とある学校の廊下で、長身でスーツ姿の性別不明の人物が闊歩している。「零(れい)ちゃーん、ばいばーい!」「先生、さようなら!」「おう、また明日なー。」“零(れい)ちゃん”と呼ばれたその人物は、スーツの前側をだらしなく開けて、ズボンからはシャツを出し、更には腕まくりをして―――とても“教師”とは思えない井出立ちをしていた。「見て見て零ちゃーん!このネイル可愛くない?」「おーすげぇなこりゃ。デコレーションっつーの?良く出来てるじゃねぇか。“天先生”に見つからないようにしろよ。」「えへへっ!はーい!」「おっ、田中!お前今度大会出るんだってな。すげぇじゃねぇか!頑張れよー。」「おうよ!零ちゃん優勝したらなんか奢ってくれよなー!」「おー近所の惣菜屋のコロッケならいいぜ。」「ケチ!」「大木、お前この前のテストの点良かったぜ。この分なら志望校狙えるぞ。その調子で無理せず頑張れよ。」「はい、ありがとうございます。」「あっ!葛城!お前この昨日学校サボっただろ!伝田先生んとこ謝りいけよ!」「はぁ?零ちゃんがこの前校舎裏で煙草吸ってたのチクるけど?」「ぐっ…。それはずりぃだろ!!」通り過ぎざまに生徒達と話しながらある教室に辿り着く。ガラガラと扉を開くと、そこには一人の女子生徒が座っていた。教師はその女子生徒の前の席に、横を向きながら座り足を組んだ。そして一つ、大きなため息をつく。「全くよ…。お前はいつになったら赤点脱却できるかな、花生。」「うぅ…ごめんなさい~~…。」ず~んと重い空気を纏わせながら教師の皮肉に対し素直に謝罪する花生(はなみ)という名の女子生徒。「数学だけは本当に苦手で…。」「まぁ誰しも得意不得意はあるもんだが、それにしたってなぁ…。数学なんて、公式と大体のやり方さえ覚えりゃ出来るだろ?」「出来ないんだよ~~~!」「ったく…俺の授業はそんなにわかりづらいか?」「零(ぜろ)の授業はすっごいわかりやすいよ!!皆も言ってる!!テストが難しいの!!」「何を当たり前のことをそんな…。」先日行った花生のテストの結果は28点だった。「…ともかくだ。今回も恒例の“補習”を執り行う。」「すみませんが何卒よろしくお願いいたします…。」深々とお辞儀をする花生。「その素直な態度は評価に値しよう。」「ならば補習時間を少し短縮の程…」「がっつり3時間やる。」「ヒエ…」
――――「いいか?こういう場合はこの公式を使って…。」「…」「…花生?」「頭がパンクしそうだよ~~~!!」「まだ1時間だろうが…。」「私ほんっとに数学駄目なの…。疲れちゃう…。」「しょうがねぇな…。じゃあ10分だけ休憩だ。」そう言って零は手にした教科書を閉じて伸びをする。その様子を見ながら花生がふと質問をした。「ねぇ、零って本当に人間じゃないの?」「なんだいきなり。…お前、数学だけじゃ飽き足らず、まさか『現代社会』だとか『生物』の成績も―――――」「ちゃ、ちゃんとやってるよ!!――――…でも、いまだに信じられない。だって、普段零のこと見てても全然普通の人間っていうか…。そんな風には見えないし…ずっと疑問だったんだよね。皆も言ってるよ?」「まぁ…。ここじゃあ俺もろくに“力”は使ってねぇからな。」花生の脳裏に授業の光景が蘇る。
――――『この世に存在する、ヒト型の生物は私達“人間”以外にも、もう1種類います。元々彼らは、私達の住むこの“地上”ではない、別の世界で暮らしていました。“異世界”ともいうべきか…。この宇宙ではない別の次元に生きていた存在です。それが、君達が生まれる前の―――今から64年前、異世界の入口を通過して、地上に彼らが初めて現れた。その最初に現れた人物というのが、君達の住むこの町の市長―――時市長と、他3人でした。彼らは人間ではありませんない。我々人間とは、体の構造や構成物質が異なっています。そして、神に匹敵するほどの強大な力と、高い知能を有しています。しかし、彼らは人間に対して非常に友好的でした。彼らは仲間をこの地上に次々と呼び寄せたものの、現在も尚、彼らと共存ができているのは彼らの社交性のおかげですね。』
――――「零達の持ってる『強大な力』って言うのがどういうのか知らないけど、そんなにすごい生き物なのに、なんで地上で大人しく『学校の先生』なんてやってるの?」「なんでって…。」花生の発言に零が不機嫌そうに眉をぴくりと反応させる。しまった、と思った時には手遅れ。息をスッと吸い込むと、怒鳴るように吐き出した。「なんでもなんも、全部あの忌々しい市長のせいだろうが!!」この話題は零―――いや、零達にとっては地雷であった。
――――『…ただし、彼らの種の中でも、更に大きく”2種類”に分類されます。時市長達、【良人(よしびと)】と、…零先生達、【悪人(あくびと)】です。時市長がこの地を訪れた時に私達人間に教えてくれたのは…「【良人】地上で言う“天使”にあたり、清廉潔白に生き、人々に幸福をもたらしてきました。対して【悪人】は地上における“悪魔”に匹敵し、これまで悪行ばかりを重ねてきました。…だからこそ、「【悪人】は戒め、更生させるべき存在」とされています。』
――――「あの野郎勝手な創作しやがってよ!!なぁーにが『良人』『悪人』だ!!ばかばかしいったらありゃしねぇ!!」「作り話ってこと?」「当たり前だろ!!俺達は全く対等の同じ存在だ!上も下もねぇ!」「…でも、大人達は皆信じてるよね…。」「あぁ。時“市長様”の教育の賜物でな!!クソッ…たまたま俺達が地上に出てくるのが少し遅かったってだけで好き放題やってくれやがって…!おかげで職業差別もあるし、世間的にも待遇的にも冷遇ばっかりだ!」「可哀相…。」「絶対許さねぇ~~~~!!あの野郎いつか絶対目にモノ見せてやる…ッ!!!」わなわなと拳を握り締めながらヒートアップしている零を尻目に、冷静な質問を投げかける花生。「そもそもなんで零達と市長達はそんなに仲悪いの?同じ種族なんだよね?なんで二つに分裂しちゃったの?」「気に食わねぇから。」「へ?」「単純に嫌いなんだよ、お互いにな。俺達はあいつらが、あいつらは俺達が気に食わねぇ。それだけだ。だからお前らの生まれるずっと昔から二つの派閥に分かれて争ってきた。」「えぇ~~~…?」若干引き気味の花生に乗り出しす零。「…そもそもの話だ。この世界の成り立ちから教えてやる。教科書にも書いてねぇことだからな、ありがたーく耳かっぽじってよく聞いとけ。」「この世界の成り立ち!?」まさかの視点からの話に驚く花生。窓の外のオレンジ色の空に目を向ける零。「元々この世界は、ただ一つの単一の世界しかなかったんだ。」当時は零達も時達も割と平和に暮らしていたそうだ。だがある時から、派閥が二つに分かれて争い合うようになる。「きっかけは忘れちまったな。暇だったからか、何かがあったからか。…何せ、地球時間で換算したら何万、何億も大昔の話だからな。…まぁ、時間の流れが当時――――…っつーか、あっちの世界とは違うわけだが。」零が率いる派閥と、時が率いる派閥の二つに加え、彼らの争いと止めようとする中立派もいたという。「俺らの争いを見かねた“神”が、世界を二つに分けた。」「えっ!?神様っているの!?」「いるぞ。だけど、お前らが考えるような仏様だとか、キリストだとかああいう偶像的なものじゃない。概念みたいなもんで、俺らみたいに話したり、思考したり、意志があるわけじゃねぇ。この世の均衡を保つために、理に従って動くだけの機能的な存在だ。」「へぇ~~~…。」急に始まった壮大なスペクタクルな話について行けなくなる花生。自分に話すよりも、学者だとか偉い人に話した方がよっぽど有益なのでは?と思ったが、続きが気になったので口を噤んだ。「そもそも世界を二つに分けたって…。」「完全に二つに分離したんだ。でも、俺らはその境界を超えて、お互いの世界に攻め入った。」「そこまでして!?っていうか、そんなに簡単に侵入できるの!?」「まぁ世界を完全に分かつなんてのは無理な話でな。簡単に言えばただ壁を作っただけだ。イメージ的にはこの地面の下に、もう一つの逆さまの世界があって…って感じだな。お互いどうにかして道を掘り進めてもう一つの世界への開通口を切り開いた。」「殺意が高い…。」「そんで結局元通りだ。また争い合う日々に戻った。神は今度は、二つの世界の間にもう一つの世界を創った。それがこの『地上』だ。」「へ…?」「緩衝材みたいな役割ってことだな。俺達の世界を完全に分離することは不可能だ。だから間にこの世界を置いた。」「めっちゃ苦肉の策って感じだね…。」「この世界は俺達の世界が元になってるんだよ。…そうだな、お前らが言う“成分“だの“遺伝子”だので言うと、似たようなもので構成されてる。だが、神はそこに少し変化を加えたらしい。そうしたらどうだ。その世界は俺達の世界とは別に、独自の進化を遂げた。その結果がこの世界で、生まれたのがお前らだ。」「えっ…えぇ~~~…、待って理解が追い付かない…。でもまず言いたいのは、そんなくだらない理由でこの世界って出来たの!?」「まぁそうだな。でもお前らは俺達に感謝すべきだな。俺らが争ったおかげでお前らが生まれたんだからよ。」どや顔で言ってのける零に、困惑した表情の花生。「た、確かに…?うーん…でもなんか腑に落ちない…。」「そんで後はお前らの知ってる歴史の通りだ。時達の野郎が先に地上への侵入を果たして、人間達に『俺達が“悪”だ』っていう教育を施した上で、俺達をこの地上に受け入れた…ってわけだ。」「へぇーー…。」「…なんだその顔は。」「ううん。なんか壮大過ぎてついて行けないだけ…。」「うわっ!!もうこんな時間じゃねぇか…。花生、補習再開するぞ!」「ええっ!?この状態でやったら頭爆発するよ~~!!物理的に!!」「大丈夫だ。物理的には爆発しねえから安心しろ。」
――――補習が終わる頃には辺りは真っ暗になっていた。零が「近くまで送ってやるよ。」というので甘える花生。「そういえばさっき、『零がリーダー』だってようなこと言ってた?」「あ?あぁ、言ったな。」「そんなすごい人たちのリーダーなの?零が?」花生が問いかけると得意気に鼻を鳴らして笑う零。「言っておくが俺は最強だぜ?」「え~~~?」「馬鹿にしてやがるな?」「だって最強な人って自分のこと最強って言わないよね?」「そうか?」「そうだよ!」そんな風に二人で公園を歩きながら話していた時だった。目の前に男が現れる。「はっ、おい零!!ここで会ったがなんとやらだな!!」「うわあ出たね。」まるでいつものことのように薄い反応をする二人。「やめとけやめとけ。お前じゃ無理だって。時の野郎連れてこい。」「なんだと~~!?馬鹿にしやがって!!」そう言って駆け出す男。「花生、離れてろ。」「うん。」大人しく距離を取る花生。高く跳びあがり振りかぶる男に対して、ポケットに手を突っ込んだまま余裕そうに突っ立っている零。「良い機会だ。ちょっと見せてやるよ、花生。」「うん?」にやりと笑う零の周囲で何やら黒い電撃のようなものが走った。―――ように花生には見えた。次の瞬間、「!!」地面から何か、太く長く、黒い塊が飛び出した。かと思えば、とびかかって来た男の方へ高速で伸びていく。「!?なッ…!!」男は咄嗟にそれを避けるが、次に飛び出した同じようなその塊に包まれるように、捕らえられてしまう。「いててててッ!!!!」「わ…わぁ~~~…。」その黒い塊が停止すると、その全容が良く見えた。零の周囲の地面から飛び出したそれは、まるで蛇のような、そして植物のような形をした何かだった。半身を地面から出すように8本――――…いや、8体が、戸建ての2階建てくらいの高さにまで伸びている。その内の1体が、男の胴体を齧るようにして捕えている。「なっ…何それ!?初めて見た!!」「俺達の種族は…そうだな、地上で言う『使い魔』みたいな奴を操れる。こんなん見せたら怖がる奴もいるからな。ますます『悪魔だ!』『悪者だ!』なんて言われちまう。だから普段は出さねぇんだよ。」「そっかぁ…。」「だからこれは内緒だからな。」「どうせ言っても信じないと思うけどね…。」あははと苦笑いを浮かべる花生。「はっ…離せ!こら!!『【良人】からの行為に対する抵抗禁止』っつールールがあるだろうが!!」「知らねぇよお前らが勝手に決めたルールなんて!!抜け出してぇならさっさとてめぇも使い魔出して、抜け出せばいいだろ!」「俺『召喚』苦手なんだよ…。」「ったくよ…。」だらりと諦めたように項垂れる男に大きなため息をつく零。「もうこの際しょうがねぇ!!煮るなり焼くなり好きにしろ!!」「なんなんだよこいつ…。」すると零は蛇を使役して男を離してやった。「!」「さっさといけ。二度と来んなよ。」「くっ…くそ~~~!!」男はその場から逃げるように走り去っていった。その様子を呆れながら見る二人。「いつものことだけど…いいの?」「いいんだよ。弱い者いじめしたところで気分悪いだけだろ。」「思ってたんだけど…”争う“って言っても、”殺し合ったり“する訳じゃないんだね。」「そう簡単に死なねえからな。お前ら人間に比べて回復力も高い。」「そ、そうなんだ…。」「そもそも殺すほど嫌いかって聞かれると…どうだかな。」その言葉に、花生は零の方を見る。どこか遠くを見るような目をしていた。「そもそも殺すってのも気分悪いだろ。…殺したら、そいつは二度とこの世に存在しねぇ。たった一度、たった一人のそいつだ。その”命“とやらを他人が終わらせるなんて、相当思い”罪“だと俺は思うぜ。…まぁ、余程の大罪を犯せば、それも仕方ないのかもしれねぇが…。そう考えるとこの世界の司法制度は良く出来てるよな。」そう言うと零は夜空を見上げながら僅かの間静止した。「?どうしたの?」「いやぁ…人間は生きるの大変だなと思ってよ。」「え?なに?急に。」「…”罪“の多さってのは、社会の複雑化と人間の生きるための制約の多さによるものかと思ってさ。」「制約?」「俺達は衣食住には捕らわれない。食事はまず必要としないし、睡眠だって人間ほどの長さは不要だ。基本どこでだって寝られるしな。怪我だって治るのが早い。何より大きな力があるし、皆好き勝手生きてても誰も咎めることはない。対して人間は、生きるために食事は1日3食は必須ときた。しかも人間は数が多いから…。食い物も1日そこらで準備出来るものばかりじゃねぇ。食物を1から育てて…加工して…って時間と労力がかかる。睡眠も7時間は必要なんだろ?体は俺達よりずっと脆いし、病気にもかかりやすいから治療も必要だ。寒さや暑さに耐性も弱いからその対策もしなきゃらなねぇ。そしてそれらすべてを実現するためには――――とにかく金が必要だ。そのために労働して、…って考えると、まぁそりゃ色々とトラブルが起きても仕方がねえよな。…それに比べて、」そこまで言うと零は再び何か考え込むように一時停止した。だが少しして再び思考が戻ってくると花生の方を見やった。「…ともかく、人間は生きるの大変そうだなとは思うぜ。」「なんかよくわかんないけど…ともかく、おわかりいただけたようで何よりです。」「でもだからこそ、”尊い命“だとも思うけどな。」「え?」「それだけの努力をしないと生きていけない人間はよくやってるよ。生きるために日々働いて、飯作って、まさに『生きてるだけで偉い』ってやつだな。尊敬するぜ。」「ふーん…。」そうすると今度は花生の方が少し考えるような仕草をした。「…なんかさぁ、」「ん?」「”人外“って聞くとこう…人間の理解できないようなことを言うようなイメージがあったけど…。零とかって…――――結構まともだよね!!」「…喧嘩売ってんのか?」「違う違う違う!」零が詰め寄ると焦ったように両手をぶんぶんと横に振る。「…私、なんで零達と時市長達がわかりあえないのかなって疑問に思えて来ちゃった。」「何言ってんだよ。…いいから。こんなところでくだらねえこと喋ってねぇで、さっさと行くぞ。遅くなっちまう。」「えっ!?零がなんか勝手に話し始めたんじゃん~~!!」「うるせぇ!」
――――「クソッ…こんな時間になっちまった…。」仕事を終えた零は街中を歩く。そしてとある薄暗く小さなビルの中へと吸い込まれると、細長い階段へ足を進めた。4Fまで上がると、そこにある古く汚い扉を開いた。中へ歩みを進めると、ソファに座り新聞を広げる男に声をかける。「よう、聿。なんか久しぶりじゃねぇか?」声をかけられた“聿(いち)”と呼ばれた男は新聞から顔を上げると、零を見た。「…ここのところ残業続きだったからな…。相変わらず雑用ばかり押し付けられるし…。全く…【悪人】だからといってどう扱ってもいいと思ってるな、あいつらは…!!」苛立ちが隠せず手で新聞をに握り潰す。「はは、そりゃ難儀なこって。自分達のことを【良人】だとか言う割にはネチネチと陰気くせぇことばっかりやるもんだな、あいつら。」「全くだ。…そっちはどうなんだ。教師は上手くやれてるのか?」「あぁ。自分で言うのもなんだが、まぁそれなりにやってるぜ。」「お前は昔から頭だけは良かったからな。」「だけとはなんだよ!」「お疲れっす、零さん!!茶っす!」そう言ってもう一人の男―――燦(さん)がお盆にお茶の入った湯飲みを乗せて持ってきた。「お前…すっかり人間文化が板についちまって…。ありがとな。」そういいつつ湯飲みを手に取ってソファにどかりと座り込む零。「今やってるバイト先でよく見る光景なんで真似したくなって。」へへと笑いながら零の向かい側に座る。その時、扉の向こうからヒールの音がカツカツと響いてくる。と思えば、バンっと乱暴に扉が開かれて一人の女が室内へと入って来た。「ね~~~聞いてよ~~~ッ!!!」「新、うるせぇぞ!ご近所迷惑だろうが!」たまらず聿が怒鳴る。「聿さんの声の方が近所迷惑だと思いますけど…。」「今日!!華が!!」「“華”…って、時側の奴だったか?」「そう!!私と同じ、モデルの仕事やってる奴!!私より先にブランド広告の仕事貰って!!許せない!!」「なんだそんなことか…。」「そんなことって何よ!?どう考えても私の方が可愛いのに…!!」「はいはい。」「ところで燦、状況はどうなんだ?」「ちょっと!私の話聞いてよ!!」「そうっすね~。やっぱり時の野郎を襲撃するのは難しいと思いますよ。羽車達に探ってもらいましたけど、『市長』としての仕事にかかりきりで、周囲には常に職員やら護衛やらが付いてるし…。何より、一番は人間達からの信頼が厚い。襲撃したところで、元々悪評が高い俺らは完全に『悪者』っすよ。あいつらだけじゃなく人間達も敵に回すと思いますね。」「はぁ…やっぱりそうか…。」時市長は、市民から絶大な人気を集めていた。というのも、就任直後から実施された、自分の給料80%カットやその他無駄な行政コスト削減に、貧困家庭の給食費無償化等の教育・子育て対策、町おこしイベント等の地域活性化に、他にも環境エネルギー対策や生活困窮者対策等…効果的な市政改革を起こしていた。その上人当たりも良く、市民老若男女問わず誰に対しても優しく接し、その人柄も評価されている。燦の話を聞きながら、新も黙ってソファに座り込んだ。そこに燦がお茶を持ってくる。「やっぱりあっちは、人間達を味方につけてるのが強いわね…。何やっても、“正義の名のもとに”って何も言われないけど、私達が何かやろうものなら『やはり【悪人】は名の通り悪魔だったかー!』なんて、中世の“魔女狩り”…っていうの?とまではいかないけど、祭り上げられる羽目になるでしょうねー。」「まぁ捕まって刑務所にぶち込まれること必至だろうな。…人間達と争う気は無いんだがな…。」」「くッそ…!!ますます腹立つなあの野郎…!!」「既にぶち込まれてる仲間達もちらほらいるっすもんね…。」「強硬手段は難しいってことか…。」「他の3人の誰か人質に取って脅すか?」「人質戦法が使える相手じゃないわよ!あいつら意地悪いもん。そもそもそれだってその後の人間からの心象悪いわよ?」「実際に俺達に不便を強いてる『制約』を取り仕切ってるのは時の野郎だしなぁ…。やっぱり時をどうにかしないと…。」「ちなみに時を失脚させようと不祥事だとかスキャンダルの調査をしたけど何も見つからなかったっす。それから、時の自宅も調査しようと一人になるタイミングを狙いましたが、業務終了後も、プライベートも姿を捉えられず、尾行しても100%捲かれる状況っす。」「野郎どこまで…!」「全く隙が無いな…。」「もう市庁舎に住んでるんじゃないの~?」「どうしたら…。」うーんと腕を組み頭を悩ませる4人。ふと新が呟く。「私達、いつまでこんな扱いなのかしらね~。」「…仲間達からも、よく愚痴聞かされるっすよ。」「私も~。流石に皆可哀相よ…。結構不当な扱い受けてたりするみたいだし、未だに人間の中には私達が極悪人だって信じてる人もいるみたいで、結構言われちゃったりもするみたいよ?」二人の言葉に、零は先日事務所を訪れた仲間の言葉が思い出された。
――――『零…俺悔しいんだよ。【良人】の奴らに因縁つけられて仕事はクビになるし、【良人】との待遇に差があるし、…人間の中でも、あいつらの言うことを真に受けて、俺達を疎ましく思ってる奴らもいる。…こんなの、いつまで続くんだよ?』
――――「…」「…このまま何もしないままじゃあ、永遠に状況は変わらないぞ。」聿の視線を感じて零が気まずそうに眉を潜ませる。「…わかってるって。」リーダーとしての重責が零にのしかかる。「…そもそも、あいつらがやりたいことって本当にこんなことなんすかね?」「ねー。こぉーんなネチネチしたことこれからも続けるつもりかしらね?」「俺達のことを見下して、ざまあみろ!とでもやってるんだろ。」「本当にやりたいこと…か。そういや地上に出てから時の野郎とまともに話したことねぇな…。いや、そもそも会ってもねぇからな。」その時ふと、花生の先ほどの言葉が蘇る。――――『話せばわかる気がするんだけどなぁ』
――――「…んなわけ…。」皆に聞こえないように呟くと、湯飲みのお茶をグイとのどに流し込んだ。
―――――「零先生、いい加減にしてもらえますか?」学校の廊下で呼び止められる零。振り返ると、スーツをパリッと着こんだ、一人の真面目そうな女性が立っていた。「天先生…。」「その身だしなみ、生徒に悪影響です。今すぐ直してください。」「高校生にもなって、先生の真似事なんてしないと思いますけどね~。」「言い訳はいいので。ルールはルールですから。」その言葉に零は口を噤んだ。そして天に対して向き直る。「…お前ら【良人】が【悪人】に対して強いてる“ルール”とやらは、生徒に悪影響じゃないのか?」その発言にピクリと反応する天先生。零は真剣な顔で天を見つめていた。「…私はあなたの監視役として、この学校に派遣されただけの存在です。あなたが妙なことを企んでいないか見張るためにね。…私が何か、あなたに不都合なことをしたとでも?」その言葉に、呆れたように宙を見つめる零。「はいはい、そうかよ。」そう言って、身だしなみについて特に直すことも無くそのままその場を立ち去ろうとする零。「先生!」「俺、不良先生なんで。」そう言って振り向くことなく片手をふりふりと振って去った。―――――少し歩くと、廊下の奥からひょっこりと花生が顔を出した。「また天先生に怒られてたの?」「お前…聞いてたのかよ。」「昨日の補習の宿題渡そうと思って探してたの!」そう言ってノートを零に手渡す。それを受け取る零。「天先生って【良人】側だったんだ…。ていうか人間じゃなかったんだ…!」「公にはしてねぇがな。」そして二人で廊下を歩き出した。「思ったんだけどさ、零達初め【悪人】…?とかいう人たちってそもそも…こんな扱い受けてまで、無理して地上に留まってるのはなんでなの?」「あぁ?」「元居た世界に戻って、平和に暮らすじゃダメなのかなー…って。」「お前なぁ!」前を歩いていた零が突如振り返り怒鳴る。「おめおめ元の世界に戻るなんて…『あいつらに負けた』ことを認めるみたいなもんだろうが!!」「あぁ、そういう…。」花生の苦笑いを見た後、落ち着いた表情に戻る零。そして廊下の窓の外を見上げる。「…それに、こんな面白い世界を知っちまったら、今更戻れねぇだろ。」「面白い、…かなぁ?」「面白いだろ!」そして零は窓の淵に両手をかける。「この世界は創作物で溢れてるし、娯楽も沢山ある。人間が生み出す発想力と実現力には脱帽だ。数学、化学、地学、物理学、工学…なんて、この世の真理を解明しようと人間が独自に定義した、いろんな仮説や学説が存在していて…。論文も読みごたえがあるし、その知識を生かした技術も数年単位で次々に進歩させやがってる!電波だ?インターネットだ?AIだ?仕組みはわかるがそれを実現するなんていう胆力がとんでもねぇ。しかも年々進歩のスピードが上がってるっていうじゃねぇか。医学なんてのも驚きだな。自分達の体の悪い部分を特定するだけじゃなく、その上修復しようだなんてよく考えたら頭おかしいぜ。俺からしたら宗教なんてのもなかなか興味深い。この世の成り立ちだとか思想なんてものをそういう風に解釈するのか、ってな。――――…あぁ、つまり何が言いたいかってな、」一人で早口で熱弁する零に呆気に取られる花生を見かねてか、窓を背にし、花生に向き直ると一度話を斬り上げ、簡単にまとめようとする零。「人間はすげぇってことだ。」「え…そこ?」「そこだろ!この面白い世界を創り上げたのは間違いなく人間達だ。しかもここまでそれらを世代交代でやってるってのがすげぇよ。後世の人間が受け継ぎ、更に研究を重ねて発展させてる。積み上げて進化させて、その末に作り上げたのが“今”だ。人間は『成長』する。『成長』なんて俺らの概念じゃなかったことだ。100年単位で人間の寿命は終える。にも関わらず、新たに生まれた人間が、子供が大人になって、読み書きを覚えて、知能をつけて、それまで生きてきた人間達から引き継いだことを一から勉強して自分のものにして、既定の概念をさらに発展させる。それは、人間に『成長』しようという意志があるからこそ為せることだ。…俺は、そういうお前ら“人間の” 『成長』や、作り出すものをもっと見たい、知りたいと思ったんだよ。――――…そしてそれは花生、お前も同じだ。」「私…?」「お前だってもしかしたら、何らかの“個性”や“特技”があって、将来花咲かせるかもしれねぇ。見ていてこんな面白ぇことなんかねぇよ。俺は、お前の―――…いや、お前ら生徒達の成長も楽しみにしてるんだぜ。」「…だから、先生になったの?人間の『成長』を見たいから?」「…それもあるな。」そして何かを思い出すように目を伏せた零。「…俺達が初めて地上に現れて、初めて会った人間が、教師をしてた。」「!」「まぁ、教師だってのも昔の話で、奥さん亡くして田舎に隠居した年老いたジジイだったんだけどよ。俺達に色々と教えてくれたんだ。…あぁ、俺と他に3人、仲間が一緒に来たんだが…4人で一緒に世話になったんだ。自給自足の生活を送っててな。その手伝いをしながらこの世界のことを全部教わった。自分の手で何かを創ること、そして…人間の凄さってやつもな。その爺さんが『教師になるといい』―――…って言ってたんだよ。」「へぇー…。」「俺は、爺さんがそうした方がいいって言った理由を知りたかった。」「それがさっき言ってた、『私達の成長を見るのが楽しいから』…ってこと?」「あぁ。…いや、あー…うん、まぁ、そうだな。」「なにその歯切れ悪いの!?」「なんでもいいだろ。」「ふーん…。…でもそっかぁ…きっと零以外の人達も、そうやって地上で自分の『やりたいこと』とか『好きなこと』を見つけてるのかなぁ。」「…あぁ。俺の仲間には、モデルだとか、やりたい仕事に就いてる奴もいるが、そうじゃない奴もいる。職業制限がかけられてるからな。『もっとこの世界を見てみたい』って奴もいるが、それも叶わねえ。」「なんで?」「知らねぇのか?俺達【悪人】はこの町から出られない。」「えっ!?それって全然出ちゃダメなの!?」「ダメだな。…良い機会だ。知らねえようだから教えてやるよ。まず俺達【悪人】は、この地上に出てきた時点で国に情報が登録されちまうんだ。っていうのも、俺達の世界と地上が通じるあらゆる“出入口”は監視されていて、入った途端に国の奴らに捕まる。その時に住民票は貰えるが、体にGPSを埋め込まれるんだ。理由がわかるか?」「…監視のため?」「そうだ。俺達が何かやらかした時、すぐにとっ捕まえられるようにするためだよ。俺達【悪人】には地上で生活する上での制約が何個も課されてる。『【良人】及び人間相手に危害を加えてはならない』『【良人】に逆らってはいけない』『【良人】の監視を避けてはいけない』…だなんて、向こうに都合のいい馬鹿げたもんばかりだ。しかも、職業や居住区域も制限されて、俺達はこの市でしか生活しちゃいけない決まりになってる。俺達だけに厳しく制限されたような条例もいくつか定められてる。…これらを破れば、牢屋にぶち込まれる。既にムショの中にいる仲間達も大勢いるって状況だ。」「へぇ~…。…なんか可哀相だね…。ていうかそんなの差別じゃん!酷いよね!?」「だろ?もっと言ってやれ!…その上、この前みたいにあっちの野郎が喧嘩吹っかけて来やがるし、かといってあっちがしょっぴかれることもない。不平等極まりねぇよ。」「…そうだったんだ…」「…俺は、一応あいつらの頭だ。あいつらのために何とかしてやらなきゃとは思ってるんだがな…。」リーダーとしての責任に悩む零の様子に胸を痛める花生。「抗議デモするとかは?」「お前…テレビとか見てて抗議デモが少しでも効果出たことがあったか?」「うーん…人間に協力してもらって、署名お願いするとか、人間側から訴えかけてもらうとか!私も全然やるし!!」「それも考えたが『人間を脅してやってもらったんだろ!』だとか理不尽なこと言われたり、もみ消されるのがオチな気がしてよ…。【悪人】としての風評被害と、人間との力の大きさの弊害だな…。」「…でも、零のこと見てたり他の【悪人】の人達の話聞くと皆良い人だし、人間側もそれを皆わかってるし結構好印象だよ?大丈夫じゃない?」「そりゃありがたいことに“この町の中では”そうかもしれねえけどな。人間は1億2千万人いるんだぜ?俺らの人となりなんぞしらねぇ、どこぞの人間達からしたら、そんなもん知ったこっちゃねえよ。…それに、心のどこかでは俺らの存在を良く思ってない人間だっている筈だ。“国民の総意”舐めない方がいいぜ。」「うーん…うーん…。」「…なぁ花生、頭を悩ませてくれるのはありがたいが―――」「やっぱり時市長と一回話してみるしかないよ!」「はぁ?」呆気に取られる零。「だってその政策推し進めてるのって時市長なんでしょ?」「馬鹿か!あのクソ野郎が話なんか聞くわけねえだろ!!話してどうかなる相手だったら初めからこんなことしてねぇよ!!」「わかんないじゃん!!―――私、時市長のことあんまり詳しく知ってるわけじゃないけど、テレビとかで見る限り、話の通じない人じゃないと思うんだよね。ちゃんと人間とは共存してて、市民からの好感度だって高くて、人間と友好関係を築いてるわけだし。」「そりゃあ人間達のことは悪く思ってないからだろ…。」「さっき零が言ったことって、時市長も同じこと思ってるんじゃないのかなあって。前に雑誌のインタビューで似たようなこと言ってた覚えあるし。」「はぁ?」「好きなものが一緒なら、きっと話が通じるよ!」「あのなぁ…。」「ていうか零も、他の先生も、大人達も、皆言うじゃん!『対話しましょう』『話し合いで解決しましょう』って。先生なのに、自分が出来ないで生徒にそう言うこと言うの!?」「ぐっ…。」「分かり合えなくても、認め合うことはできるんじゃない!?」「…!」花生の勢いに押されてたじろぐ零。純粋な子供の意見に何も言えないでいる時だった。「あっ!!零ちゃんいた!!」何やら慌ただしく男子生徒が駆け込んできた。「おう、どうした?」「また来てるぜ!『零はどこだ!!』ってさ。校庭のとこ!」「またかよ…。」はぁー…とため息をつく零。
――――零が校庭に辿り着くと、校庭の真ん中には【良人】の集団がおり、その周囲を離れたところから野次馬生徒達が取り囲んでいた。呆れたように歩みを進める零。「零やっちまえー!!」「頑張れ零―!!」「おい、見せもんじゃねえぞ!さっさと教室戻れ!」だが零や他の先生の呼びかけに、生徒は誰も動じなかった。「仕方ねぇな…さっさと終わすか。」男3人に対峙して、「さっさと来い」と言わんばかりに待ち構える。それを見た男はにやりと笑うと、それぞれ零に向かって走り出した。男からの攻撃を余裕な動作で次々と避けていく零。3人入り乱れた攻撃にもかかわらず、零はそれを全て見極め軽々と避けていく。これだけ生徒に見られている状態で、自分から手を出すことは避けたかった零。それは、制約上においても、教育上においても、どちらにおいてもだった。だから避ける動作と混ぜながらも、バレないように流れるような動作で男の体に腕を絡みつかせるとそのまま吹っ飛ばした。男は暫く地面と平行に吹っ飛んだ後、50M先のサッカーゴールに吸い込まれていった。ゴールはその重みに耐えきれず、反転して大きな音を立てながら倒れこんだ。「あれっ!?何!?今何が起きたの!?」生徒達がざわざわする中で他の男が零に殴り込みに行く。拳に蹴りにと、高速な動きで男は次々と仕掛けていくが、それを零は全て避けていく。「クソッ…!!」埒が明かない、といった風に一度距離を置く男。そして「!」男は自分の周りに使い魔を呼び出した。猪のような容姿をした10体ほどのそれは、男の合図を契機に高速で零の元へ駆けて行った。零は避けるが、使い魔は止まらない。そのまま方向転換をして零の元へと駆けてくる。零はそれを避けていくが、「!」気づくと、一部の使い魔達が生徒達の列に突っ込んでいっていた。「ばッ…!!」零が咄嗟に壁のようなものを『創造』して、使い魔の行く手を塞ぐと、使い魔たちは次々とそれに衝突して消えていった。生徒達に被害が及ぶのを防いだ。「えー!?何今の!?」「なんか壁出てきたけど!?」「今のも零先生の…!?」「すごーい!!」「やっぱり人外興味深い…。」そしてその光景を見た、【良人】のもう一人の男が驚いたように呟く。「流石に早いな…。」そして、使い魔を使役した男はというと、悪びれもせずにへらへらと笑っていた。「あぁ、悪ぃ悪い。」その態度を見た途端、零はぴくりと眉を反応させるとやや険しい表情になり、低い声で男に話しかけた。「おい…話が違うんじゃねぇか。人間には危害を加えない、って約束じゃなかったか?」「人聞きの悪いコト言うなよ。ただの“うっかり”じゃねぇか。」「…」その反応に苛立ちを見せた零が、今度は自分から男へと仕掛けていく。「おっ!?ようやくやる気になったか!?」これまで守勢にいた零からの駆け寄りにうきうきと構えを見せる男。零は男の手前まで近づくと、急に姿勢を低くしながら男に足払いを仕掛ける。が、「きかねえよ!」高くジャンプしてその攻撃を避ける男。だが、男が地面に着地する寸前で、零は例の使い魔を呼び出し、その足を引っかけさせて転ばせた。「いてぇッッ!!!!」地面に顔が激突する男。そんな男を零は悪い笑みで見下ろす。「あー悪い悪い、うっかりだった。」「~~~の野郎…ッ!!」再び立ち上がろうとした男だったが、「!?」地面から生えた挟み罠のようなものにがっしりと体を掴まれ身動きが出来なくなってしまった。「なッ!?」「てめぇはそこで大人しくしてろ。」そうして体の向きを翻し、残った男に体を向ける零。敵側残り一人、というところだった。生徒達の間を縫って、何者かの巨体が姿を露わす。それを見た生徒達が、冷や汗をかきながら次々に引き下がり、その巨体のための通り道を作っていく。「わっ…ヤバ…。」「終わったな、零…。」そして校庭の中心で対峙する二人の元へ辿り着くと、何も気づかない零の背後へ。「ん?」零が気配を感じて振り返ろうとした時だった。その大きな巨体に、零は首根っこを掴まれて持ち上げられた。「えっ!?あぁっ!?り、理事長!!?」零の首ねっこを掴んでいるのは、2M近くの大柄でスキンヘッドマッチョの、この高校の松千代(まつちよ)理事長(通称:マッチョ理事長)だった。紛れもなく人間である。「零が人外で、マッチョ理事長が人間て信じらんないよねー。」「零だって180超えなのに…。」生徒がいそいそと教室に向かって退却し始める中、顔の血の気が引いている零。「きょ、今日、理事長会の集まりだったんじゃ…。」「会長が体調不良でリスケになったのだよ。…それにしても零先生…何度言えばわかるのかね?」「え…えとですね、そもそもあいつらが校内に侵入して!」「言い訳は無用だ。」「はい…。」「ちょうどいい…そこの人間、そいつをそのまま掴まえていろ。」何も知らない男は、味方が来たと言わんばかりにノリノリで理事長に話かける。「君は―――…誰に向かって物を言っているのかね?」「は…?」そう言って男の目の前まで歩いて行く。思っていたよりも巨体に男は少し体を強張らせる。「そこに座りなさい。」「は?」「座りなさい、と言っているんだ。」そのあまりの圧に男は「は…」と口から空気を漏らす。「ここは道浜高校だ。そして私はここの理事長だ。全ての決定権は私にある。違うかね?」「その通りです、理事長。」今度は天先生が乱入して理事長の質問に答える。「お前ッ…!!」天の正体を知っているのか、男が口を挟むがつんとそれを無視する天。「理事長の仰る通りです。ここは学校。土地権利者は人間。あなたは列記とした不法侵入。警察を呼びますよ。」「…!!」――――そしてその後、大の大人二人が校庭のど真ん中で正座させられ、説教されていた。「いいかね。嫌いな奴は一度は好きになろうと努力する。それでも嫌いなら、我慢して付き合う。人間達はそうやって折り合いをつけて生きているんだ。良い大人たちはみんなそうしている。彼ら生徒だってそんなことくらいわかってる。自分で学んでいくんだ。君たちは数年人間社会にいながら、そんなこともわからなかったのかね!」「…」「…」「”嫌いだから暴力を振るう”、“嫌いだから排除する”だなんて、短絡的な考え方をしたやつが教師なんかやるんじゃない!!生徒に物を教える教育者のすることかねッ!!」「…はい…。」「そもそも君達【良人】もだッ!!」「!?」「君たちのやり方は、まさしくいじめっ子のそれだ!嫌いな相手を卑怯な手で貶め、不利な立場に置くことで自分達を優位に立て、差別をしている!私にはとても、君達が“良い人”だとは思えないよ。誰しもが良いものも悪いものを抱えている。人間も君達も、清濁併せた存在だと私は思っている。それを勝手に【良人】【悪人】だと分類するなど…。時市長にも伝えてくれたまえ!いい加減こんな馬鹿げた制度はやめなさいと!!」「…!」理事長の言葉に目を見開く零。「そもそも、君たちの内輪な争いに私の生徒を巻き込むんじゃない!!下手したら怪我をするところだ!君達とは違って、彼らは脆く、弱い。短い命をこれ以上危険に晒すのはやめなさい!!」「…」理事長はそこまで話すと一呼吸置き、荒げた呼吸を落ち着けると、再び淡々とした口調で話し出した。「…この世には、『郷に入っては郷に従え』という言葉がある。地上で生活をしたいのなら、我々人間のやり方に従ってもらう。元々この世界は、我々人間及びその他の生物たちのものだ。従えないと言うなら…故郷に帰ることだ。各々自分たちの世界に戻れば、わざわざ争うこともないだろう。」二人の黙りこくる様子を見て目を閉じる理事長。「…もういい。君も帰りなさい。そしてもう喧嘩を吹っかけにくるんじゃないぞ。」理事長がそう言うと、舌打ちをして男は仲間達を引き連れてその場を後にした。「…零くん。…あの人が君に学んでほしかったのは、こういうことじゃない筈だ。」「!」「私も、正直昔は先生のことは嫌いだった。価値観が違うのか、分かり合えないこともあった。だが…彼の示す道は、正しいと思った。だからついていったのだ。」「理事長…。」「ところで零先生、今日はあの日では?」「へ…。あ、そうか!」校舎の時計を見て慌てて立ち上がる。「すみません、理事長!ありがとうございます!」「うむ。」そして校庭に理事長を残したまま、零はその場を走り去った。
―――――「こんにちは、林部さん。」「あらあら先生、今日も来てくれたんですね。さ、どうぞ。あがってください。」「すみませんね、失礼します。」零はとある一軒家を訪れていた。非常勤講師である零は本来担任を受け持っていないが、高校教師として採用される際に理事長からとある頼みごとをされていた。それが、「不登校児との触れ合い」だった。学校に来ることを強要しなくともいい、ただ生徒達と触れ合ってほしい、と。「おー!勉強しっかりやってるじゃねぇか!偉いな、優悟!」そう言って頭を乱暴に撫でてやる零。「い…痛いよ先生…。」「さて、今日は何やる?勉強見てやるよ。一応全部教えられるからな、俺は。」「…やっぱりすごいな、零先生は…。」そう言って笑う優悟という生徒だったが、その顔にはどこか陰りがあった。「…でも今日は、勉強したくないかな…。」「そうか?―――…だったら、」そう言ってにやりと笑う零。――――優悟と零は二人で並んで座ると、テレビに向かいゲームに勤しんでいた。「お前このこと誰にも言うなよ。チクったら許さねえからな。」「チクらないよ…。僕だってその時はヤバいし…。―――…へへ、僕の勝ち。」「くっそ~~~!最初は俺のが勝ってただろ!?」「結果が全てだよ。」「クソッ!…これで2-3か畜生…。」「…はは…零がいたら、学校も楽しいのかな…。」「!…なぁ優悟。学校に来る気はねえのか?」「…」再び優悟の顔に陰りが現れる。「…いじめが怖いのか?…大丈夫だって。今は俺がいる。俺が傍にいて護ってやるからさ。」「…違う。…それだけじゃないんだよ…。」「それだけじゃない…っていうのは?」「…」「…優悟。俺はな。別に学校に行くことが全てじゃねえと思ってる。生き方なんて人それぞれだし、この世界はネットなんてものあって、人や仕事とつながる手段だってある。俺だって正直なところ、気に食わねぇ奴らがいる場所にわざわざ行く必要なんざねえと思ってるしな。勉強だって家でも出来る。ただ…一人でこの部屋の中だけで、何時間、何日とただ時間を浪費するだけなんてのは、…その、寂しいんじゃねえかってさ。…お前がここにいて、晴れやかな顔をしてるんだったら俺だって何も言わねえよ。でもそうじゃねえからさ。…お前も、“現状のままじゃあ良くない”と思ってるんだろ?もっと良い方法があるんだって―――」「……ッ先生にはわかんないよ…!!」「!」優悟はその場に立ち上がる。拳を握りしめて啖呵を切った。「先生みたいになんでも出来て、強くて、生徒達に好かれて、…っそんな人が僕の気持ちなんてわかるわけないッ!!」「優悟…」「怖いんだよ!人も、世の中も、何もかもが!人に避けられるのも、人に嫌われるのも、人の目に晒されるのも、自分が何かやらかすんじゃないかっていうのも、全部が怖いんだよ!―――…そもそも零だって、僕のこと言えないだろ!」「え?」「【良人】だとかいう人たちにいじめられて…何もしないでいるだろ!」「!」「あれだけの扱いされて、嫌なことされて…なのに何にも出来ない、何もしないじゃないか!!それなのに僕らには『頑張れ』だの『立ち向かえ』だの、…っそんなの、自分だって出来ないくせに言うなよ…!」「…優悟…。」一気に吐き出すと震えたような泣きそうな声で呟いた。「…先生は、【悪人】とかいうのなんだろ。」「!」「爺ちゃんが言ってたよ。『【悪人】は悪いことばっかりしてきたから、今はそういう扱いを受けてる』って。…そんな人の話を聞けって言われても、…悪いけど、信用できない。」「…」「今日はもう帰ってよ。」「…悪かったな。」そう言って立ち上がると、言われた通りに帰り支度を始める零。零が部屋を出ていくまで、優悟は零の方へと振り返ることはなかった。
―――――帰り道を歩きながら、今日人間達に言われた言葉を反芻する。――――『零も、他の先生も、大人達も、皆言うじゃん!『対話しましょう』『話し合いで解決しましょう』って。先生なのに、自分が出来ないで生徒にそう言うこと言うの!?』『いいかね。嫌いな奴は一度は好きになろうと努力する。それでも嫌いなら、我慢して付き合う。人間達はそうやって折り合いをつけて生きているんだ。良い大人たちはみんなそうしている。彼ら生徒だってそんなことくらいわかってる。』『あれだけの扱いされて、嫌なことされて…なのに何にも出来ない、何もしないじゃないか!!それなのに僕らには『頑張れ』だの『立ち向かえ』だの、…っそんなの、自分だって出来ないくせに言うなよ…!』――――そして連鎖するように嘗ての恩人の言葉が蘇った。――――『教師になると、生徒に教えられることも沢山ある。…物を知らず、穢れのない、純粋な子供の意見だからかのう。長年忘れてた…当たり前のことを突き付けられる。』『話せばわかる人間もいるし、わからない人間もいる。…それは全部、話してみないことにはわからないぞ。』『お前が何をなすべきか、何を選択すべきか、もう少しよく考えてみるといい。』――――「―――…どいつもこいつもよ…。」そう呟くと、後頭部をガシガシと乱暴にかいた。――――その後、夕方に差し掛かった時間に零が訪れた場所は、『市庁舎』であった。入って真っ先に受付に向かう。「あー…時市長に会いたいんだけど…。」「申し訳ございません。本日はイベントや会合等で終日席を外しております。」「そしたら今日でなくてもいいんだけど、アポイント取れないか?少し話がしたいんだ。」「…失礼ですが、お名前は…?」「あー…道浜高校で教師やってる零っていうもんなんだけど…。」「!!」すると受付の女性はキリ、という鋭い目線で零の背後にいる何者かを呼んだ。「ん?」するとそこに警備員の男二人が現れたかと思うと、零の腕を両側から取った。「あ?」そしてそのまま零をずるずると正面入り口の方へ引きずっていく。「は?~~~おいッ!!」そしてそのままぺいっと市庁舎を追い出される零。「~~~の野郎…ッ!!」尻もちを搗きながら市庁舎の方を睨みつける。「申し訳ございませんが、“零”という名の方が現れたら追い返すよう申し付けられてまして…。」「はあッ!?おいッ!!『少し話をしたいだけ』だって言ってんだろうが!!市長なら、少しは市民の意見を聞けってんだよ!!」「申し訳ございませんが、お引き取りください。」「おいッ!!」「零様がいらっしゃったことはお伝えしておきますので…。」そして立ち去る受付の女性と警備員達。「~~~~~クソッ…!!」零は道行く人の視線を集めつつ夕日を浴びながら、無情にも握りこぶしを地面にぶち込むことしかできなかった。
―――――その日の夜。とある高層マンションの一室でソファに座っていた女が、物音を聞つけて玄関へと歩いて行く。「時、なんか久しぶりじゃない。」「あぁ。なんか久々に皆で飲みたくなってさ。」「だから今日皆集めたわけね。最近どうなのよ?市長ってやつは。」「上々だよ。支持率80%とか言ってたかな。」「何それすご…。それならよかったけど。」「そう言う季は?アパレルの仕事は順調なの?」「まぁね。そこそこ楽しくやってるわよ。」「それは何よりだね。そう言えば末、遷は?」「まだ着いてないわよ。末はなんかあちこち出かけてるみたいよ。遷は研究職にどっぷりのめり込んでるわ。」「そうか。」そして部屋の呼び鈴が鳴る。ドアホンの画面を見るとお待ちかねの男が二人立っていた。「噂をすれば来たわよ。」―――――「で?今日呼んだのはどういう訳だよ?」遷がワイングラスを傾けながら時に問いかける。「別に?皆とただ飲んで話をしたかった、じゃダメかな。」「んな感傷的なタイプじゃねえだろうが、お前はよ。」「あぁ、流石よくわかってくれてるね。」そう言って時は手にしていたグラスをテーブルに置いた。「どういうつもりか、零が私を訪ねてきたらしくてさ。」「!」その言葉に3人とも目を見開く。「零って…あの零がかよ?」「何?直接来たの?」「あぁ。非武装で、一人で市庁舎まで来たらしいよ。」「…どういう風の吹き回しだ?」「ついに耐え切れずに土下座でもしに来たのかしら。それとも交渉に?」「ははっ!そりゃ滑稽だな!…奴らの話は色々聞いてるぜ。全くいい気味だな!」「…何か企んでるとでも?」「さてね。―――…まぁ、話を聞く気はないけどね。」「そりゃそうだろ。」「でも、念には念を入れておいた方がいいかなと思ってさ。」「あぁ、それで私達を集めたってわけね。」「うん。」
―――――「零、どういうつもりだ!?」零が事務所に行くと聿が血相を変えて詰め寄って来た。それを居心地が悪そうな顔で迎える零。「…なんだよ、もう耳に入っちまったのかよ。」更に燦と新も詰めよってくる。「一人で乗り込むなんて…!呼んでくれれば俺らも行ったのに!なんすか!?襲撃っすか!?」「何しに行ったのよ?」「いや…。」――――4人してソファに座り向かい合う。「時の野郎と対話をしに行った。」「「はあ!?!!?」」零の答えに3人が身を乗り出して驚きの声を上げる。「でも会えなかった。あっちは会うつもりも、話す気もないらしい。」その言葉には~~~と呆れたため息をつきながらソファに座り込む3人。「そりゃそうだろ!馬鹿か!?」若干キレ気味に聿が怒鳴る。「人間達に言われて…考えたら俺達はこの数万、数億年…『対話』するってことをしてこなかったと思ってな。」「んなもん話しても意味がないからだろうが!!」「わかってるんだけどよ…。」「零さん、流石の馬鹿の俺でもあいつらが『話してわかる相手じゃない』ってことくらいはわかるっすよ。」「わかる相手だったらそもそもこんな制度わざわざ作って、何十年も私達のこと虐げたりなんかしないわよ!」「…」3人の猛反対に、零も何も返すことが出来なかった。
前編おわり
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