朝日が差し込む中、毘沙門天は庭で、体をほぐすように伸びをし、ストレッチをしていた。―――地上へ落下してから3日間。この神社という聖域でゆっくりと静養できたおかげか、毘沙門天はすっかり体の調子を取り戻すことができた。地上での感覚や力の使い方についても、徐々にだが思い出しつつあった。来たばかりの当初に比べ、頭は冴え、体も軽くなり、呼吸も随分と楽になった。そのせいか、気分まで清々しくなったようにさえ感じる。感覚も鋭くなり、周囲に感じる気配を繊細に感じ分けられるようになっていた。「(そろそろ大丈夫だろう。)」このままここに留まっていては体が鈍って叶わんと、外で洗濯物を干していた真志の母親の元へと足を運ぶ。ちなみに真志はというと、朝っぱらから友人に呼び出され、慌てて家を飛び出していったきり帰ってきていない。「悪いが、少し出てくる。」母親は毘沙門天の存在に気づくと、その手を止めた。「…大丈夫ですか…?」町の異変を察している彼女としては、毘沙門天の身が気がかりで仕方がなかった。久々の地上に、衰えた力。果たしてこのまま送り出しても良いものかと思い悩んでいた。ついていきたい気持ちもあったが、いざ有事が発生した際には、彼女の足手纏いになることは目に見えていた。「お前達のおかげで、大分調子を取り戻せたからな。問題ないだろう。それに、行く当てもある。」「そうですか…。」彼女の毘沙門天を思いやる気持ちは、毘沙門天にとって嬉しいものだった。表情が晴れない母親を安心させるように、優しい笑みを浮かべる。「なに。私は腐っても『毘沙門天』だ。何千年と生きている身、お前達が心配するほど柔じゃない。…それに、煙草を買うついでのリハビリだ。」そう言いながら煙草の空箱を見せる毘沙門天の表情を見て、母親はその想いを悟り、同じように微笑みかけた。「…わかりました。くれぐれも、お気をつけて。」「あぁ。」母親に断りを入れると、毘沙門天は境内へと向かう。その途中で現れた吽形の頭に手を乗せ、「頼んだぞ。」と声をかけた。吽形はそれに応えるように目を細めて頭を擦り付けると、立ち去る毘沙門天を見送った。
――――裏手から出て本殿の前を通りかかると、毎日お参りを欠かさないおじいさんが今日も訪れているのが見えた。「おはよう、お嬢さん。今日はお出かけかい?」「あぁ。爺さんも毎日飽きないな。今日は朝から参拝か?」「日曜は朝早くにって決めてるんだよ。」「ご苦労なことだ。…しかしそのご老体で、よくもまぁ毎日この階段を登ってくるもんだ。」「長年の日課だからねぇ。足腰を鍛えるにはちょうどいい。」そう言って穏やかに笑うおじいさん。「…なんでこの神社に?」毘沙門天はふと、興味本位で質問をする。「そりゃあ、毘沙門天様がお祀りされてるからだよ。」おじいさんはそう言って、いつものように賽銭箱の前へと足を進める。「毘沙門天様は、わしらを見守ってくれているからねぇ。」そう言いながら手を合わせる。「…すまなかったな。」「ん?」「いや…。」七福神として宝船に乗り、天上から福を振りまいてきた。しかし、船を降りることは叶わず、直接会って福を届けることができなかった。その罪悪感に長年捕われていた毘沙門天。それは他の七福神の皆も同じだった。「わしはずっと、この町で生まれて、この町で生きてきたんだがね。」ぽつりぽつりと話し始めたおじいさんの話に、耳を傾ける。「これまで――…毘沙門天様にお祈りしたら、志望校に合格できたり、部活の大会で優勝できたり…仕事で良い成績が残せたりと、良いことが沢山あってねぇ。」「…そりゃあ、爺さんの努力の賜物だろう。」「それも確かにあるかもしれない。…だけどね、そういう大きな目標を成し遂げるためには、沢山の時間と、気力と、労力をかけて、魂を削るように努力をし続けなきゃいけない。そうすると、どうしようもなく辛くて、逃げ出したい時が必ずくるんだ。」毘沙門天の脳裏に、過去に出会ってきた民達の記憶が過る。「…そんな時に…『毘沙門天様がわしらを想ってくれている』『毘沙門天様が、きっとわしらを助けてくれる』―――そう思うだけで、活力だとか支えになるんだよ。」「…!」「毘沙門天様は、子供の頃からずっと、わしの心の支えなんだよ。」そう言いながら再び手を合わせて拝むおじいさん。「ありがたいことだよ。」毘沙門天はその小さな背中を見る。目の前のこの小さな老人の、何十年という長い人生を、知らぬ間に己が支えてきたのだと知って、どうしようもなく胸が詰まる感覚を覚える。「―――…そうか…。」そう言って毘沙門天は、どこか切なそうに、そして嬉しそうに微笑んだ。
―――――おじいさんが階段を下りるのを手伝った後、町中を歩いて行く毘沙門天。住宅街を少し歩くと、やがて大通りへと出る。改めて町の中を見回すと、やはり150年も経っているせいか、その町並みも通り過ぎる人間達も、まるで変わってしまったことに気づく。家の造りも明治初期とは異なり、木造建築や瓦屋根はほとんど見られない。道はコンクリートやアスファルトで固められ、土や砂利はその下に隠されてしまっている。車や自転車が行き交い、人々の装いも様々だ。「(……もう着物なんか着てるやつはいねえのか…。)」周りからの目線など気にするタイプではないが、奇異なものを見る目に晒されたことで、当時と今のはっきりとした"違い"を思い知らされ、そのことに寂しさを覚えるのだった。昔は頻繁に地上に降りて民と交流していたが、民の信仰心が薄れ、戦争が始まり、地上に降りること自体を禁じられてからというもの、そういった機会が一切なくなってしまった。昔であれば、「毘沙門天だ」と名乗れば、皆親し気に話しかけてくれたものだが、今の現代ではどうやら「頭のおかしな奴」としか見られないようだ。「(やはりこの現代で、私達のような存在を受け入れてもらうのは難しいのかもしれないな…。)」やがて信仰心は更に薄れて、自分達は消えゆくかもしれない。それ自体は特に気に留めない毘沙門天だったが、その後の人間達の行く末を心配していた。道行く人々に再び目を向ける。公園では子供たちがはしゃぎ、仲の良さそうな親子が手を繋いで歩いて行く。ご婦人方が歩道で井戸端会議をし、スーツに身を包んだ男性は真剣な顔で電話をしていた。その光景を見て、人間の根本的なところは変わっていないのだなと確認すると、少しほっとする毘沙門天。貧乏神が言っていた、『今の人間達に"福"を授ける価値などない』という発言が引っかかっていたが、毘沙門天の目から見るとそうだとは思えなかった。真志やその両親、小百合を見ていてもそう感じる。―――気を取り直して歩いていると、ふとあるものが目に入った。「(お、あるじゃねぇか。)」毘沙門天が見つけたのは、煙草の自動販売機だった。実は真志には黙って、父親からこっそりと金を借りてきたのだ。勿論、後でその分の金は返すと約束した上での話だが。いつもは恵比寿が仕入れてきてくれるため、自分で買うのは久しぶりだった。「(―――…どうやって買うんだ…?)」自販機の前で固まる毘沙門天。金を入れてボタンを押せば買えるのだろうと思っていたが、どうやら違うようだ。何やら、"カード"というものが必要らしい。「カード持ってないのかい?」毘沙門天が自販機の前で固まっていると、何者からか声をかけられる。振り返ると、くたびれたスーツを着た40代くらいの会社員がいた。「自販機の煙草は、カードがなきゃ買えないよ。」「カード…?」「店とかで申込書を書いて、カードを発行してもらわないとダメなんだ。未成年対策だとかで。」「なんだそれ…めんどくせぇ世の中になったな…。」「はは、ほんとだよね。まぁコンビニで買った方がいいね。」「こんびに…。」そういえば、とふと思い出した。確か真志の親父も、"コンビニ"という店で煙草が買えると言っていた。「そうだったのか。親切にどうもな。」「いえいえ。ちなみにコンビニなら、この先の角にあるよ。」「それは助かる。…ちなみに、あんたも喫煙者か?」「まぁ少し嗜む程度だけどね。」「…おすすめはあるのか?」「君、もしや煙草初心者かい?」「…そんなところだ。」「うーん…そうだなー…。定番はセブンスターとか…、女性に人気なピアニッシモとかもあるけど…。個人的にはピースかなぁ。」「…そうか。参考にさせてもらう。」「まぁ、いろいろ試してみて、好みの味を見つけるといいよ。」「あぁ。そうさせてもらおう。」「それじゃ。」「わざわざすまなかったな。感謝する。」そうして親切なサラリーマンは立ち去って行った。毘沙門天は何か思うところがあるのか、その後ろ姿をしばし眺めると、体を翻して彼とは逆方向に歩き出した。―――と、毘沙門天の目の前―――電柱の陰に、地上では見慣れない存在が隠れているのが見えた。「へっへっへ…あそこの人間なんてどうだ?ぶくぶく太ってやがる。しかも、憑りつき易そうだぜ。」「もう誰でもいいから早く行こうぜぇ…いい加減飢えすぎて苦しいったらありゃしねぇ。」「おい、何してんだお前等。」こそこそと隠れて話す、一寸(30cm)ほどの大きさの異形二匹に対して、躊躇なく話しかける毘沙門天。「!?」「い、今こいつ…!!俺たちに向かって話しかけたか!?」二人はまさかと、互いの顔を見合わせ、目を丸くする。「お前等しかいねぇだろうが。」「な、なんで俺たちの姿が―――…ん?お前…――」そう言って、一方の異形が毘沙門天の匂いを嗅ぐ。「ぐえっ!」「何が『ぐえっ』だ。失礼な奴だな。」「こいつヤニくせぇ!!」そっちか…。そりゃ確かに『ぐえっ』ともなるか…と、異形の反応を見て、流石に自分でも気になったのか、着物の袖の匂いを嗅ぐ毘沙門天。「そんなにか…?」流石にこの現代で、『毘沙門天』として民の前に出るのに煙草の匂いを纏わせているのはまずいか…?と、急に冷静になる。「あとなんか…よくわからねぇが、高貴な匂いがしやがる!!」「…それは誉め言葉として受け取っておくか。」匂いはともかくとして―――。本題だとばかりに、毘沙門天は素早く動くと、両手で二人の首根っこを摑み上げた。「ぎゃわっ!」「―――…"餓鬼"は、餓鬼界にいたと思うんだがな。」「ひっ」毘沙門天は顔を近づけ、圧をかけながら睨みつける。餓鬼も思わず、その鋭い視線に委縮した。「なんでこんなところにいるんだろうなぁ。」昔から地上に迷い込んでくることはよくあった。だが、近頃のこの町の状況を考えると、それと無関係だとは思えなかった。「おっ、お前人間じゃねぇな!」「何もんだっ!」両手の餓鬼はぎゃーぎゃーと抵抗して騒ぎ出す。―――…このままじゃあ埒が明かねぇか、とため息をつく毘沙門天。どの道貧乏神には居場所が割れているんだ、と思い息を吸う。「『毘沙門天』――…って言えばわかるか?」「!!?」その言葉に、二匹はびくりと体を震わせる。先ほどの匂いといい、この異様なまでの雰囲気とその横暴な態度。餓鬼を納得させるには、十分な要素が揃っていた。「びっ…毘沙門天様!!?―――…が、何故このようなところにいらっしゃるので…?」正体がわかるや否や、態度を急変させ、手でごまをすりながらへこへこし出す二匹。「少しな。まぁ、私のことはいいんだ。―――…ところでもう一度聞くが、お前等こそなんでこんなところにいるんだ?」彼女の二度目の質問に、今度は目に見えて動揺する。「わっ、我々、迷い込んでしまいましてっ!!」「そっ…そうそう!なんか道に迷っていたら、いつの間にか地上にですね…!」「ほう…?じゃあその道とやらを案内してもらおうか。」「えっ!あっ!いや!!毘沙門天様ほどの高貴なお方が通られるような場所では…!」「へ、へへへ!俺達みたいな下衆な奴らばっか通る汚~い道ですぜっ!」「構わねえぞ。」「―――うわあっ!!」背後から上がった驚きの声に、毘沙門天は反射的に振り返った。そこには――――「!」2足で立つ、白の体に茶の模様が入った、猫又の姿があった。「お前―――…」毘沙門天が声をかけようとした時だった。「逃げろッ!!」一瞬の隙をつかれ、餓鬼二人がものすごい力で毘沙門天の手を振りほどき、抜け出した。「―――!」しまったと、咄嗟にその体を掴もうとするが、素早い動きでするりと逃げられる。しかも道路側へ走り出し、車の間を縫って行くものだから、車に慣れない毘沙門天は、道路を行き交う車の往来に飛び出すのを躊躇し、出遅れてしまった。やがて道路を横断した餓鬼二人は、反対側の細い路地の奥へと逃げ込んでしまう。それを見ながら拳を握り締める毘沙門天。手がかりになりそうだったが、逃してしまった。「クソッ…!逃げ足だけは早いな…!」悔しがる毘沙門天の元へ、猫又が近づいてくる。「…なんか、悪かったな。俺のせいで逃がしたみたいで。」振り返りつつ、過ぎてしまったことは仕方がないと、平静を取り戻す毘沙門天。「…いや、気にするな。油断した私が悪い。」そう言うと、猫又に向き直った。「もしかして、お前が真志の言ってた猫又か。」「…そう言うあんたは毘沙門天だな。」「あぁ。」「会えて光栄だぜ。」「こちらこそだ。」そう言って握手をする。「まぁ、さっきの私への反応が気になったくらいか。」悪神や悪い妖怪ならともかく、猫又に『うわあっ!』と反応される覚えはない。「ん?なんのことだ?」わかりやすいくらいにとぼけながら顔を反らす猫又に、毘沙門天はそれ以上の追及をしなかった。先ほどの餓鬼もそうだが、毘沙門天はじめ七福神は妖怪の間では名高い存在だ。中には恐れをなして逃げ出す者も多い。そういった反応をされることはよくあるため、一々気にしてはいなかった。「…ちょうどいい。俺も話をしに行こうかと思っていたところだ。その様子だと――…もう調子は良いようだな。」だが猫又は、臆することなく毘沙門天に話しかける。「あぁ。」「着いてきてくれ。」そう言って歩き出した猫又の後ろをついていく毘沙門天。「あんたは、この町が長いのか?」「長いなんてもんじゃねぇ。俺はここで生まれ育って死んで、この姿になった。―――…もう300年近くになるか。」「そりゃ随分と長いな。」「ははっ、毘沙門天様に言われてもな。」「そりゃそうか。」二人で笑い合う。「…まぁ、俺なんてここじゃあ全然若造だったんだ。たった300年。…そんな俺でもよくわかる。――…最近のこの町は、おかしい。」「…」「あんたには、この町を助けてほしいんだ。」そう言って猫又が足を踏み入れたのは、廃墟と化した大きなビルの中だった。敷地内には草がぼうぼうと生い茂り、地面はヒビが割れている。建物は黒く煤け、いたるところが崩落していた。窓は割れてなくなり、風がひょうひょうと音を立てながら、建物の中へと流れ混んでいる。「ボロくて悪いな。40年くらい前に廃墟になった場所なんだが―――…今や、俺"達"の隠れ家だ。」廊下を進むと、やがて毘沙門天は猫又とともにある一室に入った。「…!」そこには、20はいようかという妖怪達の集団があった。「!あ、タマが帰って―――…」小さな子供の妖怪が、猫又を見て呟いた時だった。後ろにいる毘沙門天の存在に気づいた途端、ぴゃっと驚くと、慌てて物陰に隠れた。「…」それを見た他の妖怪達も同様に驚き、距離を取りながら一斉に物陰に隠れる。「…なんで私は距離を置かれてるんだ…。」流石の毘沙門天も若干傷つきながら呟く。「…毘沙門天ともあろう方だ…。皆萎縮してるんだろうよ…。」「本当にそれだけか?」猫又を見るが、先ほどと同様に顔を思い切り反らしている。どうやら嘘がつけない質らしい。「いてててて!!やめろ!!離せ!!」思わずその耳を抓り上げる毘沙門天。「あっ!ご、ごめんなさい!やめて!やめてーっ!」その様子を見て、わらわらと妖怪たちが現れた。その大きさは大小様々で、容姿も人に近しいものや、まったくの異形だったりと個々で異なった。ただ共通して言えるのは、どの妖怪も大人しく、仲間想いの良い妖怪達であるということだった。毘沙門天の周りに集まり、小さいものはぴょんぴょんと跳ね、大きいものはゆらゆらうろうろとしながら抗議する。「…なんだこのガキの集まりみたいなのは…。」控えめな抗議を受けて、大人しく手を放す毘沙門天。「…実際そんな感じだ。」耳をさすりながら猫又が答える。「まぁ取りあえず座ってくれ。」そう言って猫又は、近くにあった座布団に座り込む。「ど…どうぞ…。」妖怪達の一人が、綺麗な座布団を手に毘沙門天へおずおずと差し出した。それを受け取りながら微笑む毘沙門天。「ありがとう。」その笑顔に赤らみながら「いいえっ!」と答えると、そそくさと猫又の背後へ再び隠れていった。
―――――「…確か…ここ100年くらいで人間による土地の浸食が進んだり、人間達の価値観が変化したことで、妖怪達の存在も大幅に減ったと聞いたが…。」猫又と毘沙門天が向かい合って座り、それを取り囲むように妖怪達が物陰から見守る。人の信仰心や、不確かなものを信じる心が薄れたことで、天人の力が衰えているという話があったが、それは妖怪達にも同じことが言えた。妖怪や悪神等を"恐れる心"、"信じる心"が失われていくことで、それと比例するように、妖怪達も個体数と力が減少していた。「その通りだ。」「…にも関わらず、この辺り一帯は妖怪の数が増えてやがる。…どういうことだ?」「それについては俺達も調査中なんだ。…そこにいるのは、元からこの土地に住んでいる奴らだ。増えているのは、他から来た"余所者"が大半だ。」「…どこからか流れ着いているということか?」「そうだろうな…。しかも中には、邪悪な奴も紛れ込んでる。まだ人への被害は少ないが、同族である俺達妖怪に対しても牙を向けるような連中でな。こいつらの中にも、襲われた奴がいる。…この辺りにいた昔の仲間達も、仲間を守ろうとしてやられちまったり、この土地から逃げ出して…皆いなくなっちまった。」「!」「だから今はこうして残った者同士、互いに身を寄せ合ってるってわけだ。…こいつらは大人しい穏健派だからな。どうしようもできねぇ。」毘沙門天は周りの妖怪達を見る。どの者も、邪悪な存在へ対抗できうる力を持ち合わせているようには見えなかった。「そうか…。」「まぁ、他にもいるっちゃいるんだが…。…皆どこか諦めてるような様子でな。」それで自分に助けを、ということか。偶然とはいえ、到着が遅れてしまったことに対して若干申し訳なさを感じた。おまけに舟から落ちていなければ、ただ通り過ぎていただけかもしれない。「…私に出来ることがあれば協力しよう。」その毘沙門天の発言に、ぱあっと表情が明るくなる妖怪達。「…助かるぜ。」猫又も安心したように微笑んだ。「それで?お前達が調査した結果はどうだったんだ?」「それがだな…。」そう言って猫又が合図を出すと、大きな異形の妖怪が地図を運んできた。「この"印"を付けたところが、気配を感じる場所だ。白色が未調査の場所。赤丸が他所の妖怪がたむろしていた場所。青丸は、何らかの呪物が置かれていた場所だ。」「呪物―――だと?」呪物とは、凝縮した負の力を内部に込めた物体であり、その対象物は様々だ。藁人形や本等、"呪術"で使用されたもの等がそれに該当する。「あぁ。前はそんなモノ置いてなかった。」「…どう考えてもおかしいな…。」「あぁ。誰かが意図的に置いたとしか考えられない。…そいつのせいで、この土地の負の力が増大しているようにも感じる。」考えれば考えるほど奇妙だ。『誰かが意図的に』―――…。毘沙門天の脳裏に、昨日現れた貧乏神の姿が思い出された。「(一番単純に考えると、あの貧乏神なんだが…。)」だが、あんなにもあっさりと姿を見せ、毘沙門天相手に直接喧嘩を吹っかけてきた奴らだ。ここまで手の込んだことをするだろうか?しかも、何のために?「(…まさか、全ては私達の足元を掬うため、とでも言うんじゃないだろうな。)」だがそう考えると、自分が今ここにいる理由も納得ができる。七福神達が地上に降りられないのを良いことに、民や他の善良な妖怪達に危害を加えることで、目にモノをみせようとしている…?…全ては仕組まれていたということか?―――だとすると―――…。毘沙門天はふと、猫又や妖怪達を見る。「どうした?」「いや…。」―――この町は、ただ"復讐のため"に"利用されただけ"の可能性がある。「……」もしや自分達のせいで?という疑念が、毘沙門天の中で湧き上がる。思いつめたように考え込む毘沙門天に、猫又が声をかけた。「…ちなみに、呪物については取り払えてねぇんだ。俺達にはその力が無いもんでな。」「…そうか。」取りあえず今は考えていても仕方がない。まずは情報を集め、出来ることから対処しなければ、と毘沙門天は己を奮い起こす。「呪物については、軽い物なら私でも対処できるがそれ以外なら後回しだな。私にも対処のしようがない。七福神が集まれば話は別だが。」「そうだな…。七福神の行方については、俺の方でも調べてはいるものの、今のところさっぱりだ。」「そうか…。」そうして再び地図に目線を落とすと、あることに気づく。「これは?」そう言って指した地図には、黒い丸印がついていた。「…あぁ、黒丸は、気配が邪悪すぎて、俺達には近づけもしなかった場所だ。」もしかしたら、過去に暴れた輩というのもそこにいるのかもしれない。「…なら私は、この黒丸の箇所を優先的に、赤丸や青丸の方も廻ろう。呪物も可能な限り破壊する。」「そうしてもらえると助かるぜ。何人かお供も付ける。俺達の方も、もっと調査を続けてみるぜ。」「あぁ。頼んだ。」
そうして小さな妖怪が4匹、毘沙門天のお供に付くことになった。手元の地図を見て颯爽と歩く毘沙門天の背後で、4匹が浮遊しながらこそこそと話をする。「な…、なんか近づきがたい雰囲気があるよな…。」「でも思ってたよりは怖くはないの、…かも?今回のことだって、快く引き受けてくれたし…。」そんな風に話していると、「ここか。」と毘沙門天が立ち止まる。「わわっ!」よそ見をしていた妖怪達がぽんぽんと毘沙門天の背中にぶつかった。「ん?」「わっ!ご、ごめんなさい!」「構わないが、よそ見はするな。危ないぞ。」毘沙門天は特に気にするでもなく、そのまま歩き出した。その様子をぽかんと見ていた妖怪達。「大物だ…。」
――――墓地の一角で、小鬼達が集まり何やら会議を開いていた。「けへへへへっ!!人間どもに目にもの見せてやるぜぇ!!」「おい。」「ひゃあっ!?」構わずそこに毘沙門天が乱入する。「なっ、な、なんだァ!?」「盛り上がっているところ悪いが、手短に話すぞ。…お前らはどこから来た?」「へあっ?」「どうやって来た、どうして来た。」「ど、どうしてって…。」「正直に話してくれれば何もしない。」毘沙門天の言葉に顔を見合わせる小鬼―――…否、天邪鬼達。毘沙門天の強さは肌で感じており、その発言が空事ではないだろうことを察する。問われたことに対し、正直に話し出し始めた。「…わからねぇが、いつの間にかここに来てたんだよ。」「いつの間にか…?」「俺達が元々住んでた場所とここは、どうやら違うところみてぇだ。」「この前、ふらふら~っと誘い込まれるように霧の中を歩いてたらよォ、いつの間にかここに辿り着いたんだよ。」霧の中を…と、その情景を頭の中でイメージする。「そしたらこの土地の空気の良いコトったらよ!来てよかったぜ~!」げへへと笑い合う天邪鬼達。「そうか。答えてくれて感謝する。…ところで、何か企んでいたようだが―――」そう言って毘沙門天は手元に刀を出現させると、その刃をちらつかせた。「ヒッ」「"人間ども"に何かしようものなら、私は地の果てまでお前達を追いかけ、斬るしかないが。」ぴゃっと脅えるように身を寄せ合う天邪鬼達。「はっ、話が違うじゃねぇかっ!!」「"何もしない"とは、あくまで今時点での話だ。お前達が人間達に手を出したとなればそれはまた別だ。―――いいか。私が常に目を光らせているということは肝に銘じておけよ。なんなら今、お前達を斬ったっていいんだからな。」「はっ、はいッ!!!」ビシッときょうつけをすると、慌てて天邪鬼たちはその場を逃げ出していった。「…いいんですか?」「まぁ、大それた悪さをするような奴らじゃない。」そう言って刀を鞘に納めて霧散させると、毘沙門天はその場を後にした。
――――とある空き地に呪物が落ちていたため、毘沙門天が宝棒であっさりと叩き壊した。「次行くぞ。」迷いなく歩き出した毘沙門天に、お付きの妖怪達はびくびくと脅えていた。
――――空きビルの一室に辿り着くと、そこには、人で言うと20代後半であろう角の生えた女たちが4人、たむろしていた。その内の一人が毘沙門天の存在に気づく。「げっ!!毘沙門天じゃない…!!」「…おいおい、久しぶりだな、鬼娘ども。」「もう娘って歳でもないけど…。」近づいてくる毘沙門天をげんなりとしたような顔で見つめる鬼娘。まさかの毘沙門天の知り合いのようだった。「私達のこと、よく覚えてましたね毘沙門天。」「そりゃあな。お前らは印象が強すぎて忘れるに忘れられねぇよ。」「そういや最後に会ったのっていつだっけ?」「何500…?年とかかしら。」「最近年数が数えられなくなってきてるのよねー。」「ていうか他の七福神のメンバーはどうしたよ?」「絶賛はぐれ中だ。」「あーあ、迷子?」「…まぁそんなところか。」勝手に盛り上がっている5人に、思わずお付きの妖怪達が話しかける。「毘沙門天サマ、知り合いなの…?」「あぁ。昔ちょっとな。」「大昔やんちゃしてたあたし達を、この毘沙門天サマはじめ七福神がこてんぱんに懲らしめてくれたって感じ!」カラカラと笑う鬼娘の一人。「…お前ら、昔『反省しました』とか言ってなかったか?相も変わらず妖怪のままか。」「…流石にあたしらだってもう人は食ってないわよ。」「人を…!?」毘沙門天の後ろでガタガタと震え始める妖怪達。それを見て怒鳴る鬼娘。「だから昔の話よ!!」「あの頃はとがってましたからねー…。」「それならいいが。…ところで、お前らはどこから来たんだ。」毘沙門天の問いに、顔を見合わせる4人。「あたし達どこから来たの?」「さぁ…。」「歩き回ってたらいつの間にかここにいましたからねぇ。」「どこから来たとか覚えてねぇな。」「お前ら…そういうところも相変わらずだな。」呆れたようにため息をつく毘沙門天。「今馬鹿にした?」「した。」毘沙門天に殴り掛かろとする鬼娘を、別の鬼娘が止めに入る。「なんか、呼ばれたんだよな。」「…呼ばれた?」「誘いこまれた、って言うのかしら。」「多分『穴』から来たんだと思うけど。」「というか、それしか考えられませんよね?」「―――…」その発言から、考えこむように毘沙門天は黙りこくる。―――やがて昔話も程々に、毘沙門天が「悪いが急いでるもんでな。」と鬼娘達に背を向けた。それを慌てて追いかけるお付きの妖怪達。「他の七福神達にもよろしくー。」と声をかける鬼娘達に、毘沙門天は「お前らも、悪さはするなよ。」と手だけを振って答えた。
――――とあるボロアパートの一室を訪れた毘沙門天達。中はカーテンが閉め切られており、真っ暗だった。畳も壁もボロボロになり、じめじめとした空気が漂う。その部屋の―――奥の暗い場所に、全身が大量の長い髪の毛で覆われた、一人の妖怪がいた。髪の毛の奥からは、大きな一つ目だけが覗いている。脅える妖怪達を置いて、無遠慮に部屋の中へと入っていく毘沙門天。「確かに異様な空気は感じる。…だが、見たところ害はないな。」そう言ってゆっくり、静かに、毛長の妖怪の傍へと近寄っていった。お付きの妖怪達は、玄関付近に隠れながらその様子を見つめていた。やがて、毛長の妖怪の隣に立つと、毘沙門天はその場にしゃがみ込んだ。「よしよし、どうした?」そう言ってそっと、その毛だらけの背中を優しく撫でてやる。「…毘沙門天様は、何をしてるんだ?」「なんだろう…。」妖怪達が経過を見守っていると、毘沙門天が毛長の妖怪に話しかけ、耳を傾けて、相槌を打っている様子が伺えた。「そうかそうか。」会話の内容は聞こえないが、どうやら話を聞いてやっているようだ。度々毘沙門天が妖怪の背中を撫でてやっている。それを見ていた妖怪達は、思い思いに感情が揺さぶられた。暫くすると、毛長の妖怪はその大きな瞳から、涙のような雫をこぼした。それを優しい瞳で見つめる毘沙門天。「…辛かったな。お前はよく頑張った。もう楽になっていい。」そう一言、声をかけた時だ。毛長の妖怪は光に包まれると、その場から霧散して消えていった。「…!!」跡形もなく消えるまで見守ると、毘沙門天はゆっくりと立ち上がって、玄関の方へと歩いて来た。「ここはもう大丈夫だ。行くぞ。」そう、扉の周りにいた妖怪達に呼びかけた。妖怪達は毘沙門天の後ろを歩きながら、問いかける。「…妖怪だからと、斬らないんだね。」その問いに対して、真っ直ぐと前を見つめながら答える毘沙門天。「…私の信条として、極力斬らないようにしている。…お前達もそうだろうが、妖怪は生前、辛い思いをして為る者が大半だ。ただでさえそんな想いで為って―――本人が望まなくとも、周りの環境や人々がそうさせてしまったことだってあるだろう。…慈悲は必要だと思っている。」その毘沙門天の発言に、4匹は互いに目を合わせていた。
――――元工場だろうか。廃墟となった大きな建物の奥の方に、異形の巨体があった。そのふくよかな体には、人間の顔と思われる紋様が数多く浮かんでいた。恐らく"元"は人間だった者達が寄せ集まったものだろう。「…タスケテ…、……タスケテ……」脅えるお付きの妖怪達の耳に、助けを求める声が聞こえた時。一歩前に出ていた毘沙門天は、今度はその手元に宝珠を出現させた。「安心しろ。解放してやる。」そして巨体に近づくと、宝珠を持つのとは逆の手で、その体に触れてやる。毘沙門天が暫くの間念を込めていると、その妖怪は先ほどの毛長の妖怪と同じように、体を輝かせ、霧散した。妖怪への対応と慈愛に満ちた毘沙門天の表情を見て、お付きの妖怪達はふと、昔聞いた毘沙門天に関する噂を思い出した。―――『強き者には明王の如く厳しく、弱き者には菩薩の如く優しい』―――…。噂は本当だったのだなと、彼らはようやく理解をした。―――建物を出て、次の目的地へ行こうとした時だった。他の拠点へ調査に出ていた仲間の妖怪が、慌てたように駆け寄ってきた。「大変だ!助けてくれ!!」「!」
――――「なんだァ?」呼ばれた場所へ辿り着くと、そこには言わば「青坊主」と呼ばれる妖怪がいた。3Mもの巨体に真っ青とした頭、ギョロギョロとした目玉と、大きな口―――そんな風貌をしたそれは、毘沙門天たちが到着した時、小さな妖怪を両手で捕まえている最中だった。「悪いが、その手を放してもらおうか。」「わははっ!俺に指図すんのかァ?威勢の良い女だなァ。…だが、聞いてはやらねぇよ。」そう言って握る力を強める。「ぐうッ…!」手の中に捕らえられていた妖怪は、苦しそうにうめき声をあげる。――――と、次の瞬間。青坊主の両腕が吹っ飛んだ。呆気に取られていると、すぐ傍で刀を振り上げた状態の毘沙門天が見えた。「ならこっちも、お前の言うことを聞くわけにはいかないな。」「…!!」咄嗟に背後へ飛び出し、毘沙門天から距離を取る青坊主。毘沙門天は落下してきた小さな妖怪をその手に受け止めた。「(なんだ…ッこの女…!!)」ただならぬ力に焦る青坊主。その腕は、うにょうにょと物質が再生し、数秒後には元通りに復活をしていた。毘沙門天は妖怪を下ろして、陰に隠れるよう指示する。妖怪が従い、逃げていくのを確認すると、毘沙門天は青坊主の方へと向き直った。「…お前が妖怪達や人間達に危害を加えないと約束してくれれば、私も何もしないが。」「へ、…ッへへっ!!誰が…ッ!!馬鹿にしやがってよォ!!女一人で何が出来るってんだよ!!俺はなァ、この町で妖怪の長として君臨するんだッ!!」その答えを聞いて、冷静に呟く毘沙門天。「そうか。わかった。」そして次の瞬間、青坊主の首が飛んだ。「?」どうなったか認識できないまま、青坊主の頭は宙を舞う。その背後には、いつの間にか移動していた毘沙門天の姿が。落下しながら青坊主の目が捉えたのは、振り向きざまに自分を見下ろす、毘沙門天の無慈悲な眼差しだった。「地獄からやり直してこい。」青坊主の頭は地面に落ちると、次第に霧散していった。同じく体も、その場から消え去った。それを見届けると、毘沙門天は刀を鞘に納めた。そこにわっと妖怪達が集まってくる。「毘沙門天サマ、すごーい!!」「かっこよかった!!」「ありがとうございますっ!!」纏わりついてくる妖怪達をなだめる毘沙門天。「わかったわかった。」その内の一人が毘沙門天の前に飛び出し、深々とお辞儀をした。「ありがとうございました…っ!!」その様子を見て、ここに向かいながら聞いた話を思い出す。どうやらこの青坊主、猫又の仲間達を何人かやった張本人らしかった。だが、街を隠れながら移動していたため、これまでその居場所が特定出来なかったのだという。涙を浮かべて喜ぶ妖怪の頭を、優しく撫でてやる毘沙門天。「もう大丈夫だ。私がいる。」その言葉に安心したのか、堰を切ったように泣き出してしまう妖怪達。最近の町の状況が余程不安だったのだろう。これまでため込んでいた不安を流し出すかのように、わんわんと泣いている。毘沙門天は仕方がない、といった風にその場に座り込むと、抱き着いてくる妖怪達を撫でて、あやしてやった。