【始まりの話】 一人の男が、この地域一帯の中でも、平均より大きめと思われる家の中へと入っていく。玄関に入ると、その男は着ていたコートを脱ぎ始めた。「お帰りなさいませ、旦那様。」そこに、一人のメイドが出迎える。透き通るような白い肌で、桃色の長い髪を持ち、左眼に眼帯をしたそのメイドは、おしとやかな笑みを浮かべながら、主人の脱いだコートをその手に受け取った。「今日この後、客人がここに来る。他のメイドにも伝えてくれ。くれぐれも丁重にもてなしてほしい。」突然の来訪者の話にも驚きもせず、メイドはただ「かしこまりました。」とお辞儀をした。「それでは、旦那様のお気に入りの茶葉をご用意いたしましょう。」「そうしてくれ。」男はそのまま二階に上がり、自分の書斎に入っていった。 ――――そして約束の時間、応接間では、色黒の肌にウェーブがかった銀髪を持つメイドが、客を招き入れる支度をしていた。その右頬ーーー右目の下には、何やら切り傷のような傷跡がついている。彼女は主人の入室に気づくと、先ほどのメイドとは対照的に、クールに無表情のまま主人にお辞儀をする。「準備は出来ております。」その傍らには、先ほどのメイドが申し伝えた通り、紅茶が準備されていた。「あぁ。ありがとう。」やがて、家のベルが応接間に響き渡った。 暫くして、がちゃりと音がすると、先ほどの桃色髪のメイドが、廊下と応接間を仕切る扉の奥でお辞儀をしていた。「お客様がお越しになりました。」そしてメイドは入室した後、扉の横に立つ。続いて入室してきた客人に対して、メイドは再びお辞儀をした。客人を見て、両手を広げて歓迎する主人。「お待ちしていました!」客人は、何やら大きな風呂敷を抱えていた。――――応接間のソファに、主人と客人が向かい合うように座る。その二人の背後では、メイドが待機していた。客人は何やらメイド二人の存在を気にしているようだ。「安心してください。二人は信頼できるメイドです。」主人の申し出に、男は諦めたようにして風呂敷をテーブルの上へと出す。そして結びを解き、風呂敷を広げると―――…「おお…!」そこには一つの絵画が。「これが…あの…―――『浅葱色の春』ですか…!」主人がそれを両手で抱え、感嘆の声を上げた瞬間だった。「…やっぱりてめぇか、このクソ野郎。」幻聴かと疑うほど、この家には似つかわしくないドスの効いた低い声に、主人は振り返る。主人の背後にいた桃色の髪のメイドは、自分のスカートを捲り上げると、そこから黒色に光るL字型の無機物の何かを取り出した。その場にいた者達が、それが銃だと認識する前に、メイドは銃口を客人に向け、無残にもその弾丸を発射した。見事弾丸は命中し、客人は血をまき散らせながら、声にならない悲鳴を上げてその場にうずくまる。その間にメイドは、先ほどとは打って変わって足を大股に開いて歩き出す。先程まで慎ましやかにしていた彼女は、品もなく股を開いて、その男の目の前までくると、その場にしゃがみ込んだ。そして、苦しむその顔を乱暴に掴み、再び銃口を向ける。「探したぞ、てめぇコラ。あ?遅いんだよ、来るのが。」ぐりぐりと銃を押し付けながら話すその喋り方は、とても先ほどまで主人に対しておしとやかに接していたメイドとは思えない。まさにギャングのそれだった。普段見るものとは違う彼女の様子に、主人はガタガタと震え出す。「すいませんね、ご主人様!こちら用件は済みました!」にこやかに、メイド”だった”女は、主人“だった”男に対して声をかける。「こいつ密売犯なんですよ!いや~!危なかったですね!盗品掴まされずに済んで!」そう言って掴んでいた手を放し、元主人の元へ。脅える元主人の顎に銃口を突き付けながら悪い笑みを浮かべる。「――…これに懲りたら、怪しげな物商を家に招き入れねえことだな。」男はヒッと小さく呟くと固まる。その様子を扉の近くで見ていた銀髪のメイド“だった”女が、いつの間にやら、絵画をしまったのであろう大きな風呂敷を手にしながら言う。「おい。いい加減行くぞ。」「あ?迎えは?」「ブレットがもう表で待機してる。」その言葉に、桃色髪の女はぴゅうと口笛を吹く。「流石早ぇーな。」「馬鹿が。私が先に手配してたんだよ。」「あぁ?聞いてねえぞ。」「言ってないからな。」桃色髪の女は男の首根っこを鷲掴んで引きずっていく。そして二人の女は、軽口をたたきながらその部屋を出て行った。その家の主人である男は、力なく床にへたり込んだ。 「…疲れた…。」「ったくよ!たかが盗品の美術品に、なんでここまで長期間潜入しなきゃならねえんだよ!」絵画と犯人の男を依頼者の元へ引き渡した後、女二人とブレットという運転手は、本拠地への帰り道で車を走らせていた。女二人が疲労を隠さない様子でぶつくさと文句を言っていると、運転手の男が答える。「…なんでも、報酬がでかかったらしいな。あの絵はどうやら相当価値があるらしい。…それに、あの男なかなか尻尾が捕まらなくて依頼者も困っていたみたいだ。」「は~~!?あんな絵がか!?マジで芸術ってわけわっかんね~~…。あんなん私でも描けるぜ。」「はっ、それはねぇな。」「あぁ!?」「…にしても、あそこまで猫を被ったドナは初めて見たな。」「あぁ。正直笑えた。」ドナと呼ばれた女を横目に見ながら、銀髪の女は手で口を押えぷすぷすと笑う。「あぁ!?―――ルイザ、お前こそ随分気取ってたじゃねぇかよ!!らしくねぇおしとやかさ出しやがってよ!」「はっ、言ってろ。任務だから仕方なくだ。」「とか言って、結構楽しんでたんじゃねえの~?それとも、ダレルに後で個人的に見せようとでも思ってたのか?」その発言にぴきりと青筋を立てるルイザ。「あ?」「なんだよ、やるか?」喧嘩がおっぱじまりそうなところで車が停車する。いつものホームに到着だ。ドナとルイザは車を降りると、運転席のブレットを見る。「俺は車止めてくる。」「おぉ、さんきゅーな。」「お疲れ。」「あぁ。」そして車を再び発車させた。女達は建物へ足を向ける。 ―――カランカランと音を立てて女二人が店に入る。店内はバーのような造りをしており、ダウンライトで暗い雰囲気を醸し出している。そのボックス席の一つから、中年の男が二人に話しかける。「よーぉ、ドナにルイザ!仕事帰りか?」ルイザと呼ばれた銀髪の女は、笑みを浮かべてそれに応える。「どうも、親父さん。長かった一仕事やっと終えてきたところだ。」ドナと呼ばれた桃色の髪の女が、軽快なトーンで続ける。「よー、おっさん。店の景気はどうだ?」「残念だが変わらねぇよ。あと車一台分でも儲けてりゃあ、疲れたお前らに酒でもごちそうしてやったんだがなぁ。」「おいおい、そりゃおっさんに奢ってもらえる日はこれから一生来ねえってことか?」「なんだとドナ!」怒る男にからから笑いながらドナは手近なボックス席に腰を下ろす。背もたれに体を預け、足をテーブルの上に放り投げる。そして、体のあらゆる力を抜いて大きなため息を一つ。「今すごい顔してるぞ。」向かいに座ったルイザが呆れた顔で指摘する。「うるせー、疲れてんだよ。つーかお前こそ。」女とは思えない恰好で二人はソファの上でだらける。ふと、二人の後方から話声が聞こえることに気づいた。「――君のその白百合みたいに、美しい指が好きなんだよ。」そう言って女性の手を優しく取り口づけをする軟派な男が。だがその直後、男は女性から頬に強めのビンタを食らう。バー一帯に乾いた音が鳴り響いた。女性は立ち上がり、ゴミを見るような目でその男を見下ろす。「この前あんたが他の女とべたべた引っ付きながら歩いてたの見てたわよ。」バイバイ、と言いながら女は立ち去る。カランカランと音を立てて店の扉から女が出ると同時に、色黒の青年が入れ替わりで入室する。「おーおー、まーた女連れ込んでんのか、エルバートは。」背もたれに肘をかけながらドナがそう言うと、すぐ後ろの席にいた男が片手で新聞を読み、片手でコーヒーを飲みがら答えた。「そしてたった今フラれたな。」全く興味無さそうにクールに返すはグレッグと言う男だ。「また馬鹿が女連れ込んだのか…。」先ほどの女性とすれ違った色黒の青年が呟く。「ロイドくんだって興味あるだろ?女にさ♡」そう言ってドナが挑発するが、「知らない。興味ない。」心の底からそう思っているかのように、平坦なトーンでそう答えると、すたすたと店の奥に消えていった。「相っ変わらずだなぁ…。」そこに、店の奥から、ぱたぱたと小柄な三つ編みの少女が走ってくる。「お帰りなさい、ドナ、ルイザ!」すると、その声を聴いた瞬間、ドナは即座に立ち上がり、不貞腐れていた顔に笑顔を広げた。「トリシア!!」まるでハートマークでも飛ばしそうな勢いで元気よく彼女に駆け寄ると、そのまま、自分より小さなその体を抱きしめた。その時の顔と言ったら。先ほど人を銃で撃った奴のそれだとは思えないほどに崩れていた。「あぁ~~…久しぶりのトリシア…癒される…♡」愛おしそうにぐりぐりと頬をこすりつける。苦しいのか、トリシアは身を捩る。「どっ…ドナぁ…。」やっとの思いで出したその声を聴いて、ドナは「ごめんごめん、」と言いながらその締め付けを緩める。その光景を見てルイザは呆れたようにため息をつく。どこか柔らかな空気に包まれた店内に、階段から足音が響いてくるかと思いきや、黒人の大男が音のする方から姿を見せた。「ご苦労だったな、二人とも。」そいつが姿を見せると、足を組み、だらしなく座っていたルイザが途端に足を閉じ、礼儀正しく居直した。「だっ、ダレル!!」ルイザに気づき、近寄っていく。「無事か?怪我はないか。」「だっ…大丈夫…、に、決まってんだろ。」「そうか。それは何より…、ん?ルイザ、どうした、顔が赤いぞ?」ダレルと呼ばれた男は、よく見るためルイザに顔を近づける。その瞬間、ルイザの顔はみるみる内に、先ほどよりもより赤く染まった。「なっ…なんでもないッ!!!大したことないから!!こっち来んな!!」眉間に皺を寄せて顔を背けたその様子に疑問を感じながらも、「そうか。」というとあっさりと離れた。…もしかしたら、年頃なのかもしれないな、などとしみじみと思いながら、ダレルはもう一人に視線を移す。毎度のことながらこいつら…と呆れた様子で二人を見ていたドナは、未だトリシアを捕まえたままだ。「お前も大丈夫そうだな。」「あぁ。楽勝だったぜ。」「それは何よりだ。」その時、気だるげな男が入店してきた。「おーギル。そっちも終わったのか?」ドナが声をかける。「あぁ…。」疲れて喋りたくもない、という様子。その後ろから東人の男が顔を出す。こちらの男の名は、ジョン。「対象が出てくる時間が予定よりかなり大分遅れたんだよ。相当待たされてさ。」「そりゃお疲れさん。」「お前らも飲むか?」「あー…いや、いい。あっちで休む。」グキッと首を鳴らしながら、ジョンと共に奥に引っ込んでいった。それを見送ると、ダレルはふと腕時計の時間を確認する。「ドナ、ルイザ。」ソファでくつろぐ二人に呼びかけた。「疲れているところ悪いんだが、少し付き合ってくれないか。」そのダレルの言葉に、ドナは心の底から嫌そうな顔を、ルイザはきょとんとした顔を浮かべた。 ――――店の奥にある一室に、応接室がある。そこに入ると、女性が一人、ソファに座っていた。「ありがとう、ニール。」「おう。」ニールと呼ばれた少年はダレルの言葉を合図に、その場を立ち去ろうとするが――その途中で、ドナとルイザがいることに気づいた。ルイザが微笑みながら通り過ぎざまにニールの頭を撫でてやる。ニールは恥ずかしそうに、でも嬉しそうにしながらそれを受け止め、部屋を出て行った。―――『お前たちがいる方が、依頼者もまだ話しやすいだろう。』先ほど言われたダレルの言葉を思い出すドナ。「…そういうことな。」女性がいることで威圧感が減るということか。人選に納得する。ダレルは女性の向かいのソファに座り、ドナとルイザはその背後に立った。座るや否や、ダレルが本題に入る。「…既にご存知かとは思いますが、我々は裏世界における、所謂―――何でも屋です。」その言葉に、女性がびくりと肩を震わせる。「一般人だけではなく、国や警察―――ひいてはマフィア等、あらゆる人や組織からの依頼を受けます。…ただし、我々は全ての依頼を受けるわけではなく、きちんと精査した上で、その依頼を受けるかどうかの判断をします。受けるに値する依頼か、依頼内容に相当する報酬を提示しているか、…そして、リスクと内容、報酬を天秤にかけて、受けてもよい依頼であるか。依頼者であるあなたにもリスクは付き物だが、実行側の我々はそれ以上のリスクを伴う。…そこは理解していただきたい。あなた自身が、危険に晒される可能性も、罪を背負う可能性だってある。」その言葉に、女性の瞳が若干揺らぐ。「それでもあなたは、依頼しますか?」ダレルの言葉に、女性は手をぎゅっと握り締める。「…あなたの依頼は、なんですか?」女性は唇を噛みしめ、テーブルに勢いよく両手をついた。ばんっと音を立ててテーブルが揺れる。「人を…っ…殺してほしいんです!!」必死の形相で頼み込む。そして、「これで―――…殺してッ…!!」そう言ってカバンから取り出したものをテーブルの上にたたきつけた。3つの札束と、とある男の写真。写真は、遠くから盗撮されたもののようだ。それを冷静に眺める3人。部屋を静寂が包む。「…何故ですか?」ダレルが冷静に問いかける。「…見たところ、あなたは一般人だ。何故このような―――…」「私の父を殺した男に…ッ!!」怒りに感情が支配されているのだろう、一瞬息が詰まり、言葉が途切れる。「復讐をしたい…!!」吐き出すように、俯きながら言う女性の顔は、今にも涙が出そうな苦しさを滲ませていた。「…平凡で、普通の暮らしをしていただけなのに―――…ある日父が、殺されたの。…近頃、町でたむろしていたギャングが…近くにいたって…。服も血で汚れてたのに、警察は何もしてくれなかった…!お願い!!どうか、これで―――」「…舐めてんじゃねえぞ。」「ッ!!」ドナの言葉にびくりと脅える女性。冷たく、鋭い目で女性を見下ろすドナ。「人を殺すってのはそう簡単なことじゃねぇんだよ。金だけ積んで、あとはハイじゃあよろしく、で終わりか?…人に手ェ汚させて、自分は綺麗なままか。随分と良いご身分だな。」「…!」「そもそも相手は人を殺すような輩だ。しかもギャング…とか言ってたな。当の本人を殺ったところで、今度はそいつの仲間にあんたが復讐される可能性だってある。…こっちは、殺し殺されの世界なんだよ。殺しの依頼をするってことはそういうことだ。復讐先はあんたじゃないかもしれない。あんたの母親が巻き込まれる可能性だってある。てめぇにはその覚悟があんのか?」「…ッ!」女性はテーブルに両手をついたまま項垂れる。そんな女性にトーンを変えることなく、厳しい口調でドナは続ける。「あんたに出来るのは、父親を弔って、殺したい男のことは忘れるだけだ。」さっさと帰れ、と、ドナはその場を後にした。続いて、ルイザも部屋を退室する。女性はどの場に崩れ落ち、わんわんと泣き出した。 ―――「助かったぞ、ドナ。」喫煙所で煙草を吸うドナに話かけるダレル。「…帰ったのか?」「あぁ。ちゃんと金は持たせてな。」「お前、初めからこのつもりだったな?」「俺から言っても納得しなかっただろうからな。」確かに、穏やかな気質のダレルはドナのように叱責して追い返すなんてことは出来そうになかった。ふーっと煙を吐き出すドナ。「…どこから噂を聞きつけるのか知らんが、ああいう子が増えるのは困り事だな…。」「“人生相談室”感覚で来られたらたまったもんじゃねーぞ。」「全くだな。」残り僅かとなった煙草の吸殻を灰皿ですり潰し、その場を立ち去るドナ。「二度とごめんだからな。」「悪かったよ。」 街中で、騒ぎながら大手を振って歩く数人の若者が。そこにぶつかる人影。「あ?なんだてめぇ。前向いて歩けよ。」「おいおい、女じゃねぇかよ。なぁ、俺らと一緒に―――」その時、突如鳴り響く銃声。男の脳天に穴が空き、そこから血が噴き出す。「うっ…、うわあああああッ!!」傍にいた仲間が悲鳴を上げる。「ぎゃーぎゃーやかましいんだよ。」キャップを被り、スタジャンと短パンを身に着け、サングラスをかけた長髪の女は冷徹な目で男を見下ろした後、他の男達にも目を向けた。男達はヒッと声を上げると、その場から逃げ出すように走り出した。その遠くなる後姿を見ながら、女はチッと舌打ちをする。「大したことねえじゃねぇか。」そう言って腕を下ろし、懐に銃をしまうと、なんでもなかったかのようにその場を後にした。