バシリア達一行は、目的地の町に近づいていた。「そろそろだぞ。」バシリアの言葉に、皆が馬車から身を乗り出す。「あれが―――…」悪党達が襲撃を予定しているという、イコッカ村だ。「…見たところ、静かなようだな…。」「先に到着出来たってことか?」遠目から見ても村の雰囲気は落ち着いているように見えた。とても敵襲を受けたようには見えない。「どうだかな…――――!」村を見回していると、村人らしき人物が歩いているのが目に入った。その穏やかな様子から、どうやら普通に生活をしているように見受けられた。その村人と思われる男性は、バシリア達の存在に気づくと目を丸くした。そして立ち止まり、バシリア達の到着を待つ。バシリアは男性の手前まで来ると、馬と皆を止め、馬から降りると男性へ近づいて行った。「いやはやこれは、どういった状況で…、」「突然すまないな。私は、特殊兵士部隊のバシリアという。あなたはこの村の住人か?」「えぇ。そこの家に住んどります。」「そうか…。…実は、悪党組織の人間がこの村を襲撃する、という情報が入ってな。」「なんと…!!」驚愕に目を開いた男性を見て、まだ奴らが未到着だと判明し、一先ず安堵する。「すまないが、村長はいるか?」「えぇ、えぇ。おりますとも。案内しますので、こちらへ。」「あぁ、すまないな。」そう言ってバシリアはローザ達に振り返る。副隊長やローザに目配せをすると、それぞれが馬から降りて、バシリアのいる方へと移動を始めた。「それから―――…ブローニャ、ヴィマラ。お前達も来てくれ。」「!…はい。」「わかった。」指示された通りに二人はそれぞれの馬車から体を降ろす。「他の皆は一時待機だ。」そう言ってバシリアはマントを翻すと、村人の後へとついて行った。
――――「…そういうことでしたか…。」村長の家へ案内され、テーブルに通されると、バシリアは早速状況を説明した。村長は汗をかきながら険しい表情でその内容を飲み込んだ。案内してくれた男性も、不安そうな表情を浮かべる。「あぁ。それで敵襲に備えたい。できればすぐにでも村人達を避難させたいところなんだが…。」「…そういうことであれば、村のシェルターがあります。青年たちに声をかけて、誘導させましょう。」「そうしてもらえると助かる。その時は私達も護衛しよう。それから、村の案内も頼みたい。戦闘に備えて、ある程度地形を把握しておきたいからな。」「わかりました。」優先的な確認事項を終えると、バシリアは声のトーンを落として村長に問いかけた。「それで…組織を抜けたという男に、心当たりは?」バシリアの問いかけに村長は目の前で組んだ手元に一度顔を隠すと、再び顔を上げ、重々しく呟いた。「…思い当たる男が一人、います…。」その言葉に皆――――ローザでさえも、目を見開いた。「数年前…ふらっと余所から現れた男がいましてね。それからこの村に住み着いています。…教会によく通っているので、おそらくこの時間であれば、…今日もいるでしょう。」「教会に…。」「どこから来たのかも、何をしに来たのかも私達にはわかりません。神父様は、…もしかしたら彼の話を聞いているのでしょうが…。」そう言って村長は立ち上がった。「…案内しましょう。」――――ローザの副隊長は、最初に会った村人と共に、待機している兵士達等へ情報を伝えに行った。そちらには、村人たちへの説明や避難誘導、村の地形の確認などを任せることにした。バシリア、副隊長(イアン)、ローザ、ブローニャ、ヴィマラは例の男に会うべく、村長の後についていった。「…ヴィマラ、もしもの時は私の傍を離れるな。」男が逆上する可能性も考えられるため、ブローニャが気づかわし気にヴィマラへ声をかける。「えぇ。わかった。…ありがとう。」そんなブローニャの優しさに微笑むヴィマラ。「あれです。」歩きながら村長が目配せをすると、立派な教会が目に入ってきた。その時ブローニャがふと気づいた。「そういえばヴィマラ、『神の力』は感じないのか?」問われて改めて集中するヴィマラ。「えぇ、今のところは。」「そうか…。」男が本当に欠片を持ち去ったのだとしたら、それは今どこにあるのだろうか。少なくとも、もし本当に今、教会にその男がいるのだとしたら、男自身は『神の力』を持っていないのは確定的だった。教会の扉の前に立つ。村長が扉を開くと同時に、ヴィマラ以外の4人は自らの剣に手を添えた。ギィ…、と古めかしい音を立てながら、教会の扉が開いていく。質素だが、美しい装飾の施された教会内部が明らかになっていく。そして、並んだ椅子の中に、男が一人、座っているのが見えた。男は扉が開いた音に気づくと、振り返る。「…!!」そしてバシリア達の兵士服を見た途端、見るからに動揺をした。慌てて立ち上がると、椅子に体をぶつける。汗を拭き出し、呼吸も荒くなり、体をこわばらせた男からは、本能的に逃げ出したいという気持ちが汲み取れた。だが男は、そこから動くことはなく、険しい表情で唇を噛むと、俯き、椅子に添えていた手を握りしめると、その場に佇み続けた。その様子は、まるで何かを諦めたよう――――否、覚悟したかのようだった。「…ダニエル…。」村長も心苦しいのか、彼の表情を見てどこか辛そうな顔をしている。“ダニエル”と呼ばれた男の様子と、村長の表情を見てブローニャは感じた。目の前の男は、とてもじゃないが、悪党組織にいたとは思えないほど、毒気も、危険性も無かった。ただの気弱そうな青年にしか見えない。ここに来るまでに描いていたイメージとあまりにもかけ離れており、動揺していた。それはヴィマラも同様だったようで、男がどうしてそんな表情をするのか、理解できなかった。だがバシリアは淡々とした口調でダニエルに問いかける。「お前がダニエルか。」そして男の目の前まで歩いて行くと、目の前で対峙した。すると、男の方から口を開いた。「…わかってるよ。…特殊兵士部隊、…だろ。」「そうだ。実は、お前が元居た組織が、お前を…――――正確には、お前が持ち去ったという欠片を求めて、この村を襲撃するという情報が入った。」「なッ…!」バシリアの説明に驚愕する男。「なッ…、なんで今更…ッ!!」「さてな。…だが、お前の反応を見ると、お前が『悪党組織に所属していた』ことと、『欠片を持ち去った』ことは事実であるようだな。」「………あぁ、そうだ。…間違いない。」「そうか…。すまないが単刀直入に聞こう。欠片はどこにある?」「…それは――――」男が言いかけた時だった。再び教会の扉が開いた。そこから現れたのはチェリだった。「ごめん、何かあったらと思って来ちゃった。」そして後ろから、ヘザー、デジャ、ジタ、オレリアも現れる。それを見た瞬間、男は息が止まるかのように喉を引きつらせると、目を見開いた。男の様子がおかしいことにバシリアが気づく。「どうした…?」男の顔は青ざめ、足取りもおぼつかないまま歩き出した。それにバシリアはじめ、その場にいたメンバー全員が警戒し、武器に手をかける。ふらふらとした足取りで教会の中央の通路を歩く。「え…何、この人どうしたの?」チェリの言葉も耳に入らないといった様子で、数歩歩いて行くと、男はその場に膝をついた。「…!?」カーペットへ手を着けると、そこに頭を伏す。そして、大きな声で叫んだ。「も…ッ…、申し訳、ございませんでしたあ……ッ!!!」「…!!」教会内に響き渡ったその声が響き渡る。そして男は、その場で、そのままの態勢で泣き出した。その場にいた全員が男の動作と言葉に、息を飲んだ。なんだ?何に対して?誰に対して?そう思い、男の頭を下げた先を見る。後から来たメンバーにむけられたものであったが、チェリは違う。まさかデジャ、と思ってデジャを見るが、男に覚えが無いようだった。それに気づいた瞬間、皆が察した。察して、胸の中に嫌なものが渦巻き始めた。チェリとデジャがゆっくりと振り返る。そこには――――…青ざめた顔をした、ヘザーの姿が。「……おい、まさか……、」絞り出した声はどこか震えていた。「…!!」その後ろにいたジタとオレリアも、息が詰まるような感覚を覚える。張りつめた空気を壊すかのように、一人の男が扉の向こうから現れた。「ダニエル…ッ!」こちらに来る途中で男の泣き声を聞いたのだろう、息が切れた様子から、走ってきたのだろうことが伺えた。神父は人をかき分けてダニエルの元へと近づいていく。そしてしゃがんでその背中をさすると、ヘザーの方を見た。男の様子とヘザーの表情を見て、眉間に皺を寄せながら苦しそうな表情を浮かべると、立ち上がった。「……私から説明します。……申し訳ございませんが、…一先ず、出てはもらえませんか。」その神父の申し出に皆黙ったまま何も言えなかった。だが、ローザだけははっきりと言い放った。「そう言って男を逃がすつもりじゃあるまいな。」その言葉に神父は神妙な面持ちでローザに振り返る。「決してそのようなことは致しません。…それは、彼にとっても本望ではない。」「…」泣いて蹲る男を見るローザ。「…落ち着いたら、また会わせます。だから…一先ずは、」「…ならば、私の部下を見張りにつかせてもいいか。」「…わかりました。」そうして一先ず教会を出ることになった。
――――ブローニャ達は、村にある講堂へと案内された。「…」待っている間、ヘザーは顔を俯かせ、誰にもその表情を見せなかった。それを心配そうに見る皆。少し待ったところで、先ほどの神父が現れた。「…お待たせしてしまって、すみません。」そして皆と向かい合う形で椅子に座った。「私はこの村の神父の、サムエルといいます。」「…彼は?」「…一先ずベッドで休ませています。」「そうか…。」「…まず、強引に彼を引き離してしまったことについて、お詫び申し上げます。」そして重々しい口を開いた。「私は…彼から、全てを聞いています。」「…!」そして神父は事の経緯を静かに話し出した。――――「彼は当時…。まだ若く、貧しい育ちだったため、とにかく金が無かったと言います。常に仕事を探して、その日暮らしの日々を送っていました。そんな彼に近づいてきたのが、悪党組織の人間です。彼はその者から――――…『とある古物商から、“あるもの”を入手してきてほしい』との依頼を受けました。…納入した暁には、大金を渡すと約束をして。」その言葉にぴくりとヘザーが反応する。「一見、美術品とも、ガラクタとも取れる一品で、悪党達はそれを“欠片”と呼んでいたと聞きます。」「…」バシリアとローザが反応する。「彼は『盗みくらいなら』と、…どこか軽い気持ちでその依頼を受けてしまいました。彼は現地へ赴き、指定された家屋を確認すると、盗むための計画を立てました。時刻は夜中。古物商が起きてこないであろう時間帯を狙って、忍び込もうとしていました。予定していた時刻になると、彼は作戦を決行しました。」そしてそこで一呼吸置くと、言いづらそうに言葉を続けた。「…古物商の女性が起きてくるのは、彼にとっては計算外でした。目的の品を探すのに手間取っている間に、女性が、彼のいる部屋へ降りてきていたのです。彼は慌てて逃げようとしましたが、焦るあまりにその場で躓いてしまったそうです。古物商の女性は、彼が欠片を手に持っていたことに気づいて、その隙を狙い、咄嗟にそれを掴んだ。そして両者が欠片を手にする形で、もみ合いになりました。」そこまで言えば、この後どうなるかは想像がついた。皆、険しい表情を浮かべながら、思わずため息を零した。「…ここまで来て、諦めるわけにはいかない。警備兵に引き渡されれば、いつ出てこられるかもわからない。とにかく金が必要だ。そのためにはどうしても欠片を手に入れなければならない。…そう焦った彼は、欠片を手から離すことができませんでした。対して古物商の女性も、頑なにそれを離そうとはしなかった。揉み合いの最中、女性からは『こんなことをしてはいけない』『今返したら見逃してあげる』といった言葉を投げかけられたようですが、気が動転するあまり良く覚えていない、と話していました。…焦るあまり、彼の手には汗が溜まっていた。女性の手を振り払おうと手を動かした時、思わず手が滑ってしまった。その反動で古物商の女性はそのまま体を傾かせ…机上にあった花瓶に頭をぶつけて、そのまま―――…」その先は言うも苦しいと言葉を切る神父。「…彼は慌てて彼女に駆け寄りました。…ですが、彼女の頭からは多量の血が流れ、目は虚空を見つめたまま動かなかった。彼は、…自分が人を殺してしまった罪悪感と、恐怖から、その場を逃げ出してしまった。…彼は、自分の侵した罪に苛まれました。そして、欠片を求めて、組織が自分を探しに来るかもしれない恐怖にも脅えていた。欠片をどこかへ手放せばよかったものを、殺してしまった女性が大事そうにしていた欠片を、どうしても捨てる気にはなれなかった。…行く当てもなく、身を隠すように各地を彷徨っていた彼は、辛さのあまり、故郷へ帰ることも考えました。ですが…、彼が殺した彼女は、二度と家族に会えなくなってしまった。それを考えると、自分だけ帰ることに対して罪悪感がありました。そして彼は、故郷の近くにある、この村に辿り着いたのです。…彼は、その時私にすべてを話してくれました。そして、後悔をしていると、その日もあんな風に涙を流して…。毎日毎日教会に通っては、謝罪をしていた。…彼はずっと…、己のしでかしたことを悔やんでいました。部屋の中で、ふと見た写真の中に、家族写真があったと…。…“頭にこびりついて離れない”と言っていたので、…きっとヘザーさんの顔を見て、すぐに気づいたのもそのせいでしょう。…いつか名乗り出て、いつかご家族の元へ謝罪へ行きたいとも――――」「ふざ…ッけんなよ…ッ…!!」ヘザーはテーブルに思い切りバンッと手を着いた。そして神父の話を聞いて抑えられなくなった感情を、怒鳴るようにして吐き出す。「あいつの気持ちとか、あいつの人生がどうだなんてあたしには…ッ…、あたしの姉にはッ!!そんなの一切関係ねえよッ!!!」そしてもう一度右手をバンッとはたきつける。「人が一人死んでんだぞッ!!あいつのせいでッ!!!あいつが“人を殺した”って事実がある!!それだけだろうが!!!」皆、ヘザーの言葉に何も言えなかった。当事者からすれば、加害者の状況等関係ない、当然の主張だった。「あいつが盗みに入らなければ…ッ!!さっさと欠片を諦めて逃げてりゃ…!!姉ちゃんは死ななかった!!それだけなんだよッ!!それを…ッ、なんだよ…ッ!!後悔してただの、謝罪してただの、…ッそんなの知らねぇよッ…!!!んなことして姉ちゃんが戻るわけでもねぇだろうがッ!!!あたしたちがどれだけ苦しんで、後悔して、辛い思いして来たかも知らねぇくせに…ッ!!!」そしてテーブルについた両手をぎゅっと握りしめる。「クソッ…!!なんだよ、なんなんだよ…ッ!!知らねえよ、そんなの…!!…ふざけんなよッ…!!!」苦しそうに、泣きそうな顔で俯くヘザー。だがその様子に、ヘザーの葛藤が見て取れた。言葉ではそう言いつつも、心優しいヘザーのことだ、男の葛藤や苦しみを理解しているのだろう。いや、してしまうのだろう。だがそれを受け入れてしまえば、怒りの矛先をどこに向けたらいいかわからなくなってしまう。行き場の無い怒りと、虚無感とに胸や頭が支配される。「ヘザー…っ…」そんなヘザーの悲痛な言葉と様子に、チェリが苦しくなって思わず名前を呼ぶ。「…ッ…」ジタが腕を組みながらヘザーの気持ちを推し量る。「…あなたの言うことは、尤もです。」神父の言葉に顔を上げると、ヘザーはそれによって感情の限界が来てしまったのか、ふにゃりと顔をゆがませた。「だったら…ッ、なんでそんな話したんだよ…ッ…!!!」ぼろぼろと泣き出すヘザー。そんなヘザーの様子に心を痛めながら、神父が答えた。「…真実を、伝えるべきだと思ったからです。…彼のためにも、あなたのためにも。」「……ッ何があたしのためだ…ッ!!勝手なこといってんじゃ……ッ…!!」「…すみません、…ただの私の…エゴだったのかもしれません…。」「……ッ……!!」両手で顔を覆うとその場で俯くヘザー。ブローニャが近寄ってしゃがむと、その体を抱きしめてやろうとする。するとヘザーの方からブローニャの首に抱き着き、それを皮切りにわんわんと泣き出すのだった。
――――村の全体図を確認していたバシリアは、どこかぼうっとした表情をしていた。「お前が呆けているなんて珍しいな。」そんなバシリアへ、ローザが声をかけた。「しっかり把握できたんだろうな。」「…あぁ…、」ローザに話しかけられても尚、どこか上の空だ。「おい…しっかりしろ!こんな時に奴らが襲ってきたらどうするつもりだ!」ローザの呼びかけに、ふと心情を吐露した。「…苦しんで、泣く若者の顔というのは…どれだけ見ても辛いものだな…と思ってな。」それは、ヘザーとダニエル、どちらのことも言っているのだろう。ヘザーはあの後、『一人にしてくれ』と言って皆の元を去った。念のため部下を一人見張りに付けさせたが、思い詰めないか心配だった。「…後悔しないように生きるといっても、環境や状況が、そうさせてくれない時がある。…時として人は焦り、恐怖し、判断を誤る。…悩んで一度立ち止まることも、大事なんだろうが…。」「…随分と感傷的になっているな。」「…なに、この世は生きるのが辛いと思ってな。一つの過ちですべてが変わる。天国が地獄に、希望が絶望に。…奴らもきっと、何かの拍子で、この世界のそういう悪しき側しか見えなくなってしまったんだろうな…。見えている世界が、きっと違うんだろう。」「…おい、やめろ。奴らに同調するような物言いは。お前は特殊兵士部隊だ。隊長だ。」「そんなつもりはない。…でも、…難しいな、この世を生きるのは…。」そう言ってバシリアは遠い目をした。
――――避難していく人々を見ながら、ヴィマラが村の中心部にある家の階段に腰掛けて、周囲の気配に気を張りながら見張りをしていた。そんなところへ、飲み物を手にしたオレリアが現れる。「お前、少しは休めよ。」少し呆れたように言うオレリアに、飲み物を受け取ったヴィマラは、遠くを見ながら呟いた。「いつどこから敵が現れるかわからないんだから、私が『神の力』を察知しないと…。」その返答にため息をつくと、オレリアはヴィマラの隣に腰掛けた。「…あれだけ兵士が見張ってんだから任せとけって。お前一人がそんなに頑張ることねぇよ。…いつも言ってんだろ。」オレリアの優しさにふっと微笑むと、ヴィマラはまた遠くを見つめた。「…でも、それだけじゃないの。…ちょっと、考え事をしてて…。」「…さっきのか?」「…えぇ…。」そうして先ほどの出来事に想いを馳せる。「ヘザー…、いつも明るくて元気だから…。あんな風に…。」へザーの様子を思い出して、胸が苦しくなるヴィマラ。「……辛いし…、……難しいわね…。」ヘザーは姉の仇への復讐を誓っていた。だが、その仇は己の罪と向き合い、数年間苦しみ続けていた。そんな相手を殺せるか、葛藤するのも無理はなかった。「私だったら殺すぜ。」「!」思わずオレリアに振り返るヴィマラ。オレリアは、先にある教会を見つめていた。「例えばあいつがお前を殺したとしたら、私は躊躇なくあいつを殺す。お前が生きられた筈の人生を生きられないで、あいつだけ生きてるなんて私だったら許せねぇ。あいつがどんな人間だろうとな。」「…!」「…でも、そんなのは人それぞれだ。許せるか、許せないか、生かすか、殺すか。…あいつがどうしたいかだけだよ。結局、生きてる人間のエゴでしかねぇんだ。過ぎた過去は戻らない。起こっちまった事実は変わらない。その中で何を選択するかってだけだ。…正解も不正解もねぇよ。」「………そうね……。」ヴィマラがふと顔を上げると、そこには綺麗な青空が広がっていた。
――――デジャは、シェルターへ移動する村人たちを護衛しながら、ワヘイ王国を旅していた時にヘザーと話した内容を思い出していた。―――夜、火の番をしていた時のこと。デジャとヘザーは横並びに座り、月夜を眺めながらで会話していた。「あたし達って、この旅の主目的が復讐みたいなもんじゃん?もし目的達成しちゃったら…どうなるんだろうなぁ…。ほら、燃え尽き症候群とかってあるだろ?」「…どうだろうな。私なんか、今のところ達成できる想像も出来ないし…。…やっぱり、その時になってみないとわからないんじゃないか。」「まぁ、そっか…。だよなぁー…。」それぞれに思うところがある二人。短く沈黙が降りた。その沈黙で何を思ったか、ヘザーがぽつりと口を開く。「なぁ、もしさー、」「ん?」デジャはヘザーの方を見る。ヘザーは真っ暗な地平線を見つめていた。「あたしが躊躇したら、その時は背中押してくんねーかな…。」「…」その真意が知りたくて表情を窺うが、読めない。少し考えて、デジャもその彼方を見つめた。「…嫌だな。」「!」「…そんなの、誰に頼んでも断られると思うぞ。」「…!」ブローニャとチェリの顔が浮かぶが、それはどこか怒っているようにも見えた。「…はは、確かに。」「止めは…しないかもしれないが、勧めることもない。」「…はは、だよなー。」その時のヘザーの笑顔はいっそ清々しいくらいだった。―――「…」考え込むデジャは、そのまま村人たちについて行った。
――――それから夜にかけて、村人たちの避難が完了した。バシリアやローザ達兵士は作戦会議を行った後、各所に潜んで悪党達の襲撃を警戒する。ブローニャ達は村の中の宿をあてがわれた。一人ベッドで横になっていたヘザーの部屋を、何者かがノックする。「…ヘザー、」その声はブローニャだった。「…入ってもいいか?」「…」「…すまない、少し話がしたい。」「…勝手に入れよ。」ヘザーの許可を得て、扉を開けるブローニャ。「…悪いな。邪魔するぞ。」「…」ヘザーは体を起こすと、ベッドの上に座る。ブローニャもその隣に腰掛けた。重々しい雰囲気の中、ブローニャが口を開いた。「…お前は、あの男に復讐するつもりか?」「…だったら、なんだよ。」「…それをしたとして、お前は後悔しないのか?」「はあッ…?」ブローニャの方へ顔を向けたヘザーの目をまっすぐ見ながら伝えるブローニャ。「神父の考えは私もわかる。」「なにッ…、」「はっきり言う。私はお前に殺しをしてほしくはない。」「…!」その目からは譲れない強い意志が宿っていた。「これは、私のエゴだ。」「…ッなんで…ッ!」ずっと旅をしてきた中で、ブローニャはヘザーの想いをよくわかっている筈だ。それなのに、何故そんなことを、とヘザーは思う。「…どんな理由があろうと、『人を殺した』という事実は、必ずお前の心を蝕む。…私は、それが嫌なんだ。」「…ッ…」ヘザーは、先ほど自分で言った言葉を思い出す。男は、その事実にこの数年間苦しめられてきた。ブローニャはヘザーの性格をわかっているからこそ、それを危惧していた。ヘザーの姉を殺した人物が、誰を殺したなんて気にも留めないような、それこそ“悪党”ならともかくとして。実際は自分の罪に苛まれ、何年も苦しんできた人間だった。そんな人物を殺した時、ヘザーの心にかかる負荷がどれだけのものになるか、想像に容易かった。「…お前が手を汚すことなんか、ない。…少なくとも、私はそう思ってる。…正直、男がどうだなんて私には関係ない。…お前がただ、心配なんだ。」そう言って、苦しそうな表情でヘザーの手を取り、優しく包み込む。「これは私の願望であり、要望だ。だから…もしその選択をした時、お前がこの先後悔することがあれば、…全部私のせいにしてくれたっていい。」「…!」「私がお前の選択に責任を持つ。」そしてヘザーの暖かな手をぎゅっと握るブローニャ。「…踏み込んだことを言ってるのはわかってる。…でも、」「…ッ…!」ヘザーはブローニャのその先の言葉を聞くことなく、手を振り払うと自分の部屋を立ち去った。ブローニャは、その背中を見送ることしか出来なかった。「…ヘザー…」
――――「クソッ…!!ブローニャの奴…ッ!!」折角一人で覚悟を決めようとしていたというのに、それをまた揺らがせるようなことを言い出して。「…ッ…!」ブローニャの先ほどの表情を思い出す。それは、ただただヘザーのことを想っての言葉であったことは明らかだった。「………ッ……!!」ふざけるな。私の人生だ。私の決めた道だ。私の家族の問題だ。そこに他人に意志が介在する必要などないし、して良い筈がない。他人―――…。ふと、ヘザーの脳裏にこれまでの旅の思い出と、姉と同じくらい大事だと自ら言った仲間達の顔が過る。辛いことも、楽しいことも、一緒に分かち合って来た。命の危機も、共に乗り越えてきた。お互いのことなど最早わからないことなどない、とでもいうくらい、沢山話して、沢山時間を過ごした。共に人生を過ごしたといっても、過言ではなかった。そんな彼らが、先ほどの話を聞いた時の表情が蘇る。「………ッ……」ヘザーがあの男を殺したら、皆どんな顔をするのだろうか。…きっと、ヘザーの選択を皆責めることはないのだろう。でも、絶対に、悲しい顔はするのだろう。ヘザーのことを想って。「クソッ……!!」一人でここまでくれば、こんなに悩むことはなかったのかもしれない。皆と出会わなければ。皆とここまで来なければ。そんな風に一人思い悩むヘザーの元へ再び誰かが近づいてくる。「あ…っ、ヘザー…!」「!」声のする方を振り返ると、チェリがヘザーを追いかけてきていた。「…ごめん、宿を出るのが見えて…。」どうやら慌てて追いかけてきたようだ。少しばかり息が上がっている。「…あのね、私も、いろいろ考えたんだけど…、」言いづらそうにしているが、ここで言わなければ、という意志が感じられた。「やっぱり私、あんたに復讐なんて、してほしくない…!!」「…!!」ヘザーのまん丸に見開かれた目が揺れる。だが次の瞬間、怒りの表情で言葉を吐き出した。「どいつもこいつも…ッ…!!」「え…、何、誰かなんか言ったの?」「…ッブローニャだよッ!!…ついさっきも、同じことを言われた…!」「…!」「勝手なことばっかり言いやがって…!あたしの気も知らないで…ッ!!」「ヘザーの悩む気持ちもわかるけどっ…!!私達はヘザーが好きで、大切だから!!そんなことしてほしくないのッ!!」「うるせぇな!!人を殺した女なんかとは一緒にいられねぇってか!?」「そうじゃないわよッ!!今度はあんたがその罪を背負って、悩んだり後悔したり、苦しむことになる!!あんたの性格からして、絶対そうなる!!あんたにそうなってほしくないって言ってんのよ!!」「そんなの…ッ!!あたしが我慢すればいいだけの話だッ!!あたしは…ッ、父さんと母さんと、姉ちゃんに誓ってッ…!!」「そんなの誰も頼んでないでしょッ!?」「!!」怒鳴るヘザーの目元には涙が浮かんでいた。そしてそれはチェリも同様だった。「…じゃあ、どうすりゃいいんだよ…ッ!?」「わかんないわよ…、そんなの…ッ!!!」そう言って二人でわんわんと泣き出した。――――「…」そんな二人の会話を、少し離れたところでデジャが木の陰に隠れて聞いていた。ヘザーが飛び出して心配になったからついて来たものの、チェリが向かったため、身を引いたのだ。「…どうしたら…か…。」途方に暮れながら、夜空を見上げることしか出来なかった。
――――結局、夜が明けても悪党達の襲撃は無かった。引き続き警戒を続ける。監視を続けるジタの元へ、ふらりとヘザーが現れた。「おいおいどうした?随分疲れてんじゃねぇか。悪党の襲撃はこれからだぜ?」いつもの調子でヘザーに話しかけるジタだったが、ヘザーは暗い顔をしており、反応が無い。「…」ジタは切り株に座ると、ヘザーにも隣のそれに座るように促した。「どうした?…話したいんだろ、聞くぜ。」ヘザーは促されるままにジタの隣の切り株に腰をかけた。そして、ぽつりと愚痴のように溢す。「…どいつもこいつも、勝手なんだ。」「へぇ?」「あたしが折角覚悟を決めても、それを邪魔してくる。」「どういう風に?」「ブローニャとチェリが、殺しはするなって。」「…」「…だから、わからなくなった。」ピィピィと、二人の頭上で鳥が鳴きながら通り過ぎる。それを見ながらジタが答える。「悩むってことは、お前の中でそれを“したくない気持ち”があるってことだ。」「…!」「自分の気持ちは大事にしろ。カイラも、親も、ブローニャ達も関係ない。お前が本当に何をしたいか考えろ。お前が生きてるのはカイラの人生じゃねぇ。お前の人生だ。…カイラだって、きっとそう言うぜ。」「…ッ…!」「勿論、ブローニャ達の気持ちは俺もわかる。俺だってお前が大事だからな。デジャは同じ復讐を志す同志だからこそ、お前に何も言えないってことも。…でも、これはお前の人生で、お前がすべき選択だ。お前が何を取るかの話だ。誰の意見を聞いたっていい、聞かなくてもいい。それをしっかり、じっくり選べ。沢山考えろ。考えないで出す答えが、一番後悔する。」「……」ヘザーもジタに倣って鳥を眺める。親子だろうか、兄弟だろうか友達だろうか。仲睦まじそうに毛づくろいをしていた。
――――ヘザーは一人、教会へ訪れていた。神父と例の男は、避難せずに教会に残っていた。神父と話をしていたバシリアがヘザーの存在に気づく。「ヘザー…。」「…あいつと話をさせてほしい。」「…!」その時、扉の向こうからブローニャ、チェリ、デジャが息を切らしながら現れた。その後ろからゆっくりとジタも現れる。「ヘザー…!」「皆…、」チェリが教会に向かうヘザーを見かけ、慌ててブローニャ達に声をかけて追いかけてきたのだった。「…どうする?」バシリアがヘザーに問いかける。ブローニャ達に聞かせるかどうか、判断を尋ねていた。「…いい。あいつらも一緒で。」「…!」そうして皆で、男の元へ向かうのだった。―――男の部屋に到着すると、男はベッドに座り込んで俯いていた。ヘザーの姿を見ると、体をびくりと反応させる。ヘザーは男の前に佇んだ。他の皆は、少し距離を取り、後ろの方で二人の様子を見守っていた。少しの沈黙の後、ヘザーは静かに話し出した。「あたしはずっと…何年も前から…お前を殺すために努力してきた。」「…!」「学校をやめて、強くなるために訓練して、復讐することだけを考えて、生きてきた。…姉ちゃんを殺したのが、どこの誰かも知らないで、…途方も無くて、ずっと不安で…、見つからなかったらどうしよう、あたしは姉ちゃんを殺した奴の顔も見ねぇで死ぬのかもしれないのかって、悩む日もあった。」「…」「…姉ちゃんが殺されたって聞かされた時、父さんと母さんがどれだけ泣いたか知ってるか?どれだけ落ち込んだか知ってるのかよ。何年も何年も、ずっと苦しんで、思い出しては泣いてたってこと、知ってるのかよ。…知らねえだろ。…知らねぇで、…名乗り出もしないで、謝罪に気もしねぇで…ッ…申し訳ないとか…後悔してるとか…ッ、言ってんじゃねぇよ…ッ!!」「……ッ…!」男は俯いたまま、自分の膝に置いた両手をぐっと握り締める。「姉ちゃんのことだって、お前は何にも知らねえだろ…!!明るくて、優しくて、面倒見が良くて……殺されるような理由なんて無いような人だった!!…ッお前ともみ合いになった時だって、お前がちゃんと姉ちゃんの言葉を聞いてりゃ、あんなことにはならなかった!!!」男から鼻を啜る音が聞こえた。男の膝に、涙がぱたぱたと落ちる。男の手は、震えていた。それを見て、ヘザーの瞳が揺れる。「…あたしは、あんたのことは許せない…!!あたしの立場上、許しちゃいけないんだよ!!だって…ッ、そんなの…ッ、姉ちゃんにも、父さんと母さんにも、申し訳が立たないじゃん…!!」泣きそうな顔と声で叫ぶヘザーに、男は肩を震わせ、頭を垂れさせる。ヘザーは数度呼吸を繰り返して整えると、再び静かに話し出した。「……でも…あたしがお前を殺すと、…傷つく人がいる…。……苦しむ人がいる…。」「…!」その言葉に、ブローニャ達がヘザーを見る。その背中は、いたく小さく見えた。「そしてそれはあたしだけじゃない、………お前も…。」ブローニャ達のことだけではない、彼を慕う神父や村人たち、そして彼の親のことも言っているのだろう。「…そして悔しいことに、あたし自身はもう、あんたに対して殺意がない。」「!」その言葉に、男は涙でぬれた顔を上げた。ヘザーは疲れたような顔で、静かに、悲しそうに、呟いた。「使命感やら責任感やら、…それを全部捨てた時、純粋にあたしの気持ちを考えた時、…あたしにはお前を殺す理由が、もう無かった。」「…!」「おまえを殺したところで、姉ちゃんは二度と帰ってこない。…それに…これまでずっと後悔し続けて…、人生かけて、毎日毎日辛くて苦しい思いをしてきたお前に…この先も不幸を願うことなんて、…あたしにはできない。」そして俯き、拳をぐっと握りしめると、苦しそうに声を絞り出した。「でもそれがまた申し訳なくて…罪悪感になるんだよ…ッ!!」ヘザーの表情と言葉に、男は再び涙を流す。「姉ちゃんは、もう死んでる。もしかしたら数年、数十年生きていた筈の人生を失った。……それは確かに事実だ。だから…お前がたった数年後悔したところで、……そんなの、見合わないだろ…。」そう言ってふらふらと歩き出すと、疲れたように、近くにあった椅子にどさりと座り込んだ。うつむき、手で髪をかきながら話すヘザー。「…矛盾してるかもしれない。でも…いくら考えても、そこの整理がつかないんだ。…お前には、一生、姉ちゃんへ謝罪しながら生きてほしい。後悔してほしい。…でも、それだけに捕われるのは、…望んじゃいない。…おかしな話だろ。…ずっと、頭の中がぐちゃぐちゃなんだ。答えの出ない問題の解決法を、…ずっと探してる。」そして俯いた顔を少し傾けて、男の方を見るヘザー。「…だから、出来れば二度とあたしの前に現れないでほしい。…二度とお前の顔は、…見たくない。…ただ、一度でもいい、あたしの――――あたし達姉妹の両親に、ちゃんと一回頭下げてこい。それで一回清算したらいい。…お互いにな。…そうしたらお前も、………故郷に帰れるだろ。」「……ッ…、」男は震える体をベッドから降ろすと、床に膝をついた。そしてあの時のように、手と頭をこすりつけて、もう一度謝罪する。「申し訳……ッ……、ございませんでしたぁ…ッ!!」嗚咽を出しながら、男はその場に突っ伏したまま泣き続けた。そんな男をそのままに、ヘザーは立ち上がるとその場を立ち去った。部屋を出ようとするヘザーに道を開けてやり、皆通す。通り過ぎざまに、チェリが泣いているのが見えた。――――部屋を出て外に出るヘザーの後を皆が追う。「…ヘザー…」ブローニャの呼びかけで、ヘザーが振り返る。ヘザーは泣いていた。「……ッ…!!」そしてブローニャの元へ駆けよると、その胸に飛び込んだ。そしてまた、わんわんと大泣きするのだった。その声を聞きながら、そして抱き締めるヘザーの暖かな体温を感じながら、目を潤ませるブローニャ。その後ろでは、同じく大泣きするチェリに、どこか安心したようなデジャとジタ、バシリアの姿があった。「…」その遠くでは、ローザがその光景を見ていた。
――――「これか…!」ジタが地面を掘り進めた先に、その箱はあった。開くと、そこに欠片が。「…!」男が『欠片を埋めた』とする方面へ向かうと、ヴィマラがすぐにその個所を特定した。「…ずっと、大切に持ってたんだな…。」「誰にも見つからないように隠してたってわけか。」「…ほらよ、ヘザー。」そう言ってジタは欠片をヘザーに渡した。「…」そしてヘザーはその欠片を大事そうに抱き締めるのだった。