ここは日本の東京。晴れやかな昼下がりの時間、ビルが連なる町の中心地に、突如として巨大な影が現れた。黒くぬめる軟体に、太い尻尾。そして4本の足を持つ様は、まるでオオサンショウウオのようだ。ビル3階相当の高さがあり、体長も100Mはあろうかというほど。目のような器官は見当たらず、巨大な口と長い舌で障害物を次々と押しのけていく。傍らには、同じような造形をした小型の個体を数十体引き連れている。だがその"小型の個体"さえ、いずれも軽自動車よりは大きい。その謎の生物達は、周囲の人間や建造物を物ともせずに、心置きなく東京の町を闊歩していく。人々はその存在に気づくや否や、混乱し、悲鳴を上げながら逃げ惑った。スピーカーからは警報が鳴り響き、直ちに逃げるようアナウンスが流れている。上空では、その光景をカメラに収めようと、テレビレポーターが乗ったヘリが旋回していた。
その様子をビルの屋上から眺める、黒いスーツに身を纏った長身の影が3つ。その手には、何やら剣のような、古代のレイピアのような白く輝く武器が携えてあった。「ったく、めんどくせーな…。」巨大生物を見下ろしながらそう呟くのは、目に隈を添えた茶髪の女性。眉を顰め、気だるげな様子を見せる彼女は、名をヤオロアと言った。「あれだけ大きいの久々じゃない?っていうか、いつの間に来たのよ、アレ。」次に呟いたのは、クールビューティという言葉が似合う、美しく長い黒髪を下ろした女性。長いまつ毛を伏せ、ヤオロアと同様に巨大生物を見下ろす彼女は、ノーディスと言った。「海から来たらしい。数週間前、太平洋のどこかに落下したやつが、ここまで辿り着いたんだろう。」ノーディスの質問に答えたのは、前髪を真ん中で分けて、長い後ろ髪を一つにまとめた女性。落ち着いた雰囲気を纏う彼女は、ムエラと言った。「ほんとに使えねえな、探査機。」「ザルよね。」「文句はケォンに言え。」「ケォンの前に、じゃない?」「仕方ねぇだろ、技術的に。」その時、3人が耳に付けているインカムのような装置から、男性の声が聞こえてきた。『聞こえるか?ムエラ。』「あぁ。問題ない。で、どうだ?」『巨大な"親個体"を中心にして、半径およそ200M圏内に、子個体が20体ほど散らばっている状態だ。』「そんなにか…。」『海からもまだどんどん来てるぞ。』「まだいるの!?」「たまたま居住者の少ない地域で助かったな。」「人が襲われる前に、さっさと小さいやつから片付けた方が良さそうだな。――――それでいいか?」『博士の見解では、増殖型でもネットワーク型でもないそうだ。それで構わないだろう。』「ということだ。」『自衛隊も既に動き始めている。避難誘導も進んでいるそうだ。』「じゃあさっさと行くか。」直後、3人はすぐさまビルの屋上から飛び降りた。十数階の高さから飛び降りたにも関わらず、それをものともせずに地面へと着地する。ヤオロアとノーディスは間髪入れず、そのまま素早い動きで近くの小型生物の元へと駆けていった。そしてその並外れた脚力と跳躍力を用いて飛び掛かる。手にした武器を駆使しながら、小型生物の体を、足を、伸びてきた舌を、次々と斬って、刺しては、絶命させていく。二人は華麗な、女性らしいしなやかな動きをしながらも、力強いパワーで次々に敵を一掃していく。やがて周囲の敵を片付けたヤオロアが後ろへ飛び、アスファルトを滑るようにして停止した。その隣にはノーディスが佇む。「そんな強くねぇな。」「食欲が旺盛なだけなのかもね。」ノーディスの言葉に振り返ると、化け物たちが通過した後の光景が目に入った。信号機は折れて、上部が欠けている。ガードレールには半月状に抉れた穴が開いていた。ビルの外壁は大きく抉れ、その内部構造が丸見えになっている。奴らが、町中を歩きながら、あちこち齧りついては貪り食った様子が窺えた。「……節操ねぇな…。」「人の星で食べ歩きなんていい度胸よね。」その時、小型生物の進行方向の先に、人影が現れるのが見えた。二人は咄嗟に駆け出して、高速で移動する。ヤオロアが女性を抱えて避難させ、ノーディスが化け物の脳天を貫く。「あ…っ、ありがとうございます…!!」「さっさと逃げろ。」ヤオロアは女性を下ろすと、特に気にするでもなく、すぐにまた別の個体に向かって駆けて行った。女性を安全な場所へ誘導した後、ノーディスもヤオロアに続く。「キリねぇな。」「私も思ったところ。海からも続々来てるんでしょ?」「親個体殺せば止まんのか?」「だったらムエラが―――」その時、またインカムに音声が入った。『ヤオロア、ノーディス。』聞こえてきたのはムエラの声だった。「どうした。」『こっちに来てくれ。』"こっち"というのは、ムエラが向かった親個体のいる方角だろう。「他のはいいのかよ。」ヤオロアとノーディスは、より多くの子個体を片付けるよう指示されていた。『避難が大方完了したみたいだ。自衛隊やら米軍の戦闘機やらも到着し始めてるらしいから、一旦任せよう。それよりこっちだ。』「…わかった。」指示に従い、ヤオロアとノーディスはムエラの元へと向かった。
――――「こいつだけ再生する。」「!」到着した二人に見せるように、ムエラは手に持った武器で親個体を斬りつけた。だが、傷は数秒で元通りに修復された。「…めんどくせぇな。」「ていうか…アレじゃない?原因。」そう言ってノーディスが指す先では、親個体の腹部あたりから、数本の触手のような管が伸びていた。それらは地面に突き刺さっており、まるで地面と一体化しているようだった。「…あー…。どういうことだ?」「…あぁ、そういうことか。地下から摂取した成分を使って、体を再構築してるってところじゃないか。」「知らぬ土地の知らぬ成分摂取して、だなんて、そんなの下手したら死ぬんじゃ―――……あぁ、そういやあの小さいのも、手当たり次第に色々食ってたわね。」3人が会話を交わしていたその時、親個体の口がぐわっと開いた。次の瞬間、長い舌が勢いよく伸びると、3人に向かって襲い掛かって来た。3人は動揺するでもなくそれを避ける。そしてムエラがその舌を切り落とした。少し離れたところに着地した3人は、切り落とされた舌がびたんびたんと地上で蠢いている様を眺めていた。「うげー…気持ち悪…。」そして斬られた舌の根はと言うと、やはり先ほどと同じく、すぐに再生して元に戻った。それを確認すると、3人は何事も無かったかのように話を続ける。「まぁ、地上まで降りてきて長期間生存出来ている時点でな。奴らにとって、ここはうってつけの環境なんだろう。吸収した成分についても、体に適合するものだけ上手く抽出しているんだろうな。」「便利な体だな。…ともかく、厄介なことには違いねえ。」そこではたと気づくヤオロア。「おいノーディス、お前さっさと"解錠"しろよ。」「嫌よ。疲れるもん。」「お前…。」「それに、無尽蔵に再生できる今この段階でやったとて…だな。なら――――」そう言って走り出すムエラ。それを黙って見送る2人。ムエラは走って、親個体との距離を詰めながら何事かを呟く。「“ ”」それから1秒も経たないうちに、ヤオロアの近くで、後ろに滑りながら足を止めるムエラの姿があった。「斬ったぞ。」ムエラの言葉と同時に、親個体の全ての管が断ち切られ、その巨体がゆっくりと崩れ落ちていく。「相変わらず仕事が早ぇな。おい、ノーディス――――」ヤオロアが呼びかけようと振り返るが、既に姿は無かった。「…あいつもか。」いつの間にか親個体の上に乗っていたノーディスは、剣先を親個体へと深く突き刺した。その際、武器の内部でスイッチが切り替わり、その剣身が伸びる。そしてノーディスは、ムエラと同様に何事かを呟いた。「“ ”」次の瞬間。鼓膜が破れんばかりの金切り声が、辺りに響き渡った。かと思えば、親個体の体がぼこぼこと音を立てて変形していく。咄嗟にその体から飛び退くノーディス。ヤオロアとムエラの元へ着地すると、2人と並んで親個体の様子を見届ける。悲痛な叫び声をあげ、暴れながら、体を次々と崩壊させていく。周りの木をなぎ倒し、ビルの窓を割って、壁を破壊し、体から血を噴出させる。やがて親個体は壮絶な最後を遂げると、肉塊になってその場に崩れ落ちた。ズゥゥン…という音を立てて、地面を割り、煙を立たせる。暫くして、動かなくなった個体を見ながらヤオロアが呟いた。「…いつ見てもエグイ力だな…。」それに対しさらっと返すノーディス。「楽に勝てるんだからありがたく思いなさいよ。」「こいつはもう良いとして―――…他は?」『まだ残りがいる。』ムエラがインカムで仲間と連絡を取り合っている間、背後ではノーディスとヤオロアが武器の仕様について文句を言い合っていた。「剣身が若干伸びにくい」「だから早く改良しろって言ったんだ」「ケォンにクレームだな」そんな二人に振り返ると、ムエラが告げた。「行くぞ。」
――――海から上がって来た子個体達に対して、自衛隊の戦車や戦闘機がミサイルを打ち込んでいく。『おそらくあの数体が最後だ。』『了解。』そうして更に攻撃を仕掛けようとした時だった。『!?』複数の人影が現れ、それぞれが個体に飛び掛かっていく。『危ない…ッ!!』放たれた砲撃を、人影はいともたやすくかわしながら、目標の個体に向かって攻撃を仕掛けていった。そうして、自衛隊達が数分かけて減らした個体達を、3人の人影はものの数秒で倒してしまった。「……とんでもねぇな…。」その光景を見ていた戦闘機のパイロットが思わずつぶやいた。
――――瓦礫の上に座り込み、人々があわただしく移動する様を眺めるムエラ、ヤオロア、ノーディス。自衛隊は現地確認や瓦礫の撤去に追われ、消防士は火災の鎮火に奔走している。軍人たちは取りこぼしがないかと、現場をくまなく確認していた。大忙しだと言わんばかりの人々を眺めながら、ノーディスが呟く。「…にしても、なんか最近多いわね。」それにヤオロアが答える。「今月だけで3体目か?…その度に復興じゃあ、あいつらも大変だな。」「まぁ、場所が集中しないだけましってところかしらね。」二人の会話を聞いて、ムエラが遠い目をしながら人々を見つめた。「…1年半だからな…。各所から到達するには十分すぎる年数だ。」「敢えて来る奴らもいるんだろうな。」「あぁ。だが、今日の個体は知能なんてあったもんじゃない。おそらく、流れ着いたものだろう。」「大きさも特性もそれぞれで…共通点なんて、なんともわかんないわね。」「地球の環境に適合できずに死ぬ個体もいるとか。あとは大気圏突入時に塵になって消える個体もいるそうだな。」「なんだそれ。あほか。」3人が視線を移した先には、犬のような形をした数体のロボットがいた。車ほどの大きさをしたそれは、先ほど3人が倒した個体達を貪り食っていた。「ご苦労ね~。良い感じに燃料にしてねー。」「ところであのデザインセンスはどうかと思うぞ。」「なんでよ。可愛いじゃない、"イヌ"。私は好きよ。」「ケォンが気に入ってたからな。」「そういや今回は個体の捕獲は出来たのか?」「博士が手配して確保済みだ。」「さっすが~。」「可哀想にな。」そんな風に会話する3人の元へ、一人の自衛隊員が駆け寄る。「お疲れ様です。ありがとうございました。後は我々にお任せください。」「すまない。」「悪いわね。」「お疲れ様。」そう言って3人は立ち上がると、遠慮なくその場を後にするのだった。
白く、無機質な廊下を三人が歩いていく。やがて、広めの休憩スペースのような場所に出ると、そこには見知った顔が並んでいた。ムエラが軽く声をかける。「また紅茶飲んでるのか、ユェル。」ユェルと呼ばれた、桃色の髪をポニーテールにまとめた女性は、ソファに座ったまま、優しい笑みを浮かべて振り返った。「皆お疲れ様。えぇ。今日のはルイボスティーっていうの。美味しいわよ。」そこにノーディスが口を挟む。「それってちゃんと検査したの?」「多分大丈夫よ。こんなに美味しいんだから。」「いや、理由になってないぞ。」ムエラが突っ込むと、ユェルの前の席に座った、赤髪で目つきの悪い女性―――メルドが、新聞に目を落としたまま呟いた。「私は止めたからな。あとは知らねぇぞ。」そんな風に雑談をしながら、3人もユェルとメルドの近くに腰を下ろす。ふと、ヤオロアが気づいて問いかけた。「ホウリィとニセコはどうした。」ユェル「知らないわ。気づいたらいなかった。」メルド「どうせまた"休憩"してんだろ。」ノーディス「どうせあそこじゃない?」ムエラ「あぁ…。」ユェル「ところで、今日はどうだったの?」ノーディス「まぁまぁね。」メルド「なんだ、まぁまぁって。」ノーディス「楽な部類だったけど、なんかぬめぬめした個体で、微妙に斬りづらくてね!ちょっと疲れたのよ。」ヤオロア「あぁ…だからか。」ムエラ「言われてみれば確かにそうだったな。」そうして一息の休息タイムに入ったところだった。ムエラ達が現れた廊下の奥から、今度は白衣のような服に身を包んだ褐色肌の女性と、目つきの悪い黒髪の女性の二人組がやってきた。褐色肌の女性は調査班の主任だ。もう一人はその助手だ。主任「皆お疲れ様!」助手「相変わらずくたばりそうもないな。」ノーディス「憎まれ口叩かないと挨拶も出来ないの、あんたは。」主任「セイドは?」ムエラ「今日は確か中国へ行ってる筈だ。」主任「本当に働き者ね。この前までアメリカにいたんじゃなかった?」ノーディス「働き過ぎなのよ。」ヤオロア「…」その会話を聞いていたヤオロアは、どこか考え込むような目をしていた。だが他のメンバーはいつものことだと、特に気にしない素振りを見せる。ムエラ「確か1週間は戻らないぞ。」主任「あらそう。じゃあまた戻って来た時でいいわね。私の用件は別に急ぎじゃないし。」助手「無駄足でしたね。」主任「しょうがないわね。そう言えば、ケォンも会いたがってたわ。」ノーディス「でしょうねー。」すると更に一人の女性が現れる。またしても白衣のような出で立ちの、目が虚ろなダウナー系の小柄な女性だ。「なんだ。今度は博士か。」彼女は生物研究班の博士だった。「お疲れ様だ、諸君。おかげで数体、個体を確保できたよ。」「それは何より。」「で?その個体はどうするってわけ?」「安心しろ、調査が終わって問題が無ければ、数日後朝食にでも出してやる。」「燃料になるか、料理になるかの瀬戸際ね。」「旨そうな見た目には見えなかったがな。」「ゲテモノ料理だけはやめてよね…。」「もう少し数を確保してくれれば、料理の割合が増えたかもしれないがな。」「やめてくれ。」その時、博士がふと何かに気づく。「おや、ユェル。その紅茶は許可した覚えは無いが。」「あら博士。『"紅茶"と名の付くものは大体成分が同じだよ』って言ったのはどこのどなたかしら?」「私は『大体』と言ったんだよ。極小成分が君達の体に影響を及ぼす可能性だってあるんだ。さぁ、検査しないとね。」「え…?」ノーディス「じゃあね、ユェル。」
ユェルが連行されそうになった時だ。壁にかけてあった大型テレビから、突如、臨時ニュースを知らせるアナウンスが流れる。思わずその場にいた全員が振り返った。緊急のテロップが流れ、アナウンサーが冷静に告げる。どうやら、日本の北関東の山奥で爆発が起こったようだ。ヘリからの中継映像が流れる。木が鬱蒼と生い茂った山々の間から、もくもくとした煙が立ち込めていた。少し離れた村から現地のレポーターが告げる。周囲の住人に聞いたところ、ドオォォン、という轟音と共に、地響きと爆風があったのだという。幸いにも村からは距離があったため、民家が被害を受けることはなかったようだ。そしてアナウンサーが続ける。『あまりに強い威力の爆発だったようで、現場にはクレーターができている模様です。専門家によりますと、周囲の防犯カメラ等の映像から、上空からの攻撃とは考えにくく、この爆発は、先日の地震の影響で地中に埋まっていた不発弾が誘爆した可能性があるとのことです。周辺にお住まいの皆さんは、引き続き土砂崩れなどに十分警戒を行ってください。…』一連の報道を眺めた後、一同は何事も無かったかのように各々視線を戻した。そんなムエラ達を見て、助手が声をかける。「お前ら行かなくていいのか。」ノーディス「なんでよ。どう見たって私達の管轄外じゃない。」ユェル「ほら、私達って戦闘専門でしょ。」メルド「国内のトラブルは警察だとか自衛隊の仕事だ。」助手「そうかよ。」完全くつろぎモードな彼女達を見て、主任が助手へ声をかける。「私達はそろそろお暇しましょう。」「そうですね。」「私も戻るかな。」調査班の二人と博士が立ち去った後、テレビのニュースの話題は別の内容に切り替わっていた。その場に残った者たちは、もう誰も気にも留めていないらしく、目にも耳にも入っていない様子だった。『続いて、次のニュースです。本日午後2時ごろ、東京都港区内に巨大生物が出現しました。この巨大生物は、太平洋の沖合から東京湾を経由して上陸したものとみられています。『特殊防衛部隊』の隊員3名が出動し、討伐作戦を実施。巨大生物はすでに鎮圧されたということです。現場周辺では、建物の損壊や信号機の破損、道路の陥没などの被害が確認されており、被害額は数億円に上る見通しです。負傷者は、港付近にいた数名と、避難の際に転倒した女性1名が確認されています。…』
夜も更けた頃。とあるビルの一室。窓の外へ体を向けながら、タブレットを操作する長身の女性が一人。彼女は、黒いスーツに身を包み、黒く長い髪を一つに束ねていた。その顔には笑みが浮かんでいる。手元のタブレットには、先ほどのムエラ達の活躍がまとめられた、ネットニュースが映し出されていた。一通り記事を眺めて画面をスクロールすると、関連ニュースとして、夕方に発生した爆発のニュースが掲載されているのが目に入った。それを目にした途端、女性は何かを思い出したようにブラウザを閉じると、今度はアプリをタップしてチャットを開く。すると、笑みを消して、その中身を真剣な眼差しで読み始めた。日本語でも英語でもない、長文で書かれた奇妙な文字の羅列を、瞳を動かしながら高速で読み進めていく。そして読み終わると、また別のチャットを開いた。その文章を目にした瞬間、女性の目は訝し気に細められた。「セイドさん。」名を呼ばれて、女性は振り返る。「すみません、お待たせしました。」扉付近に立った、スーツに身を包んだ男性から呼びかけられた途端、女性――――セイドの口元には、真意の読めない、怪しげな笑みが浮かんでいた。「いえ。今行きます。」セイドはタブレットを閉じると、男性の元へと歩き出した。そして歩きながら、ズボンのポケットから手のひらサイズの小型端末を取り出して、それをこっそりと眺めるのだった。