高層ビルの屋上。「は~~…流石にこの高さは寒ぃーな~…。」マントに身を包み、壁に寄りかかりながら両手をすり合わせるドナ。その横でルイザが、双眼鏡を使いビルの入り口付近を見下ろす。「お前なんで来たんだよ。」「しょーがねぇだろ!二人一組が鉄則なんだからよ。私だって来たくて来たわけじゃねえよ!」「ったく…。」ぐちぐち文句を言うドナにため息をつくルイザ。「んで?ターゲットはまだか?」「あー…多分まだだな。会合が長引いてるらしい。」「あ~~もう、早くしろよな!こっちは寒ぃーんだからよ!」「さっきからうるせぇな…。」若干イラっとしたルイザだが、監視しているエリアの中で人が慌ただしく動き出した様子を捉えると、その場へ意識を集中させた。「そろそろだな。」そう言いながら手元の銃を握り、準備を整える。「…相手もまさか、こんなところから撃ってくるとは思わねえだろうな。」「そうか?銃性能を考えると十分ありえなくはねぇぞ。」かちゃん、とリロードをする。その回答に呆れた顔をするドナ。「こんなん撃てるのお前かギルくらいだよ。」手元の位置を定め―――スコープを覗いた瞬間、ルイザが集中モードに入る。それを感じ取ったのか、ドナも無駄口を叩かずに黙り込んだ。風が吹き、二人の髪が靡く。鈍色の空は、今にも雨が降り出しそうだ。そこに鳥が2匹、優雅に通り過ぎる。静寂が辺りを包む。―――…と。ぱん、という乾いた音を立てて、ルイザと銃身が若干揺れた。ルイザは銃を持ち上げ、手元に引き下げた。―――弾は見事、ターゲットの頭にクリーンヒット。男は頭から血を噴き出しながらその場に倒れる。周囲の人々は男に駆け寄り、辺りを見回している。ドナはその様子を、隠れながら双眼鏡で見治めると、思わず口笛を吹く。「相変わらず人間業じゃねえな。一発かよ。」「さっさと帰るぞ。」ちゃっちゃと身支度を始めるルイザ。「お前判断早すぎ。」「万が一のためだ。―――おい。」さっさと手伝え、と言わんばかりに目線をドナに送る。「はいはい。」それに素直に従うドナだった。
―――「そういやぁ、今日の天気はあの日みてぇだな。」ルイザが車を走らせ、ドナは助手席で窓枠に肘をつきながら外を眺めていた。「…お前にも郷愁を感じる趣きがあったんだな。」「…お前私のことなんだと思ってんだ?」
―――7年前。
ドナは元々別の組織――マフィアに所属していた。孤児だったドナを拾い上げたボスが、ドナの力量を見込んでマフィアとして育て上げた。ボスはそれなりに年齢を重ねており、頑固で厳格な性格をしていたため、ドナのことは甘やかさずに―――だが明確に、娘として育てていた。組織は当然男ばかりで、年齢層も高め。ボスも構成員も威圧感の強い人間が多く、集合すると、いつもどこか重たい雰囲気を漂わせていた。構成員はよくアジトに集まっては賭け事をし、喫煙者ばかりいるその建物はヤニ臭くてたまらなかった。密売、取り立て、殺し――――悪いことは何でもやった。だが、ドナのことは可愛がっている構成員が多かった。
ドナが16歳になったある日、ボスに突然呼び出しをくらった。当時のドナは黒髪のショートヘアと、まるで少年のような出で立ちをしていた。その顔にはまだ眼帯はない。呼び出し等よくあることだったため、特に気にせずボスの部屋へと向かう。扉を開けつつ、いつもの調子で世間話を始めるドナ。「よぉ親父、聞いたか?アルヴァーの奴がさ――」「ザバナ地区に馬鹿でけえ廃工場があるだろう。」ボスは、ドナの言葉を遮るようにして喋り出した。不思議に思いつつも答えるドナ。「?あぁ。」「そこに"ある人物"が、明日の午後10時にやってくる。」話が見えない、とばかりに困惑するドナ。殺しや取引等の仕事の話なら、いつもは一番最初に説明がある筈だ。それが今回はない。ドナに構わず、ボスは話を続ける。「そいつを0時までに消せなかったら――…お前はこの組織を抜けろ。」「…は?」あまりにも突然の話だった。世間一般的に見れば、"マフィア"と呼ばれるこの組織は、さぞ醜悪で、酷いものだろう。だがドナにとっては、ボスも組織も家族同然だった。戦闘スキルを上げ、一人でも仕事をこなし、構成員からも可愛がられていた自分は、それなりに今の立ち位置で上手くやれているのだろうと思っていた。にもかかわらず、父親のように思っていた初老の男から放たれたその言葉。とてもではないが信じられなかった。自分は一生、この組織の中で生きて、やがては死んでいくのだと思っていた。「抜けてもらう…って、なんだそれ、」動揺してそれしか言えなくなったドナに何も言わず、背を向けるボス。そして、ドナの心を打ち砕く一言を放つ。「…日頃から使えねえと思っていたが…。やっぱり女は駄目だな。」「…ッ!!」その言葉が冷たい氷の槍となり、ドナの心臓を貫いた。体温が急激に下がる感覚。胸が痛い。苦しい。思わず心臓のあたりを握り締めるドナ。「使えねえってなんだよ…!!私は、ちゃんとやれてただろ!?」必死にボスに食って掛かるが、背を向けたままのボスは何も言わない。振り返らない。「…ッなんだよ、それ…ッ!!」そこでハッと気づいた。『組織を抜けろ』という言葉に気を取られ、大事な言葉を忘れていた。「…だったら、証明してやる。」ドナのその言葉に、わずかに振り返るボス。そのボスの顔目掛けて、ドナは歪にも強気に笑った。「…勝てばいいんだろ?勝てばよ。…余裕だっつーの。」ドナのその答えにも、ボスは動じなかった。
―――ルイザは、内紛の酷い地域で生まれ育った。生きるためには殺すしかない。そんな世界で生きていた。そこに偶然訪れた当時のボスに、腕前を見初められてスカウトされる。傭兵として育て上げられた、殺し屋の集団だ。個性的で一匹狼的なメンバーが多く、まとまりがない。ボスは若手の白人で、軽いノリの男だったが、かなりのやり手ではあった。何を考えているかよくわからない面があり、経歴も謎だった。突飛な発言や行動が多い人物だった。ボスが若いため、自然と構成員も若手ばかりになっていた。仕事などで個人行動が多く、大体バラバラで、構成員同士が一緒にいることは少なかった。ルイザも当時同じく16歳で、ショートヘアをしていた。そしてその顔には、まだ傷がない。ルイザが射撃の練習をしていたところ、ボスがやってきて口笛を一つ吹いた。「さっすがうちのお嬢様だな。俺が見込んだ甲斐があったってもんだ。」振り返りながらリロードをするルイザ。「そのお嬢様ってのやめろよ…。そんなガラじゃない。」「何言ってんだ。うちの紅一点だぞ。」「…女であることに、これ以上の不利はない。」戦場で生きてきたからこその彼女の台詞だった。それに対して何も言えずにいるボス。だがやがて、意を決したように口を開いた。「ルイザ、お前に一つ命令がある。」トーンも表情も平坦に、突然ボスが話を切り出した。まるでその心を悟らせないとでも言うように。「明日の午後10時…ザバナ地区の廃工場に、ある人物が現れる。そいつを0時までに始末しろ。…それができなければ、―――お前はクビだ。」「…は?」いきなりすぎて混乱するルイザ。そんなシステム初めて聞いた。その上、たった今、銃の腕前を褒められたばかりにも拘らずの、その言葉だった。確かに構成員とはろくに交流もなかったが、ボスとはそれなりに上手くやれていると思っていた。それが、このザマ。「な…何言ってんだよ、なんでいきなり…そんな、」胸倉を掴み上げ、ボスに食って掛かるルイザ。だが、ボスは表情一つ変えずに冷淡にルイザを見下ろす。そのボスの様子に一瞬怯むが、続けるルイザ。「…ッ随分勝手じゃねえか…!!人のこと誘って、いきなり仕事押し付けておいて、―――…今度は急にやめろだなんて…!!」だが、とふと思った。もしかすると、それほどまでに重要な人物なのだろうか。そんな大層な仕事を自分に任せるということは、やはり信頼してくれているということか?―――という思考に行きついた。普段から何考えてるかわからないヤツだが、もしかしたらきっと何か考えがあって―――…。そして、『0時までに消せなければ』という言葉が頭を過る。…そうだ、消せばいいんだ。何も条件無しという訳じゃない。相手を殺せれば…。ボスは、『私ならやれる』と思っているのかもしれない。そう結論づけると、胸倉を掴んでいた手を緩めた。「…わかった。命令に従おう。」俯き、そう呟くルイザの様子を、変わらず無表情で見下ろすボスだった。
―――ザバナ地区の廃工場。建物近くの時計塔は、時刻9:50を指していた。「(親父――…)」ドナは、物陰に隠れてターゲットを待ちながら、父親代わりの男に思いを馳せていた。男に拾われてからのこの16年の記憶が蘇る。―――確かに、冷たく、厳しい男だった。だが、父親としての愛情はあったと、ドナは思っていた。それが男なりの、不器用な優しさなのだと。胸元の服を鷲掴み、口を引き結んでぎゅっと目を瞑る。男の言葉が蘇った。『…日頃から使えねえと思っていたが…。』その言葉に、胸を抉られるような痛みを感じた。だが、と、瞑っていた目を開ける。「(…成功すりゃいいんだ。)」そして、無意識に止めていた呼吸を再開する。「(そもそも私が、失敗するわけねぇだろ。)」どんなに難易度の高い依頼か知らないが、成功すればいいだけの話。数回深呼吸をして、胸元に添えていた手を離した。「(やってやるよ。やって―――親父の元に、帰る。)」決意を込めた目で顔を上げた。
時計塔を見ると、時刻は既に10:00になっていた。「(…どいつだ…?)」顔が出ないよう気を付けながら、周囲を見渡す。この辺り一帯のエリアは10年前から廃れていることもあり、人の気配が全くなかった。取引か何かがあるのかと思うが、そんなこともなく。人影も見当たらない。「…?」それから、5分…10分…と待っても、誰かが来る様子はなかった。「(どういうことだ?…場所を間違えたなんてことは…。)」いや、それか時間か?そう思いつつ、もうしばらく待つ。だが、11:00近くになっても、誰も来る気配がなかった。流石におかしいと思い、隠れていた身を曝け出す。その体には、数種類の銃が背負いこまれていた。拳銃を手にしながら、音を立てないよう注意しながら歩き始める。―――やはり、人の気配は、無い。工場の中も見回すが、何も無かった。引き返そうとしたその時。「――!!」人の気配を感じ、咄嗟に銃を構える。すると、「…あ?」「…!」そこには、自分と歳の近そうな女がもう一人、銃を構えていた。その女も、肩から銃をぶら下げていた。―――長年、人間が住んでいない地区。身なりの綺麗な女。そして複数の銃――――…思考が繋がると、どちらからともなく、手にした銃を発砲した。「「!!」」ルイザの発砲した銃弾はドナの頬を掠ったが、ドナの撃った方は宙を抜けていく。二人とも、避ける動作込みでの体勢だった。すぐさま両者、障害物に身を隠す。木箱を背にして、息を整えようとするドナ。が、思わず笑いだしてしまう。「は…、っはは、なんだよ?ただの女のガキじゃねえか。こんなのに負けると思われたのか?」小ばかにするようなドナの発言に、工場入り口の壁に背を向けながら「そりゃこっちの台詞だ。」と呟くルイザ。「あぁ?」その呟きは、きっちりドナの耳に届いていた。
――――「(―――…どういうつもりだ、ボス…。)」何故あの女を?何故組織を抜けるかの条件に、あの女を利用した?予想外の出来事に混乱するルイザ。だが、駆け寄ってくる足音を聞きつけ、咄嗟に体を捻らせる。が、「!!」そこに先ほどの女はいない。気づくと、出入口付近にあった木箱類の端から銃を握った女のものらしき手が出ているのを発見した。「ッ!!」咄嗟に銃弾を避けるルイザ。
――――「(今の避けるか普通―――…!?)」それを契機に銃撃戦が開始した。工場敷地内は、コンテナやら物が散乱しており、遮蔽物が多数ある状態だった。隠れては撃って、隠れては移動して、の繰り返し。互いに距離を詰められないよう、慎重を期した戦いだった。その合間、「――!!ドナの脇―――数cmずれていたら着弾していた、という位置に銃弾が駆け抜ける。ルイザの的確な射撃にぞっとするドナ。「(最初の一撃といい―――正確性が高すぎる。)」あの女只者じゃねぇ、とドナ。「(正攻法で挑んだところで勝てねぇ。)」
――――「―――…」ルイザはいけるな、と思っていた。撃ち合って数十分だが、銃の腕前はこちらの方が上だと確信していた。時間をかければ、こちらが負けることはないとも。だが、「!」ふと気づくと、ドナの行方が分からなくなっていることに気づいた。「あの女…ッ!」最初の時も感じたが、あの女――足が速く、動きが素早い。しかも柔軟性がある。音もなく忍び寄り、いつの間にか距離を詰めている。最初の一撃だって、本当なら仕留められた筈だった。戦闘経験からなのだろうか、銃口の向きや私の目線を見た上で、わずかな時間でこちらがどこをどう狙うか、見通せているようだった。なんという観察眼と動体視力。しかもそれに素早く動ける対応力―――…。「(頭が悪そうに見えたが、結構キレる奴なのか――…?)」そんな風に評価を見直していたところだった。「―――!」コンテナの角から、女が飛び出してくるのが見えた。「(こんなに接近してたのか――…!?)」全く音も、気配もしなかった。咄嗟に銃を構えようとするが、「!!」素早い手刀で銃が落とされる。「…!!」これを好機とばかりに、ドナは懐からナイフを取り出し、そのまま体術も交えて攻撃を開始する。「(近距離戦ならいける…!!)」銃撃戦よりも近接戦の方に自信があったドナ。ここぞとばかりに猛攻を繰り出した。だが、意外にもそれに対応するルイザ。「(こいつこっちもイケる口かよ!?)」驚きつつも気は抜かない。更に拳を振り上げる。「…ッの、さっさとくたばれクソ女ッ!!!」「こっちの台詞だッ!!!」売り言葉に買い言葉で返したものの、内心焦っているルイザだった。「(まずい…ッ!!)」近接戦は不利だとルイザ自身も感じていた。事実、次第に体がナイフで切り裂かれていく。だが、「(得意分野で攻撃ってわけだな。)」攻撃に夢中なドナは、足元のそれに気づかない。―――いや、気づかないんじゃない。"そうさせる"隙も与えない、といったところか。だが。ドナの僅かな攻撃の合間に、足技で地面に落ちていた銃を拾い上げるルイザ。「んなッ…!!」そんな…大道芸かよ…ッ!?まさかの行動に、一瞬頭がパニックになるドナ。それが命取りだった。
慌てて後ずさりしながら、遮蔽物を探すが、間に合わない。ルイザは冷静に、ドナに照準を合わせ―――引き金を引く。ドナは右側に体を捻りながら避けようとして、体の右側を下にして、地面に倒れこんだ。ルイザは息を切らしながら、動かないドナをその場で見下ろす。「(―――…焦った…。)」焦って、しまった。と己を省みる。ドナは地面に手をつきながら、よろよろと立ち上がった。「・・・・!!」右目を抑える手は、血で真っ赤に染まっていた。ルイザの銃弾は、ドナの右目を掠っていた。「やってくれたな…。」ルイザはもう一度、弾を打ち込もうと引き金を引くが、「!」カチカチと音が鳴るばかりで何も出ない。弾切れだった。その一瞬の隙をついて、その場を逃げ出すドナ。「チッ…!」すぐにでも追おうとしたが、こちらも体制を立て直すべきだった。
――――「(―――…やばい…)」片目が見えない状況で戦えるのか?しかも痛みで若干朦朧とする。…だが、このまま負ければ―――…ふと、時計塔を見る。時刻は既に、11:40を示していた。「…!」もう、時間がない。
――――「(正直、もう、体力の限界だ。)」慣れない近接戦にしがみついたからか、体は疲労でいっぱいだった。先ほど外したのもそのせいだろう。「(だが、相手は片目が見えていない。)」そんな相手に負けるなど、屈辱だった。二人して気合を入れると、隠れた場所から体を起こした。
――――そして。
埃まみれでボロボロ、血だらけの二人が、息を切らしながら距離を取って向かい合う。両者とも、かなりの痛手を負っていた。腕や肩、足からは血が流れており、特に、ドナは右目が潰れ、ルイザは左頬が深く切り裂かれていた。額には汗がにじみ、肩で息をしながら、その場で佇む。両者とも、動き出す気配はない。その顔は、どちらとも絶望に染まっていた。二人の間から見える時計塔は―――無情にも0:00を指していた。
「(―――…勝てなかった…)」ドナは俯き、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返す。その感覚は次第に短くなっていく。冷や汗がどっと噴き出す。女相手に、まさか引き分け等とは思ってもいなかった。まして、自分が組織を抜けることなんて考えてもいなかった。親父に、捨てられる…?胸をぎゅっと握り締める。胸が苦しい。痛い。
そんなドナの様子を見ながら、呆然とするルイザ。「(これから、どうしたらいいんだ。)」生まれてからずっと戦うことしかしてこなかった。それなのに、急に。「(またあそこに戻れっていうのか…?)」むせかえるような血の匂いと、飢えと、瓦礫の山。
―――そんな二人の元へ、誰かが近寄ってくる。もう二人には、それに反応する体力も気力も残っていなかった。「お二人とも、お怪我は大丈夫ですか?」二人が声のする方を見ると、そこには、身なりの良い、優しそうな老人が佇んでいた。穏やかな、そして心配するような表情を浮かべて、二人に近づいてくる。何故こんなところに、こんな時間に、身なりの良い老人が?――そんなことを考えるような正常な思考は、今の二人にはもう無かった。怪我のせいだろうか、負けた悔しさだろうか、父親に捨てられたショックのせいか。ドナは顔色を悪くし、嫌な汗をかきながらその老人に苛立っていた。「なんだてめぇ…殺されたくなけりゃどっか行ってろクソジジイ…ッ!!」だが、そんなドナの様子に動じる様子がない老人。「そんな大けがしている少女を置いてされませんよ…。良い医者を知ってるので、良ければ私の車に、」「いいからさっさと行けよッ!!!」それまで呆然としていたルイザだったが、ドナとのやり取りを見ていて、段々と思考がはっきりとしてくる。―――…なんだ、この爺さんは…?「…行く当ては、あるのですか?」「「!!」」見透かしたようなその台詞に、二人とも金縛りにでもあったかのように体が硬直する。何を知ったようなことを―――…家出少女たちの喧嘩だとでも思ってんのか、この老いぼれ…!!と思い、ドナは怒りに任せながら老人を見る。―――すると、そこには冷静で、何事にも動じないような淡々とした顔があり、思わず絶句する。「(なんだ…こいつ…、)」「…事情はともかく、お二人とも、その傷は一刻も早く治療しなければ命に関わる。」だが依然として警戒を解かない二人に、老人は小さくため息をつく。「…言っても聞かねば仕方あるまい…。」「…あ…?」老人が呟いた直後だった。突如現れた男二人が、ドナとルイザに背後から襲いかかると、そのまま気絶させた。
ルイザが目を覚ますと、自分がベッドの上に横たわっていたことがわかった。おまけに、きちんと怪我の処置もされているようだ。包帯を巻かれた自分の手や腕を眺める。「よう、起きたかい、お嬢ちゃん。」声のする方を見ると、何やら軟派そうな男が一人立っていた。「――…ここは…」「ここ?うーん…"何でも屋"、かな。」「何でも屋…?」男はルイザのいる、ベッド横の椅子に座りこんだ。「裏世界のな。」「!」慌てて体を起こすルイザ。焦ったようにそれを止める軟派男。「おいおい、落ち着けって!俺の言い方が悪かったよ!何も取って食おうってんじゃねえんだから。大丈夫だって!マジで!今はただ本当に、治療してるだけだ。な?」その言い方に嘘は感じられなかった。黙って従うと、再びベッドに身を沈めた。…どうせ、起きたところで行くあてなどないのだ。半ば諦観していると、ふと、隣のベッドが空いていることに気づいた。先ほどまで誰かがいたような痕跡がある。「!」そこで思い出した。―――…そうだ、あの女…。「ん?あぁ、あの子?右目負傷した―――…。」男の目を見て、肯定するように頷いた。「…あの子なら、目が覚めた途端にどっか行っちまったよ。まだ傷が治ってないから、って止めたんだが…。…なんか、元気なかったな。」「…そうか。」気絶する直前のことを思い出す。絶望に染まったあの女の顔が忘れられない。「――…」もしかしたら、彼女も自分と同じだったのか?置かれた状況や条件から、そう思わざるを得なかった。「起きたか。」「!」その言葉と共に、黒人の大柄の男が部屋の中に入ってきた。「助かった、エルバート。」「おう。」エルバートと呼ばれた男は、その部屋を立ち去っていった。入れ替わるように、現れた男が椅子に座った。「具合はどうだ?」「…まぁまぁだ。」「それは何よりだ。」そう言って浮かべた男の笑顔は優しかった。男からは、今までに出会った人からは感じなかった温かみを感じた。「突然すまない。俺はダレルという。」「…私は、ルイザ。」名乗りに答えてくれたルイザに再び笑いかけると、ダレルは「治るまで暫くここにいていい。食事も出そう。」と言った。「え…?」「今は取りあえず、ゆっくり静養するんだ。」そう言うと、来たばかりだというのにすぐに腰を上げるダレル。「あのっ…!」ルイザが咄嗟に、立ち去ろうとしていたダレルの袖元を掴む。「ここは何なんだ!?なんで私はここに…ッ、あの爺さんは!?」湧き上がる疑問を次々に投げかける。ダレルは少し迷ったように視線を彷徨わせると、再び椅子に腰を下ろした。「…良くよくなってから話そうと思っていたんだが―――…先に話した方が良さそうか?」ダレルの言葉に、こくこくと頷くルイザ。そのルイザの反応に、ダレルが口を開いた。
―――ダレルは、この組織についてと、老人の正体について話した。「彼は、この組織の後援者の男性だ。俺がこの組織を立ち上げる時にも資金提供をしてくれたんだ。」なるほど、だから身なりのいい恰好をしていたのか、と納得した。「…実は、君をここに連れてきたのは、…――この組織に勧誘するためなんだ。」「!」「あの方が君たちの戦いを見て、いたく気に入ってしまってね。是非ここに入れてほしいと申し出があったんだよ。」俯くルイザの様子を見て、ダレルは慌てて付け加える。「勿論、衣食住は提供するし、給料も支払う。福利厚生も充実している!―――メンバーを蔑ろにすることもない。我々は、仲間だ。」「…!」"仲間"――…その言葉に少し惹かれたルイザは、思わずダレルの顔を見る。だが、その表情を見たダレルは、少し申し訳なさそうに続けた。「…だが、仕事には危険も付き物だ。"裏世界"における、"何でも屋"だからな。…殺しだって、必要とあればやる。」「…」「だがもし…君に行くところが無いのであれば、俺達と一緒に働いてみるのはどうだろうか。」行き場を失ったルイザにとっては願ってもない話だった。だが、そんな上手い話があるわけもないと。ルイザはまだ、この男と、この組織を信用できなかった。「何も、すぐに結論を出せとは言わない。勿論断ったっていい。…一度、考えてみてくれ。取りあえず、治るまではここにいていい。」「…だが、治療費は…。」「そんなこと気にしなくていい。あの金持ちの爺さん持ちだ。」そう言ってルイザの頭を撫でるダレル。「――…!!」それが暖かくて心地よくて、思わず照れるルイザ。「取り敢えずご飯にしようか。」ダレルにそう言われ、そういえば何も食べていなかったことに気づいた。――――「あ、あの…」ルイザの病室に、一人の少女が訪れる。「わたし、トリシアって言います…。」そう言ってトレーに載せたご飯を運んでくる。ルイザは驚いた様子で彼女を見た。…こんな女の子までいるのかと。…やはりこの組織―――と、ルイザの中で信用が揺らぐ。ふと気づくと、ベッドの傍らで女の子が――トリシアが、じっとこちらを見つめているのに気づいた。「…あぁ、悪い。私はルイザだ。」こちらも名乗るべきか?と思いそう答えると、ぱあっと明るい笑顔を浮かべた。「あの、あの…っ、ここ、女の人がいなくて…。たまに来る、マイラさん、ってお姉さんはいるんですけど、」そう言ってえへへと笑った。その笑顔に、ルイザの心は安らいだ。―――劣悪な環境下で、果たしてここまでの笑顔が作れるだろうか?「お姉さん、新しい人なんですか?」「!」その無垢な笑顔に『違う』とはいえなかった。答えを誤魔化すため、ルイザは質問で返した。「…トリシアは、なんでここにいるの?」それを聞かれたこと自体が嬉しかったのか、得意気にトリシアは応える。「わたし、ダレルさんとみなさんに、助けてもらったんです!だから…皆さんのことを、今度は私が助けたくて!」「…!…助けてもらった…?」「私、お父さんとお母さんがいなくて…悪い人に捕まってたんです。それを、皆さんが助けてくれたんです!」「――…」その言葉の意味を考えていると、「ごめんなさい!あったかいうちに食べてください!」とトリシアが促す。「あぁ。」とほほ笑むと、食事にありついた。「…美味い。」そうルイザが言うと、トリシアは嬉しそうに笑った。
――――「よう!調子はどうだい?ルイザちゃん。」数日後。ここで目覚めた時に初めて会った男が、再び訪れた。その右腕には、もう一人別の男が捉えられていた。男は気が乗らない、といった様子だ。「自己紹介が遅れたな。俺はエルバート。で、こっちはグレッグだ。」「…」グレッグと呼ばれた男は挨拶をするでもなく黙って佇んでいた。「おい、なんか言えよ!」「…うるせぇな。おい、気を付けろよ。こいつは女に見境がない。」「人聞きの悪いこと言うなよ!!」「心配しなくても好みじゃない。」「さらっと傷つくこと言うなよ!!つーか俺だって好みは年上だ!!」組織のメンバーは意外と年齢層が低く、皆気軽に話しかけてきた。先日も、ブレットという男が容態を確認してきた。「…まぁ、無理はするなよ。」そう言った配慮の言葉等、これまでどれほどかけてもらったことがあるだろうか。「あっ!エルバート、グレッグ!お仕事お疲れ様!」どうやら二人は一仕事終えてきた後らしい。ルイザの着替えを持ってきたトリシアが、二人に労いの声をかける。「おーおー、トリシア。お手伝いしてるのか。偉いなぁ。」そう言ってエルバートが微笑みながら頭を撫でると、嬉しそうにトリシアは笑った。「――…」日頃から可愛がられているのだろうと、トリシアの反応はそう感じさせた。あの不愛想だったグレッグという男も、トリシア相手には微笑んでいる。
――――夕方になると、ダレルがルイザの元を訪れた。ほぼ毎日の日課だ。仕事等の用が他になけれ、ダレルはルイザのもとを訪れた。「――…今日、エルバートとグレッグって奴がきた。」「あぁ。―――…エルバートには気を付けろよ、」小声になって忠告をしようとしたダレルについ笑ってしまうルイザ。「聞いた。――奴は私の好みじゃないから大丈夫だ。」そのルイザの笑顔を見て、顔を綻ばせるダレル。「あと他にも、ギルって奴がいるんだがな。こいつがなかなかマイペースな奴で…。だが、悪い奴じゃないんだ。」「…」その言葉を聞いて、ルイザが俯く。「…どうした?」ダレルの問いかけに、控え目に口を開くルイザ。「…ずっと、殺すか殺されるかの世界にいた。」その言葉に真面目な表情になるダレル。「だから―――…ここの空気が、珍しくて、…慣れない。」「…」「…でも、トリシアを見てて思ったんだ。…ここは、悪いところじゃない。」そう言って一度ダレルを見る。が、再び俯き、目線を、布団の上で握る自分の手に移す。「―――…私、元々は紛争地域に生まれて…物心ついたときには、もう親はいなかった。食うためには、生きるためには、――…戦うしかなかった。」ルイザの独白に、黙って耳を傾けるダレル。「…なんの生産性もなく、ただただひたすら毎日、戦って、戦って、戦って―――…。仲間も、知り合いも、皆死んだ。自分もいつ死ぬかもわからない恐怖に日々脅えて…。倒壊した建物に囲まれて…常に硝煙の匂いが漂ってたし、空気も悪かった。飯は美味しくないし、体もいつも汚れていて、血の匂いが取れなかった。殺した相手の焦点の合わない目が怖くて、さっきまで生きてた筈の皮膚の体温が気持ち悪かった。仲間が死んで、敵が死んで、そんなのが繰り返しの毎日で。何の意味があるんだろうって。何のためにやってるのかわからなくて。…いつまで、こうなんだろうと思ってた。いつまでこんなにつらい日々が続くんだろうと思ってた。もう一生、ここから逃げ出せないんじゃないかと思った。」そう語るルイザの瞳の奥には、過去の光景の数々が映し出されているのだろう。そこには、漆黒の闇が広がっている気さえした。だが、見開いていた目は、一息つくと伏せられた。「…そんな時に拾ってくれたのが、…ボスだった。」遠い目で窓の外を見る。「私の腕を見込んで、『仕事』をくれた。『仕事』以外の、『自由』をくれた。―――…戦いばかりの私に、心休まる時間を…くれた。」一息ついて続ける。「勿論、人を殺す仕事も沢山した。でも…頑張れば報酬をくれたし、美味い飯を食わせてくれた。綺麗な服を買ってくれて、たまに買い物とかにも連れ出してくれた。『人を殺す』『戦う』以外の、人生の選択肢を…沢山くれた。…正直奴は、何を考えているかわからない男だった。でも…、――――…信頼、してたんだ…。」「…!」ダレルは、ルイザが泣いていることに気づいた。「…でも、捨てられた…。」「…っ」俯くと、膝を立てたゆっくりと顔を埋めた。「…あそこが、私の居場所だと思ってたんだ…っ…。」嗚咽を漏らしながら震えるルイザの背中に、ダレルは黙って手を載せると、ゆっくりと、優しく撫でた。
――――「ルイザ、すっかり良くなったね!」ルイザが座るベッドの上で寝転ぶトリシア。「…あぁ。」それに微笑んで答えるルイザ。「…ルイザ、」ダレルが入室する。「話とは――…」「…そこに、座ってほしい。」ダレルをいつもの椅子に座るよう促すルイザ。ダレルはそれに従う。「…その、」恥ずかしそうにもじもじとするルイザ。「…2週間、ここにいて、わかった。」ダレルは黙ってその続きを促す。「…ここは、居心地が良い。」「!」「…!」ダレルの反応と、トリシアの顔に広がった笑みに、また恥ずかしくなったのか目を反らす。だが、次は真剣な顔をして向き直った。「…あんたは、私の話を真剣に聞いてくれた。私の意思を尊重してくれた。…それが、嬉しかった。」「…」「私は、あんたを信じたい。」「!」「それから――…ここにいる奴らとも、もう少し話をしてみたい。」エルバートやブレットはよく話かけにきてくれたし、グレッグやギルも、たまにぶっきらぼうだが挨拶をしに来てくれた。「…前の職場じゃ、他の奴らとはあんなに話をしなかった。」同情だとか、親切だとか、下心だとか、そんなものではない。無意識に、自然にやっていることなのだろうことは、態度や発言内容から感じられた。それがルイザにとっては心地がよかったのだ。意を決したように、ダレルの顔を真っ直ぐに見て告げる。「…私を、ここに置いてもらえないか?」「…!」「なんでもやる。…多少、体は鈍ったかもしれないが。」暫く、ルイザの強い意志の宿った目を見ていたダレルだったが、ふいに立ち上がるとルイザから背を向けた。「…」そして、片手を目元に持っていくと耐えるような仕草をする。「…」まさか「…泣いてんのか…?」「違う。」即答だった。「マジかよ…。」「ダレル、エルバートが言ってたけど、嬉しいことが会った時に涙が出たら、それはもうおじさんだって言ってたよ。」トリシアの無邪気な発言にルイザが噴き出す。「違うぞ、トリシア。」図星だった。ルイザの変化と、ルイザが自分で導き出したその言葉が嬉しくて、感極まってしまったのだ。「あはははっ!」ルイザが笑う。その目元には、涙が浮かんでいた。それは笑っての涙なのか、それとも。「笑うなルイザっ!」「おーおー、どうした?なんか面白いことでもあったのか?」騒ぎを聞きつけたエルバートがやってくる。その後ろにはグレッグもいた。「えっ…何、なんで泣いてんだよ。」ダレルの様子を見て若干引いているエルバートとグレッグ。「違う…泣いてない!」「…騒がしいな…。」イラついたようにギルが現れる。「どうした…?」ブレットもやってくる。カオスな状態に後から来た二人は状況が把握できない。それがまた面白くて、ルイザは更に笑ってしまった。
――――支給されたスーツに身を包み、ダレルの説明を受けるルイザ。「まずは体力と感覚を戻すところからだな。…仕事については、それからだ。」「…あぁ、ありがとう。」一通り待遇についての話が終わった後だった。「そういえば…ドナがまだ見つかっていないんだ。」「ドナ…って、あの女か。」廃工場で戦ったあの女。そういえば、あの日以降姿を見ていない。「エルバート達が探したり、情報屋に依頼もしてるんだが…なかなかな。彼女にも、同じ条件を提示するつもりだった。」「…」あの日の顔を思い出す。「彼女も、君と似たような境遇のようだな。――…尤も、彼女はマフィアに所属していたようだが。」「マフィア…」となると、彼女もファミリーから自分と同じ条件を提示されていたということか…?「――…」もし、自分と同じように、信頼していた人から裏切られたのなら…あの表情も頷ける。「…」少し同情してしまいそうになるが、そもそもあいつのせいで私は…というところもあるので、それ以上深くは考えないことにした。だが―――…あの右目の傷は、大丈夫だったのだろうかと気になった。…いや、知るものか。どっかで野垂れ死のうとも、それはあいつが選んだ選択だ。窓の外から音が聞こえて、そちらに目を向ける。大粒の雨が降ってきていた。―――今日、あいつは…どこで寝るのだろうか。
――――…何が家族だ。何が組織だ。薄暗く狭い部屋の薄汚いベッドの上で、右腕を額に載せながら、仰向けになるドナ。その顔にはまだ、包帯がまかれたままだ。窓の外では雨が降っているのだろう。ボタボタ、カンカン、と音が木霊する。頭上の豆電球の灯が頼りなく、ジジ…と音を立てながら点滅していた。―――父親同然であるボスに捨てられたショックと、家族同然に思っていた組織に見放された喪失感、期待に添えなかった自分の無力さに、絶望していた。「(組織なんかなくとも…私一人でだってできる。)」ギリ、と歯ぎしりをして、悔しさに耐える。「(…やってやる…!)」この2週間の間、やけになるように、故郷を忘れるかのように、売春を繰り返していた。傷物の女を抱きたいという男は限られていたが、その中で知り合ったギャングの男が、大層な金を持っていそうだった。もっと中に入り込んで、ゆくゆくは組織の金を奪ってやろうという算段だ。…だが何故だろう。それで金を得たところで、ぽっかりと穴が開いたままになるような気がするのは。「…ッ…」ドナはそれに気づかないフリをして、体を横向きにすると眠るように目を閉じた。
「…あー…確か見たな。」「!本当か!」とあるバーでエルバートが男に聞き込みをしていた。「買春してる知り合いが、『最近新顔を見かける』とか言ってて…特徴的におそらくその子だな。」「(売春…!)」その言葉に、眉間に皺を寄せて俯くエルバート。「(あの時止めていれば…)」過去の自分に、小さく舌打ちをする。
――――「…どうする。宿の場所は聞いたぜ。」ホームに戻り、ダレルに報告する。「…俺が行こう。」
――――「…」煙草を吸いに外に出ていたドナの元に、ダレルが現れた。「…なんだよ、おっさん?」ドナをじっと見つめるダレルに気味が悪くなったのか、声をかける。「あのなぁ、ヤりたいんだったら中のおっさんに――」「俺は、君が気を失った時に保護していた組織のボスで、ダレルという。」その言葉を聞いて、見る見る怒りの表情になるドナ。「…何しに来た。帰れよ。」「今日は…話をしに来たんだ。」「こっちにはねえよ!!帰れッ!!」怒り心頭の様子で怒鳴るドナ。「どの面下げて来やがった!!てめぇらが…ッ、親父と共謀して、私をあそこから追い出したんだろうが!!」そう言って手に持っていた煙草を投げ捨てる。「!」「じゃなきゃあまりにも出来すぎだッ!!ガキだからって馬鹿にしてんじゃねえぞ!!どうせあの女も騙されたんだろ!!」「(…あぁ、この子は―――)」今、人間不信になっている。信じていた人間に裏切られ、身も心もボロボロになっている。「なんだ?私を利用して、今度は何しようってんだよ。言っておくが、私はお前らの言いなりになんかならねぇ!!組織なんかもうクソくらえだッ!!」近くにあった一斗缶を力の限り蹴り飛ばすと、ずかずかと建物の中に入り、勢いよく扉を閉めた。そんなドナになんて言葉をかけてよいかわからず、立ち尽くすダレルだった。
――――「初仕事?」「そう♡」バーのボックス席に座るは、ルイザと、マイラという女性。傍らには、ダレルもいる。「なんかね、そこのギャングがかなりきな臭い動きをしてるのよ。金の動きもなんだか変で…。それでね、ちょっと調査してほしいなと思って。」「いきなりその仕事は…。」ダレルが心配そうに口を挟むが、「あくまで"調査"だから!大丈夫よ、もしヤるってなった時は全員で、でしょ?ほら、ルイザちゃんまだ本調子じゃないみたいだし!」「…やってみる。」「…いいのか。」「あぁ。今までやったことのない仕事だし、腕試しも込めてな。」「…そうか。」ルイザの言葉に、ダレルも折れた。
――――「…ここか…。」メモで貰った情報をもとに、ギャングのアジトへ辿り着いたルイザ。「(…にしても…)」調査って一体何をしたらいいんだ?と戸惑うルイザ。「(…しまった。大手を振って出てきたは良いが…。エルバート達に助言もらうんだったな…。)」取りあえず周囲を探索してみるか、と歩き出した時だった。アジトの扉を勢いよく開けて、何者かが走ってくるのが見えた。「…は?」そいつと目が合った瞬間、「「お前ッ…!!!」」と互いに声を上げる。走ってきた女は思わず足を滑らせながら止まった。「お前…ドナか…!?」「お前は確か…えー…ルイザ!!なんでこんなとこに…!!」ドナがはっとして振り返ると、背後から数人のギャングが追ってきていることに気づいた。「おい!!あの女仲間か!?」「捕まえろッ!!」「はあッ!?」男どもの発言にルイザが心外だ!とでもばかりに抗議の声を上げる。「…!」ドナは黙って走り出す。「あっ―――てめッ…待てこら!!!」それを追うようにルイザも走り出した。―――「おい!!なんだ!!どういう状況だ!?」「今はそれどころじゃねえだろ!!」「説明しろッ!!私まで仲間だって疑われてんだからな!?」「あ~~わかったわかった!!あいつら捲いたらな!!」そう言って建物の隙間の路地裏に逃げ込む。持ち前の身体能力で、塀を乗り越え、フェンスを乗り越え、道なき道を進み―――…とあるビルの屋上へと逃げ込んだ。見下ろすと、二人を探すギャングの姿が。息を乱しながら一度休憩する二人。「…で、なんで追われてる!」ルイザが息も整わないままにドナに問いかける。「―――…ギャングのボスの男に、アジトに呼ばれた。」「あ?なんで…」「そこは…いいだろ。そんで、隙を見て金を持ち逃げしてやろうと思って、野郎が寝てる間に物色してたら―――…見つけた。」「何を?」「大量の密輸品。」「!」「そんで見つけたのがバレたから逃げた。」「…お前…」は~~~…と頭を抱えるルイザ。「なっ…なんだよ!!」バカにしてんのか、とドナが怒鳴った時、ルイザがハッと気づく。「いや…チャンスかもな。」「…はぁ?」ルイザは連絡しようと懐を探るが―――「…あ。」ダレル達と連絡を取るために貰った無線を、どこかで落としたらしい。「最悪だ…!」「え?おい、なんだよ。」「…ッお前のせいだからな!!」「はあッ!?まぁ、その、巻き込んだのは悪かったけど…―――いや、そもそもお前があの時ッ!!」「いたぞ!!」「「!!」」怒鳴り合っていると、別のビルの屋上に登っていたギャングの構成員らしき男がこちらを見て指を差していた。「あー…クソッ。」そう言いながら懐から銃を取り出すドナ。「あ?お前それ…」「さっきアジトでくすねてきた。」「ちゃっかりしてんな…。」「お前は?」言われてルイザも銃を取り出す。「なんだよ持ってんじゃねぇか。」「…ダレルが、『念のため持っておけ』って。」「ダレル…?」「あの黒人の大柄男だよ―――…って、お前会ってねぇのか。」「…」先日宿を訪れた男を思い出す。「――…」「しかしハンドガンしかないのは心許ないな…。」ルイザの発言に、現実に引き戻される。「…それか現地調達するしかねぇな。」「…やっぱり、やるしかないのか…。」二人して屋上の扉から死角になる位置にスタンバイする。「そっちのビル、飛び移れそうだぜ。」「あぁ。」階段から足音が聞こえてくる。周囲のビルにも人がいないか警戒しつつ、扉の方へ耳を澄ませる。やがて、勢いよく扉が開かれた。男二人のゆっくりとした足音が聞こえてくる。「今出てくれば殺さないでおいてやるぞ。」男の声に、ドナとルイザは顔を見合わせる。ルイザが手で数字をカウントする。3、2、1――――呼吸を合わせ、二人同時に身を乗り出した。「!!」男達が気づく間もなく、銃弾が撃ち込まれる。男達が倒れこむのを確認するや否や、遮蔽物から体を出すと、一直線にそれぞれ男の元へ走り出し、男の手元から銃を奪い取った。「チッ…ハンドガンか。」男達から距離を取ると、残弾数を確認する。「銃声を聞きつけて来るぞ。移動する。」「わかってるって!」そして先ほど目星を付けたビルへと走って飛び移った。すぐさま階段に向かい、急いで駆け降りる。「――!」途中でルイザが静止する。下からは足音が聞こえる。途中の階で下りると、壁沿いに潜む。男達が登ってきたところに、隠れながら銃弾を撃ち込んだ。一瞬の隙ができたのを見逃さず、ドナが突撃する。一気に男達に近寄り、跳び蹴りを食らわした。階段を転げ落ちる男達。「痛ぇー…。」思わず顔をしかめるルイザ。「さっさと行くぞ!」男達を踏み台にして下階へ走り出す。1階に辿り着いたところで、入口横に体をつけ、隠れながら周囲に人の気配がないか探る。「――…大丈夫そうだな。」「行くぞ。」音に注意しながら、静かに移動を開始する。―――正面から男達が現れた。前を歩いていたルイザがすぐに銃を構え、発砲する。銃は男に命中し、男は倒れこむ。「…やっぱお前やべぇわ…。」命中率もヤバいが、その早撃ちもなかなかだ。相手の銃弾が当たったのか、ルイザの腕からは血が流れていた。「…おい、大丈夫か?」ドナが思わず声をかける。「…掠っただけだ。」弾が無くなったことを確認すると、銃を投げ捨てる。ルイザが「おい」と振り返り、ドナに1丁渡せ、と手を差し出そうとしたところだった。「!!」突如脇道から現れた男が、近くにいたドナを背後から羽交い絞めにした。「!ド――」ルイザが"ドナ"、と呼びかける間もなく、ドナはするりと男の腕から抜け出した。「?――…!?、!?」護身術だろうか、と思う暇もなく、ドナが咄嗟に、ルイザに向かって2丁の内、1丁のハンドガンを投げ渡した。その方が良いと判断したのだろう。「!」それを受け取ったルイザは、すぐさま男に銃弾を撃ち込んだ。
「…助かったぜ。」素直に礼を言うドナ。「…行くぞ。」そこから駆け出し、道の先の開けた通りを目指す。だが、表通りに差し掛かった時だった。「!!」先頭を進むルイザの、すぐ目の前に男達が迫っていた。「ルイザ!!」次の瞬間、ルイザに襲い掛かろうとした男達は、銃弾を浴びて崩れ落ちた。
「無事か?」そこにいたのは―――…「エルバート…!」エルバートとグレッグだった。後から出てきたドナは、その姿を見て目を丸くする。「あの時の――…!」エルバートはドナの姿を見つけると、目を細めた。「なんでここに…、」エルバートは、驚くルイザの頭に手を乗せながら言った。「そりゃあんだけパンパンやり合ってたらな。…―――と、その前にだ。ダレルが、『お前が心配だから』って俺に尾行させてたんだよ。んで、暇そうにしてたからこいつも一緒に連れて来た。」そう言って傍にいたグレッグの肩に腕を回す。不本意、といった風に眉間に皺を寄せるグレッグ。「…!」「そしたらあの子が慌てて出てくるもんだからよ。」そう言って顎でドナを指す。「そんでアジトを確認してみたら、おいおい密輸品がいっぱいじゃねぇかってな。したら後で弁解もできるだろってんで、そこにいた奴らももう始末済みだ。」「…つーか、おい!!こんなところで悠長に喋ってる場合じゃ―――」そう叫ぶドナの背後から、更に男が駆け寄ってくるのが見えた。が、「!!」銃声が鳴り、崩れ落ちる男達。「…!」振り返り、驚くドナ。「大丈夫だ。俺らにはギル様が付いてる。」エルバートが得意気に言うと、その視線の先をドナが追う。―――と、ビルの屋上から、一人の男がスナイパーライフルを構えているのが見えた。「それに、残り少しだ。」グレッグが続く。ギャングの構成人数は調べがついている。「お前らが数人倒したからな。あとは―――…」そう言ってエルバートが振り返る。「てめぇ…―――ドナぁッ!!!」「!!」その視線の先には、ドナをアジトに呼び込んだ張本人―――…ギャングのボスがいた。「てめぇ…許さねぇぞ…!!全部ぶち壊しやがって…ッ!!」「…!」ドナが対抗しようと銃を構えようとした時だった。「おいおい、こんな幼気な少女捕まえて…みっともねぇと思わねえのか?おっさん。」そう言ってドナとルイザの前に出るエルバートとグレッグ。「…!」ドナからしたらそれは驚きの行動だった。―――何故、ファミリーでもない自分のために、盾になろうとしているのだろうか、この男達は。「俺はまだおっさんじゃねぇ…!!」「そうかい。だが、これ以上やったところでもう無意味だ。ギャングは崩壊、終わりだ。」「クッッソ…!!」そう言って腕を上げようとした時だった。銃弾が腕を貫いた。「…!!!」続けて、パン、パン、パン、と数発連続して音が鳴る。「…!」男は穴だらけになり、その場に崩れ落ちた。屋上のギルは、仕事が終わった、とばかりにライフルを引っ込めて片づけの準備を始めた。
辺りが静寂に包まれた。そこに、1台の車が到着する。運転するは――――「ブレット!」ルイザが駆け寄っていった。ブレットと話すルイザを見ながら、エルバートが口を開く。「さて、…と、帰るか。ルイザに―――…ドナも。」「…はぁ?」エルバートの発言に訝しむような顔を浮かべるドナ。「なんで私が…ッ、私はお前らのファミリーじゃねぇ!!」「いいから来いよ、手当も必要だろ。」「私は怪我してねえ!――そいつと違ってな。」そうしてルイザを見る。「その目の傷もちゃんと治さねえと。」「いい!!いらねぇ!!」「…ったく、意固地だなぁ。」「…お前、今回の件はどう落とし前つけてくれんだ?」グレッグが前に出て、ドナに詰め寄る。「…!」「依頼者からの正式な依頼が来る前に派手にやっちまった。お前が余計なことをしたせいで、全部パァだ。」「…!…知らねえよ、そんなもん…!」「お前が起こした事件を制圧するためにかかった費用―――…弾代、派遣費、治療費用―――もろもろお前に支払えんのか?」「…」「それから…―――ルイザがいなかったら、死んでたかもしれねえぞ、お前。」「…!」「自分の力量を過信しすぎだ。集団の強さと…世の中舐めてんじゃねぇぞ、クソガキ。」そう言って反転すると、グレッグはスタスタと歩き出した。「おい!」エルバートが声をかけるが、無視をして歩いていく。「…ったく…」グレッグを見送ると、エルバートは背後にいるドナへと振り返った。―――「…っ…!」情けなかった。やけになって、怒りに身を任せて、身を滅ぼすところだった。挙句、一人じゃどうしようもできなくなり、他人に助けてもらう始末。ルイザの銃の手腕と、腕の怪我、エルバート達の背中を思い出す。拳を握り締め、俯くドナの様子を見て、ルイザは何かを決意する。車の後部座席のドアを開けると、ドナの腕を両手で掴み、「あ?」状況を理解しないままのドナを、その中にぶち込んだ。「あぁ!!?」車の座席の上に転がるドナ。「~~~痛ッッぇな!!!何しやがんだッ!!」「…責任を取る。」「はぁッ!?」決意のこもった目で、ドナを見下ろすルイザ。「――…お前が一人になった責任も、お前の右目が使えなくなった責任も、私が取ってやる。」「…!!」「…私が、お前の右目になってやる。」「…ッ!」先ほどの息のあったコンビネーションを思い出す。ドナもルイザも、二人でならうまくやれるかもしれないと感じていた。「だから、お前も一緒に来い。」そのルイザの言葉に、ドナは揺らいだ。背後でエルバートとブレットは微笑みを浮かべる。「な…ッ、に、勝手なこと言ってんだよ…!!」だが、親父譲りの頑固な性格が影響したのか、それでも抵抗を続けるドナ。と、そんな彼女たちの背後に、片づけを終えたギルが近づいてくる。車のトランクに荷物を入れると、立ち尽くすドナとルイザの横からスタスタと回り込んで、助手席に座り込んだ。「……」何も言わず、何も気に留めない様子のギルに、二人は唖然としている。それを見た途端、エルバートがルイザの背中を車の中に押し込んだ。「お、おいッ!!」「ぐえっ!!」奥にいたドナは変な体勢で奥に押しやられた。「おら、入った入った!俺が入らねえだろ!」「――…おい待て、降ろせッ――」ドナが抵抗するも無駄に終わり、車は走り出した。「…!!」逃げ出せないとわかるや否や、ドナは脱力した。ふと、窓の外を見ると、グレッグが歩いているのが見えた。ブレットがクラクションを鳴らすと、フリフリと手を振った。「――!」あいつ、一人分の席を――…ふと周りを見渡すと、その誰もが、ドナがこの車に乗ることを拒否していなかったことに気づいた。「…っ…」何故だか泣きそうになるのを堪えて、早く車から降りられることを祈るドナだった。
――――ホームに到着すると、逃げ出そうとしたドナの腕をルイザとエルバートが両側から引っ張り、バーに強制的に招き入れた。そこには、安堵の表情を浮かべるダレルとトリシアが。ダレルはドナとルイザに近寄ると、二人の頭を撫でる。鬱陶しそうなドナと、恥ずかしそうなルイザがいた。
「と、いうことでだ。ドナは強制的に我が組織へ入ってもらうことになった。」「はあッ!?」バンッとテーブルを叩くドナ。「なんでだよッ!!と、いうことで―――じゃねぇんだよ!!意味わかんねぇッ!!」事件のあった次の日。ホームのバーで一同が介していた。ドナは強制的にホームに泊まらされ、翌日の今日も、朝ご飯の匂いに誘われてまんまとついてきてしまった。「グレッグから聞いているだろう。お前がめちゃくちゃにしたせいで、我々の収入減だ。おまけに無駄な支出も出てしまった。」「ぐっ…!」「あと俺らへの迷惑代だな。」「うぅ…ッ!!」「…あの、」「!?」呼びかけと共に、ドナの服の袖を掴むのはトリシアだった。「お姉さんも、ここにいてくれるんですか…?」「…!!!」キラキラと期待に満ちた純真無垢なその瞳は、ドナの心を鷲掴んだ。それを見てハッと笑うルイザ。「(あいつ意外とちょろいかもな。)」その場にいた全員がそう思った。
――――「本当は、収入減なんかじゃねえんだよ。」笑いながらルイザが言う。ドナとルイザはホームがあるビルの屋上で二人、話をしていた。「あ?」「密輸品を摘発したことで、寧ろプラスだ。」「…!!はぁ~~~~~!?!!?」なんじゃそりゃ!!とドナが憤慨する。「あいつら騙しやがったのか!!!」「…そこまで言わないと、お前を引き留められないと思ったんだよ。」「…!!」「…エルバートも気にしてたよ。」「!」昨日と同様に、そのメンバーの誰もが、ドナの加入に反対等していなかった。「…ッ馬鹿かよ、あいつら…ッ!!」ドナの問いに、ルイザが笑いながら答えた。「馬鹿なんだよ。」二人の視線の先では、透き通るような青空が広がっていた。
――――組織から支給されたスーツに身を包むドナ。その右目には眼帯が付けられている。それを見て嬉しそうに微笑むダレル。「似合うぞ。」「…嬉しくねぇ。」そっぽを向くドナ。「――…裏切ったりしたら、絶対許さねぇからな。」「あぁ。そんなことはありえないから、安心してくれ。」ダレルに優しい笑みでそう言われ、何も言えなくなってしまうドナ。そこに、酒を手にしたエルバートがやってくる。「うーし!ようやくメンバーも揃ったところだし―――今日は祝杯だ!!」そしてぞろぞろと仲間達がやってきた。「ウォッカはあんのか?」「勿論だ。」「ルイザは酒いけんのかよ。」「まぁまぁだな。」「トリシアはオレンジジュースか?」「うんっ!」そんな風に、自分と同じスーツを着て、賑やかに準備を始める面々を見て呆けるドナ。皆誰もが歓迎ムードだ。その様子は、まるで以前から自分が仲間の一員だったかのよう。ルイザが気づいたように振り返る。「ほら。さっさとグラス持てよ、主役。」そう言ってグラスを差し出してくる。それを見て思わず笑みが零れるドナ。「お前もだろうが。」そしてドナは、素直にそのグラスを受け取るのだった。
「…あの時のお前はほんっと意地になってたな。」笑いながらルイザが言う。「…うるせぇな、若気の至りだよ!!」拗ねたようにドナが吐き捨てる。「…しっかしもう7年かよ…。」時の流れは早ぇな~などと呟くドナを見て、微笑みながらルイザが問いかけた。「良かっただろ、ここに入って。」そんなルイザの言葉に、窓の外から目を離さないまま、ドナが答えた。「…まぁ、悪かねぇよ。」その口元には笑みが浮かんでいた。