所にあるので、車で行くことになった。高速道路で居眠り運転の事故に巻き込まれそうになったものの、大和の適格な指示と、お父さんの安全運転で助かった。おばあちゃんの家は田舎にあるので、高速を下りた後は、比較的車通りの少ない道を通ることになった。「それでさぁー、友帆ったら…」車はトンネルに突入していた。豊里が学校での出来事を話している時だった。突然大和が身を乗り出した。「お父さん、スピードをあげてください。出来れば…いや、全速力でお願いします。」「えっ?」「このままだと、車ごと潰れます。」大和がそう言った直後だった。私達が通過した背後で、トンネルが崩れ落ちたのだ。音に驚いて後ろを振り返ると、連鎖反応的に天井が崩壊している様が見えた。そしてそれは、私達のいる方向へと向かってきている。その光景を窓越しに目の当たりにした私と豊里は、慌ててお父さんを急かす。助手席に座るお母さんも、流石に顔が真っ青だ。「大丈夫です、前方に車はいません。フルスピードでお願いします。何かあればその時はまた言いますから。―――瑞穂、豊里、お前等はシートベルトを閉めろ。」大和の言葉を信じて、お父さんはアクセルを思い切り踏み込んだ。私達も慌ただしくシートベルトを取り付ける。体が後方に引っ張られる感覚。エンジンのふかす音が大きくなっていくのにつれて、私達の心臓の鼓動も大きくなっていった。今きっと、私達以外の三人は、死を覚悟していることだろう。背中をシートに張り付けながら、ちらりと横を見る。今にも泣きそうな顔をした豊里と、前のめりになり真剣な顔で先を見つめる大和が見えた。直後、視界が明るく開ける。トンネルを出たんだ。「お父さん、ゆっくりでいいです。速度を落としてください。」陽の照らす道をしばらく走ると、やがて背後から聞こえていた音がぴたりとやんだ。車のスピードが落ち、体も緩んでほっと一息つけるようになった頃、起き上がって再度後ろを振り返る。遠く、私達が通ってきたはずのトンネルは、入り口まで瓦礫で塞がれていた。大和の指示がなかったら。もう少しスピードを出すのが遅れていたら。そう思うとぞっとした。なんたって今回は私だけじゃない。お父さんとお母さんと、豊里がいる。先が思いやられて仕方ない。「前途多難すぎでしょ…。」「…老朽化だろうな。ともあれ、無事で良かった。」見ると大和も後方を確認していた。その隣の豊里が俯き加減で呟く。「こんなスリリングなジェットコースター…勘弁してほしいよ。」ジョークともとれないその言葉に、車内が沈黙に包まれた。
―――高速から街へと降り、しばらく走らせると田舎道に入った。一面、建物なんか殆どなくて、田んぼや畑ばかり。まさに田舎、って感じのところだ。久々に見たその景色に三人して目を奪われていた。やがて、車は無事おばあちゃんの家についた。瓦屋根に木造の、古い家屋。前に見た時と全然変わらない。大和のことは、「友達」だと言って紹介したが、おばあちゃんは喜んで大和を迎え入れてくれた。大和も、おばあちゃんの人懐こい対応のおかげで警戒が解けたようだ。疲れたでしょう、と言って、おばあちゃんは私達にお茶菓子を出してくれた。学校のことについて聞かれて、私達は飲み食いしながらそれを話した。豊里の例のことを知っていたようで、楽しそうに学校の話をする豊里を、嬉しそうににこにこしながら見つめていた。時計を見ると、針は午後一時を指していた。
―――私と瑞穂は、田んぼが青々と生い茂る畦道を二人で歩いていた。豊里はと言うと、畳の上に寝転んで動けないでいた。元々家にいる方が多い子だ、長時間の車移動と暑さに体が耐えられなかったんだろう。おばあさんはその付き添い。そもそもこの炎天下、外に出るつもりはなかったらしい。両親は親戚の家に行くとかで、家を出て行った。少し前を行く瑞穂は、おばあさんに手渡された麦わら帽子を頭に乗せている。そこに収まりきらない金色が、陽の光に反射して輝いている。見上げると、体を焼き尽くさんばかりに降り注ぐ太陽の光が眩しかった。空は真っ青で、四方どこを見ても山の縁まで大きく開けている。そしてその青の中には、巨大な入道雲が存在感を露わにしていた。足元には、都会では滅多に踏みしめることのない土の感触。靴の下からは、ジャリジャリとした音が聞こえた。山で鳴いているのだろう、遠くから聞こえる蝉の声がうるさい。暑さで歪んだ視界が、気温をあまり意識しない筈の私にもそれを感じさせた。―――都会と田舎とでは、こんなにも違うものか。これも人間達が作り上げた世界だと考えると、なかなか感慨深い。やがて前方に、黄色の絨毯が見えて来た。瑞穂も気づいたのだろう、はしゃいで指さす。「見て見て!あれよ!あれ!ひまわり畑!えへへっ!小さいんだけどね!」瑞穂はそう言って笑うと、帽子を片手で抑えながら、白いスカートを翻して駆け出した。子供か。…以前も何度か思ったが、普段大人ぶっているくせにこういうところはやはりまだまだ子供だな。…私も、人間年齢で換算しても大人ということはないが。
―――…たまに、頭によぎってしまう。こんな子供が、”不幸”に命を狙われていること、世界の命運を握る一人だと言う事実に、どうしようもない理不尽さを感じる。瑞穂だけじゃない、きっと他の代表者にはもっと幼い子供だっている筈だ。何故、こんなやり方をとったのか。…ゲームなんて。代表者なんて。たかが守護者の私達には、神の意志を推し量ることも、ましてやそれを曲げさせるなんてことも到底できやしない。でも、瑞穂と親しくなってからはどうしても、…こうして、たまに考えてしまう。瑞穂は、たまに手を仰いだり、楽しそうに向日葵を眺めたり、蜂から逃げたり―――いつも出かける時のように、普段味わえない体験を存分に楽しんでいた。瑞穂が動くたびに、金色が踊る。向日葵と戯れる、同じ色を持つ、笑顔の少女。この風景がいつか失われてしまうかもしれないことを考えると、自分の立場などに関わらず、神を恨む気持ちが芽生えてしまう。わかっている。人間のしてきたこと、していること。わかってはいるつもりでも、このゲームについては文句のつけどころしかない。―――…だが。「―……」ふと、天を仰ぐ。空を見たからと言って神が見えるわけでもない。ただただ、果てのない青空が広がっているばかり。恨む気持ちと同時に、代表者については―――…どこか、瑞穂で良かった、なんて思ってしまっている自分がいるのも事実だった。もし瑞穂でなかったら、私は人間を生かしたいと思っていただろうか。代表者を守りたいと思っていただろうか。…己のことを、顧みていただろうか。無から唐突に生まれ、己の正体もはっきりとわからないような私を受け入れ、信じてくれた瑞穂。大きな笑顔を持ち、周りの人間から大切にされ、…周りの人間を大切にし、まっすぐ育った―――誰よりも人間らしい、平凡な少女。
「どうしたの?まさか暑さにやられた?」気づくと、目の前に瑞穂がいて、私の顔を覗き込んでいた。その顔は無邪気というかなんというか。それを見ながら思う。――…このゲームにはもう、止める術はない。それほどまでに神は本気だ。だが、こいつを守ることはできる。しかもそれが、数多くの人間達を救うことに繋がる。すべては、私の力次第だ。私がやらなければならない。私が絶対に、瑞穂を守る。「いや…私でもかなり暑いとわかるのに、よくもそんなに動けるもんだなと…。」「え?ごめん、勘違いだったら悪いんだけどもしかして、」「馬鹿にしてる。」「ちょっと!!!」「そう言えばこの炎天下、そんな恰好でいたら日焼けするんじゃないか。」「あっ!!?そうだ!!日焼け止め塗んの完全に忘れてた!!なんでさっき言ってくれなかったのよ!!」「私も今気づいたんだ。」「あーあ、もういいや…。プールとか行ってどうせ焼けるんだから…。いいからほら!大和も行こうよ!」そう言って私の腕を掴んで引っ張る瑞穂。その腕を見ながらふと気づく。―――…思えば、いつも振り回されてばかりだな。瑞穂の言葉で考えが変わり、瑞穂の態度で心が揺らぐ。私の世界は、生まれてこの方、瑞穂を中心に回っている。瑞穂に見えないところで、困ったような笑みを浮かべた。

夕方、皆で歩いてお墓参りをした。お墓に行く途中、古民家や古い町並み、ずらっと並んだ墓石を見て、大和は何か思うところがあるみたいだった。「ここには先祖代々、うちの家系が入ってるの。」そう説明すると、「…そうか。」とだけ呟いた。
――――縁側に座っていると、おばあさんが話かけてきた。「その服…似ているわね。」指摘されて初めて気づいた。その時代を経験してきた人に対して、こういった服装を着ていることは不謹慎、失礼に当たるのではと。「あ…すいません、これは、」「あら、ごめんなさい。そういう意味じゃなかったの。大丈夫。わかってるわ。娘に聞いたのよ。何か、理由があるのよね。」「…お母さんが、」やはり言わずとも何か察しているようだ。「…」そこでふと思った。戦争を経験し、長い人生を歩んできた多くのご老人たち。人間の良い部分も悪い部分もあますことなく全て見てきた筈。その上で今回のこのゲームのことを知ったら、一体どう思うのだろう、と。聞いてみる価値はありそうだ。「その…少し、変な質問をしてもよろしいでしょうか。」「うん?私で良ければどうぞ。」「たとえば…たとえばの話なんですが、仮にこの世に神様が存在するとして…。」「神様…、」「えぇ。その神様が、これまで人間が行ってきた数々の問題行動に辟易しているとします。」「…戦争、とかかしら。」「…はい。人間同士の争いは勿論、他の生命を脅かす行為や、環境破壊といった…地球に対する冒涜などもです。…そこで、怒った神様が、人間側には何の断りもなく、神と人間の間で、わけのわからない賭け事を始めるんです。その賭け事に神が勝てば人間は滅び、逆に人間が勝てば生き残る、なんてルールで。しかもその賭け事には、人間の犠牲が伴う。…そんなことが、勝手に進められていたとしたら…人間であるあなたはどう思いますか?」「…」 黙りこくるおばあさん。その反応を見て、しまったと思った。もっと簡潔にわかりやすい例え話にでもすれば良かったと。「あ…、すいません。わかりにくかったでしょうか…。」「いいえ。ただ…人間を滅ぼしたいって考えてるなら、その神様はどうしてそんな賭け事なんてするのかしら?」「…わかりません。なぜそんなまどろっこしい方法をとったのか…。」嘘だ。本当は、なんとなく思っていることがある。ただ、確証がないだけで。神は―――本当はまだ、人間に期待しているんじゃないかと。「でも、私達の立場からの意見が欲しいのよね。そうね。だったら…。一番はやっぱり…文句を言いたいわね。」「…文句、ですか。」「もしその神様っていうのが、私達と意思疎通のできる存在だったら、の話だけど…。そうね。私達人間に不満があったのなら、そんな賭け事を始める前に、どうしてそれまで何も言ってくれなかったのか、問い詰めたいかもしれないわね。賭け事をするにしても、少しくらい教えてくれたっていいのにね。私達人間は、人に言われるまで本当の意味を気づけないことの方が多いから…。」「…」「…私達は、話せるんだもの。動物達とは違って。話して、分かり合う生き物なのよ。注意されれば己の行為を省みるし、次からは気を付けようって思うものよ。…尤も、そうでない人も大勢いるわけだけど。だからこそ、戦争なんて起こったりするんだもの。」「…」「神様は話せないとか、これまでに何度か人間への警告は出してた、とかなら、もう私達に言えることはないだろうけど。…でも、それでも、…どこか悲しいわね。」「…悲しい?」「えぇ。だって…私達人間だって、精一杯生きてるのに。」「!」「他の生物たちと形は違えど、私達だって生きるために必死になって…辛いことや苦しいことがあっても、それでも頑張って乗り越えて来て…。そうやって生きてきたんだもの。私達には言葉があるし、頭脳もある。だからこんな生き方をしているし、してしまうけれど…やっぱり根本は、命を授かった他の生き物とあまり変わらないんじゃないかしら。生きるために奮闘して、心の奥底では誰だって生を望んでる。…確かに他の命を奪ったり、環境を壊したり…良いことをしてきたとは言えないかもしれないわ。そこに関しては…何も言えないけれど。でも、私達も、…私たちなりに後悔して、反省して…改善しようと、良くしようと努力していることもたくさんある。してきた過去の行いはどうにもできないけど、私達は未来を変えられる。技術も研究も医療も、日々進歩させているんだから。…その辺りも…少し考えてほしいところではあるかもね。」「…」「…大和ちゃん?」「あ、…いえ、すいません。…やっぱり、瑞穂のおばあさんだなと思って。」「あら。ふふ、そう感じた?」「えぇ。」「…参考になったかしら。」「はい。…とても。」笑顔で答え、夜の田舎の景色に目を移す。虫の声と木々のざわめきしか聞こえない、その静音が心地よかった。