8歳の時に、綺麗な身なりをした男に言われたことを覚えている。「お前がしたいことは何だ?」
俺の親は、酒に溺れ、ギャンブルばかりやっているようなどうしようもない奴だった。当時幼かった俺は、そんな親の借金のカタに売られ、ギャングの遣い走りにされていた。生きるため、食うために、悪いことは全部やった。そうすることが当たり前だと思っていた。そうすることでしか、生きられないと思っていた。そんな時に出会ったのが、その男だった。その男は、俺が所属するギャングのアジトの周辺に住んでおり、よく道端ですれ違っていた。ある日、突然話しかけられて、崩れそうな塀の傍で男と少し会話を交わしたのを覚えている。
「したいこと…?」「毎日毎日、強盗だの、抗争だの、殺しだの、奴らの遣い走りにされてうんざりしねぇのか。」「…別に…。」「別にってよ…。…そりゃあ、生きていく上で何かしらの"仕事"ってのは必要だろうが…何もこんなクソみてぇな仕事選ぶこたぁねぇんだぞ。」「そうなのか?」俺の言葉に男はずっこける。「お前…本当に世間を知らねえんだな。―――例えばほら、アレ見てみろ。」そう言って路上にいる物売りを指さした。「アレだって立派な"仕事"だ。」「俺もできるのか?」「あぁ!?出来るに決まってんだろ!『働かせてください』って言うだけだ!」「そうなのか…。でも俺は別に、物売りをやりたいわけじゃない。」「…じゃあ、お前がしたいことは何だ?」したいこと…?そう聞かれて、ふと思った。これまでの何もかもを、自分の意思関係なく実行してきた。ギャングに入れられ、ただ命令されるがままに仕事をして、人の物を盗んだり、ブツを運んだり、時には人を殺したり―――そういったことを、何も感じず、ただただ淡々とこなしてきた。「別に…。」「おいおい、またそれか!」「…でも、」男が俺を見る。「したいことはないけど、…したくないことは、一つだけある。」「…そりゃあなんだ。」男は黙って俺に話を促した。
――――俺が6歳の時の話だ。ギャングに入ったばかりで、右も左もわからない状態だった俺は、組織に"教育"を受けながら日々を過ごしていた。そんな中、"ギャングの新参者"の俺に対して、親切にしてくれた夫婦がいた。「こんなに幼いのに、ギャングだなんて…。」ギャングの子供だってのに、その夫婦は偏見も持たず、陰でこっそりと俺に親切にしてくれていた。話をしてくれたり、一緒に遊んでくれたり、お菓子をくれたり。夫婦には小さな子供がおり、その子供とも仲良くなった。ある日、夫婦の元へ遊びに行くと、夫婦の家が荒らされているのを発見する。家の中を覗くと、血を流して倒れる子供と、夫に介抱されている瀕死の妻の姿があった。夫の悲痛な叫びは、今も忘れることができない。どうやら俺の所属していたギャングの誰かが、強盗に入ったらしい。俺と夫婦の繋がりを知る者はいなかったから、本当にただの偶然だったようだ。
――――「…今まで、クソ野郎ばっかり相手にしてたから気づかなかった。初めてだ。すごく、…―――嫌な気持ちになった。」「…その旦那とは。」「…その日以来会ってない。そもそも、数週間後には引っ越していなくなったよ。」俺は男の目を見る。「ああいう優しい人が、悲しまないで済む世界になってほしい。」俺の言葉に、男はふっと目を細めて笑った。「その気持ち、大事に育てろよ。―――そして、一生忘れるんじゃねぇぞ。」そう言って立ち上がり、数歩歩くと俺に振り返った。「勉強しろ。世の中を。裏の世界を知ってるお前だからこそ、できることがある筈だ。俺もそうしてきた。」「おっさんも…?」「人生ってのは勉強なんだよ。―――…そして、これからもな。」その日以降、男には会わなかった。もしかすると男は、自分がここからいなくなるその前に、俺と一度話をしたかったのかもしれない。俺は男の言葉を胸に、その後様々な職を転々とすることになる。
マフィアに所属したり、傭兵や、警察にも入ってみた。それまでの間に、一般の仕事もやってみたことがある。だが、そのどれもが『俺がしたいこと』ではなかった。何をするにも拭い切れない、違和感。
…そして、気づいた。そうだ、俺は…―――ずっと、あの親切な夫婦を、助けたかった。
――――警察官時代に知り合ったブレットという男は、警察の腐り具合に辟易としていた。彼もまた、自分が夢見ていた『したいこと』を出来ずにいた。「ブレット。」ある日、夕陽が差し込む時間帯だった。俺とブレットはいつものように、ビルの屋上から夕陽を見ながら語り合っていた。そして俺は、胸に秘めていた決意を、ブレットに伝える。「俺は…俺が正しいと思う道を歩みたい。」「…あぁ。」「お前はどうだ。」「俺もお前と同じだ。」そう言って手を取り合い、固く握手を結んだ。
――――俺は、あらゆる仕事を転々とする中で得たツテを使い、あの男の情報を調べていた。「居場所、わかったわよ。」そう言ってマイラは、住所が書かれた紙を差し出した。記載された住所の元へ行くと、25年ぶりに会った男は、すっかりと小さくなってしまっていた。「昔、あんたに『お前がしたいことは何だ?』と聞かれたことがあるんだ。今日はそれに答えに来た。」突然話しかけられたにも関わらず、男は静かに頷いた。「…聞かせてみなさい。」
男は、俺と同じく、傭兵や、警察や、過去にいろんな職業を転々としていた。警察の最高幹部に上り詰めたこともあるという。今や不動産王にもなっているというから驚きだ。彼は、絶大な権力と、莫大な金を持っていた。俺は、裏世界における"何でも屋"をやりたいという話を男にした。「仕事の受ける受けないは全て俺が判断する。俺がしたい仕事だけを受ける。」そんな馬鹿げた話を、男は真面目に受け止めると、更には「俺が全面的にバックアップしてやる」とまで言ってのけた。俺は、男の支援を受けながら、ブレットとともに組織を設立することにした。昔知り合ったマイラという女も協力してくれるという。
そこからは、人員集めに各地を奔走した。
――――まず、傭兵時代に知り合い、現在はギャングに所属しているというエルバートという男に声をかけた。「…悪いが、真面目に生きるのはやめたんだ。」そう言ってすっぱりと断られた。出会った頃とは違い、その目の奥に光は宿っていなかった。彼は、真面目に学業を学び、国のため家族のためと傭兵に志願し、志高く戦場に挑んだ。だが、「戦場で仲間に裏切られて、仲の良い奴が死んで。家に帰ったら、家族が強盗に殺されて死んでた。」真面目に生きたところで何になるのか。それで全てが嫌になり、自暴自棄になってギャングになったという。俺は、断られた後も、しつこく勧誘を続けた。何度も彼の元へ足を運び、会いに行った。「…ッなんで俺なんだよ…。」あまりに俺がしつこいので、エルバートは困惑した表情で問いかける。「お前と仕事がしたいと思った。」エルバートの人となりを知っていたからだ、「…俺が目指す仕事だって、お前の言う"真面目に生きる"とは違うものかもしれない。薄汚いこともやるだろう。」だから、"やりたくない"のであれば断ってくれてもいい。「だが、俺がそうだったように、お前にも"出来ることがある"のだと思ってほしい。」己の無力感から、生きることを諦めたように見えるエルバートにも、『したいこと』をやってほしいと思った。「…あー…わかったよ。わかった。」降参、といった風に手を挙げるエルバート。「…取りあえず、お試しでな。」「…それでいい。」
――――「構わねえぞ。」グレッグは一つ返事でOKをしてくれた。彼は、現役の傭兵だ。「どうせやることもねぇんだ。」グレッグとも、俺が傭兵をしていた頃に知り合った。俺が隊長として、同じ部隊に配属されたこともある。あまりにあっさりと了承をする彼に、俺の方が呆然としてしまった。「どうした。」「いや…まさか、OKを貰えるとは思っていなかった。」「…お前の下でなら働いても良いと思っただけだ。」「!」そう言えばグレッグは、当時から俺のことを買ってくれていた。「俺には夢もなんもねぇ。だから、あんたが見せてくれ。」差し出されたその手を、俺は握り締めた。
――――薄暗く、灰色の路地裏で、身なりの汚れた少女が膝を抱えて蹲っていた。そんな少女に、俺は静かに近寄っていく。「――…君が、トリシアだね?」少女は顔を上げると、虚ろな瞳で俺を見上げた。
――――「良い人材見つけたわよ。」マイラが情報屋からかき集め、人員を見繕ってくれた。「北の山奥の地方でハンターをやってる男なんだけどね、銃の腕前が凄いらしいのよ。」俺はその情報を頼りに、その男―――ギルに会いに行った。「いいぞ。」グレッグと同様、まさかの即答だった。「…もしかしたら、人殺しの依頼も来るもしれない。」「…動物も人も同じだろ。」何でもないことのように、淡々と言ってのける。「ちょうどいい、退屈してたんだ。」
――――それから暫く経った後、気の強い、二人の少女が加入をした。
――――「…こんちはー…。」そう言ってバーにやってきたのは東人の男―――通称、ジョンだ。今回で仕事を依頼するのは何度目になるだろう。彼には、マイラの仲介により、我々が弱いハッキングや情報処理分野について度々協力してもらっていた。「悪いな。」「いや、ちゃんと報酬貰えてるし、何も文句はねえよ。…それに、こっちの組織は雰囲気も悪くねえしな。」そんなジョンの言葉に、思わず言ってしまった。「…ジョン、俺達の組織に来ないか?」「…へ?」彼のきょとんとした顔を見て、しまった、と思った。彼も彼の所属する組織がある。引き抜き等、許してもらえるのだろうか。「あー…でも、あっちにも恩があるしなぁ…。」悩むようにぼりぼりと頭をかく。だが、彼の様子は、どうやら満更でも無いようだった。…それはそうだろう。日頃の仕事ぶりと、こちらの従業員とのやり取りを見ていれば、それは明白だった。「…考えとくよ。」照れたように言う彼の様子に、思わず顔が綻んだ。1か月後、彼は正式にうちの組織に入ることになる。
――――「ダレル!こいつ組織入れようぜ!」仕事終わりのエルバートがホームへ連れてきたのは、どこか不貞腐れた顔をした色黒の青年だった。思わず俺は、その背後にいるグレッグを見る。彼は肩を竦めてみせた。どうやらエルバートの独断らしい。「…この子は、どうしたんだ?」「今日の仕事先で使いっ走りさせられてた奴だ。」青年は、肩に乗せられたエルバートの腕を鬱陶しげに振り払うと、不機嫌そうに呟く。「…頼んでない。無理矢理連れてこられただけだ。」「…」「腕は間違いないぜ!爆弾やらなんとか弾やらそういうのいろいろ詳しいし、その上作れるみたいだ。うちに必要な人材だろ?」エルバートの人柄はダレルもよくわかっている。おそらく、それだけが理由ではないのだろう。俺は青年へと視線を向けた。「…今、彼が言ったことは本当か?」「…まぁ…。」そして腕を組むと、しばし考える。やがて腕を解くと、二人に対し微笑んだ。「…そうだな、検討しよう。」「!」目を見開く青年と、嬉しそうに微笑むエルバート。グレッグはため息をついていた。「暫くはその力量を見極めさせてもらおうか。―――まずは名前を、教えてくれないか。」青年は少し迷うように視線を彷徨わせた後、ぽつりと呟いた。「………ロイド。」
――――「頼むよ、ダレル!!」「駄目だ。」今日で何度目だろうか。小さなそばかすの少年が、またもホームのドアを叩く。「お前はまだ、…いや。―――もう、ここに来るべきじゃない。然るべきところへ行くんだ。」「俺が行くべきはここだ!!」「…」「あんたみたいに、強い男になりたいんだよ…!!」だが、いくら頼んでも俺が折れないと悟るや、そばかすの少年は眉間に皺を寄せながら、悲痛な面持ちで溢した。「…行くところが、ないんだよ…っ…。」「…」そんな少年を見て、少年にとってこここそが、『したいこと』が出来る場所なのだろうと思ってしまった。俺はため息をつきながら、応える。「……手伝いだけだ。ここのバーのな。それなら許してやる。」「…!!」俺がそう言った途端、そばかすの少年―――ニールは、その顔を明るく咲かせた。
そして現在。
俺達が今回依頼されたのは、ギャングの壊滅だった。無関係の一般人を巻き込みながら抗争を繰り広げていたため、流石にもう看過できないと町から俺達の組織に依頼があった。調査から準備から、なかなかに大がかりな案件だったが、それも今日で終わりだ。仕事を片付け、帰還しようと準備を整えていた時だ。夕陽の向こうに、一組の親子が佇んでいた。親子は、泣き出しそうな顔をしながら、俺達に向かって少しばかり頭を下げる。「……」その様子が、かつての親子の姿と重なった。俺も軽く頭を下げると、仲間達の元へと歩き出した。―――…これが俺の、やりたかったことだ。
――――ホームへ帰ると、食い物に酒に、皆で騒がしく打ち上げをしていた。「いや~しかし結構な時間かかったな!」「調査の段階でな。構成員の数がやたら多かったのと、活動範囲も広かったからな~。」「ほんと、ジョンがいねぇと俺らなんもできねぇよ~…。」「何言ってんだよ。皆であちこち聞き込み回って調査した結果だろ?」「人力だと限界があるんだよ。…まぁ、ジョンに頼ってばっかじゃいけねぇとは思うが。」「まぁな~。」「そう思うなら二言目には『ハッキングしてくれ』って言うなよ?」「ぐっ…、悪かったって!」「聞き込みっていえば、ブレットのは完全に警察だったね。」「なんだか昔を思い出してな…。」「しかも例のドライブテクニック凄かったな!」「あぁ、アレは凄かった。」「くっ…思わず暴走してしまった…。」「何言ってんだよ、おかげで助かったって!」「俺も出来るようになりたい!」「お前にはまだ早い!」「俺にも教えてくれよ!」「エルバートには無理だろ。」「あぁ!?」「そういや、ギルのあのスナイプ…アレは流石だったな。」「あぁ、ギル様々だったな!」「…ルイザのスナイプも、まぁ良かっただろ。」「…!!」「あのギルが褒めた…!」「お前ら俺のことなんだと思ってんだ。」「なぁなぁギル!私は!?」「お前は腕前云々の前にまず命令を聞け。」「ぐうッ…!!」「ぐうの音も出ないとはこのことだな。」「まぁ無理もねぇよ!そういえば今回もドナがやらかしてよ〜、まだだっつってんのに特攻仕掛けやがって!」「ちげーよ!!アレは無線がいきなり調子悪くなって―――…あ、トリシア!ほらほらこっち来いって!」
そんな風にがやがやと騒ぐ組織のメンバーを見ながら、思わず目を細めた。
――――ほろ酔い気分で、ビルの屋上で柵に寄りかかりながら夜風に当たる。隣に立つブレットも同様だ。「…そういえば、ふと思い出した。」そう溢すブレットへ顔を向ける。「さっきの親子…。お前の昔の話だ。」見られていたのか、と星空を見上げた。「お前の『したいこと』は出来てるのか?」ブレットにそう問われ、口元が緩むのを感じた。「あぁ。――…お陰様でな。」この星の中に、あの夫婦はいるのだろうか。そう思いながら、俺はゆっくりと目を閉じた。