―――――目を覚ますと、狭い個室のなかで倒れていた。あれ…?なんで私、こんなところに…。重い体を起こしながら、ぼやけた思考の中、ここがエレベーターの中だと認識する。「いッ―――…!」頭がずきりと傷んだ。頭を打ったんだ…なんで…。…そうだ、あの女に、校門前に待つように嘘をついて…一人でショッピングモールに…。ショッピングモールの中にいつの間に紛れ込んでいたら、って思って…更に人込みで巻いて…エレベーター乗ったんだ。そしたら…「!!」…そうだ。爆発音。どこからか爆発音が鳴って…。そこまで思い出してはっとする。その衝撃でエレベーターが揺れて、頭を打ったんだ。気づくと、エレベーターは停止している。「えっ…嘘でしょ…?…ちょっと、洒落になんないじゃん…。」慌てて立ち上がり、階数のボタンのところへ駆け寄る。エレベーターの電源は切れているようだ。カチャカチャボタンを押しても反応無し、どこかに連絡がつながる様子も無かった。扉をこじ開けようと引っ張るが、びくともしない。しかも、「焦げ臭い…?」鼻をかすめる匂い。…まさか、先ほどの爆発で火災が起こってるんじゃ…?嫌な予感が体中を駆け巡る。でも、まさか、そんなこと本当に…―――?テレビ越しでしか見たことのなかった状況に、自分の身には起きるはずはないと思っていた出来事に、私は今、巻き込まれてるっていうの…?体がぞわぞわと震えだした。頭が急速に冷えていく感覚。心臓もバクバクとうるさく鳴りだして、呼吸が浅くなり苦しくなってくる。―――爆発の起きたデパートで、エレベーターに閉じ込められた。しかも火事になっている。このままここにいては、煙が回って、窒息死するのか。はたまた、火が回ってきて焼死するのか。いずれにせよ、辛くて苦しいのは間違いないだろう。そこまで考えが至った途端、ぶわっと汗が噴き出した。どうしよう。どうにかしないと。どうする、どうする、どうするどうする―――…!!そこまで考えて、はっとする。「…あいつは…っ!」例のあの女は、と耳を澄ますが、何も聞こえない。この狭い個室に、たった一人だった。まるで、世界から隔離されて、私一人だけになってしまったよう。「…っ…!!」こんなことなら、女を巻くんじゃなかった。こんなことなら、女の忠告をちゃんと聞いておけばよかった。後悔が押し寄せる。…やっぱり、あの人は私のことを助けてくれていたのか。
…彼女に、謝りたい。「助けて…、」届く筈のない声を出す。「助けて…ツ!!!」一抹の望みをかけて、大きな声で助けを呼ぶ。お父さんとお母さんに会いたい。陽葉と清香とももっと一緒にいたい。―――豊里と、仲直りもしたかった。その時、「!!」エレベーターの天井の方から、ゴン、と何かが軽く落下するような音がした。その音を聞いて、恐怖に慄いた。まさか――爆発の影響で何かの部品が落下した…?「そんな…っ…」そう、一気に不安が押し寄せたのも一瞬だった。その後、明らかに人の足音だろう音がゴンゴンと聞こえた。「え…?」そんな…まさか。だって、こんな危険なところに、わざわざ…?ガチャガチャ、ガコガコ、何やら作業するような音が頭上から聞こえた。そして―――「大丈夫か。」上の点検口が開いたかと思えば、そこから例の女が顔を覗かせていた。ぽかんと呆気にとられる私をよそに、女は、エレベーターが揺れないよう慎重に着地すると、私の元へ近寄ってきた。「…頭を打ったのか。」私の頭を見ながらつぶやく彼女。その頬には、切り傷がついているのが見えた。誰かが助けに来てくれた安心感と、命の危険を冒してまで助けに来てくれた様子の女に、私は思わず―――彼女に飛びついてしまった。触れた人肌の体温が安心感を更に加速させ、私は子供のように泣きじゃくってしまった。危機的状況に陥ると、人は何を仕出かすかわからない。でも、彼女はそんな私を引きはがすでもなく、されるがままになっていた。抱き返してやるものか逡巡している様子が感じられた。惨めにも震えてた体は、彼女の暖かさに包まれて段々と平静さを取り戻していった。――が、いつまでもそうしていられないことは明らかだった。どこからか小さな爆発音が聞こえると、彼女は私を体から離した。「…悪いが、まずはここから出るぞ。早くしないと落下する。」そう言われてはっと正気に戻った。こんな緊急時に、子供みたいにみっともなく泣きじゃくったのが恥ずかしくて、制服の袖で慌てて顔の涙をぬぐった。女は私の様子を確認した後、上を見上げた。私も、彼女が下りてきた穴を見上げた。「取り敢えずここを上がるぞ。」「えっ」「肩車してやるから、取り敢えず上に乗れ。」高校生にもなって!?しかも歳の近い女の肩に!?とは思ったけど、そんなこと言ってる場合じゃないことはわかっていた。黙って女に従う。「まずここに立て。」私は言われるがままその地点に立った。「ちゃんと捕まれよ。」「きゃあああっ!」彼女はなんと、私の股の間に自分の頭を通して、そのまま立ち上がった。突然の出来事でつい、彼女の頭をつかんじゃったけど、何も言わない。「ご、ごめっ…じゃない、何すんのよッ!!」「女同士だろ、何を気にすることがあるんだ。」「そういうことじゃない!!ちゃんと合図してよ!!びっくりしたじゃない!!」「いいから早く上がれ。肩に足載せてもいいから。」「…重くないの?」「重い。だから早くしろ。」一々癇に障る言い方をする。でも、私を助けようとしてくれてるのだからと、更に出かけた言葉を飲み込んで、私は穴の縁に手をかけた。私は、必死の思いでよじ登ったけど、女はというと、私の手も借りず、これまた軽々と上に飛び乗った。…前々から思ってたけど、こいつの動き…人間じゃない!「ハンカチは持ってるか?」「持ってるけど…。」「多分火の回りが近くまで来てる。煙を吸わないように――…」そこまで言って、はっと気づいたように上着を脱ぎだして、それを私に渡した。「それを頭から被れ。あと髪は結べ。」「あんたはどうすんのよ。」上着を脱いだ彼女の上半身は、見る限りシャツ一枚。どう考えても彼女のほうが危ない。彼女は長袖を捲りながら、平然とした顔で「私は大丈夫だ。」とだけ言って、斜め上部にある扉らしきものに手をかけた。左右に押し開き、エレベーターの扉が開いていく。まだ見えはしないけど、熱気が漂ってくる。彼女が言ったように、もう火が回っているようだった。っていうか、そもそもこいつはどこから来たの?「今度は私が先に出る。待ってろ。」まず彼女が先に登り、振り返ってしゃがむと手を差し伸べてくる。私は素直にそれを取った。引き上げてもらうと、むせ返るような空気が漂っている。「…っ!」煙で隠れたその先は、真っ赤に燃え上がる炎で埋め尽くされていた。「行くぞ。」「行くって…この中を?」「大丈夫だ。通れるルートがある。」懐疑的な私の様子に、彼女は真っ直ぐな目で私を見つめて言った。「…今は私を信じろ。」これまで助けてもらったこと、こんな危険な状況でも助けに来てくれたこと、抱き着いた時に引きはがさなかったこと。それが一瞬でフラッシュバックした。彼女の言うように、今は信じるしかない。彼女から差し出された手を取り、私達は火の中へと走り出した。
―――――「しっ…死ぬかと思った…!!」膝立ちにぜーぜーと息を荒らしながら呼吸を整える。非常階段が火の海になっており、別の逃げ道もなく。結局、窓から布を繋ぎ合わせた即席ロープを垂らしてそこから降りたのだった。「今回ばかりは駄目かと思ったな。」火が燃え盛るショッピングモールを眺めながら彼女は呟く。「…ごめん。」私のつぶやきに、彼女が振り返る。「…いや、ありがとう、だね。…いつも、助けてくれて。」なんとなく顔を見るのが恥ずかしくて、目線を外しながらそう言って、私は彼女の上着を脱いだ。「これ、綺麗にして返――…あれ?」汚れていたり破けていたりしないかと上着を広げてみるが、あれだけ火の海の中を駆け回ったというのに、上着は綺麗なままだった。「あれ、これさー…」そう言って女の顔を見ると、「…?っていうか…ほっぺに傷無かったっけ…?」女の顔も、煤がついているくらいで綺麗な状態だった。「…見間違いだろ。」女はぱっと私の手から上着を奪い取った。…どこかの切り傷の血が、顔についていただけだったのだろうか?「今日は取りあえず帰れ。頭も怪我してるんだ、ちゃんと手当してもらえ。」そう言っていつものように立ち去ろうとする。「えっ、ちょっ…!あんたこそ、」「話ならまた明日聞いてやる。」「!」
どういう心境の変化か、女はそう言い残して立ち去った。
―――――女は、翌日確かに私の呼びかけに応じて現れてくれた。「ん。」 出会って早々、私はデパートで買った小袋を女に差し出した。「…なんだ、これは。」 女は訝し気な顔をして受け取らないもんだから、無理やり手を掴んで持たせる。「いつも…と、昨日のも含めての、お礼。…ありがとう。」そこまで言って、ようやく封を開けてくれた。中から出てきたのは、ヘアピンと、ヘアゴム。予想はしてたけど、それを見てもやはり女の表情は変わらない。「…昨日ね、本当に嬉しかったの。助けに来てくれたこと。」その言葉に、女の視線は私の方へ向いた。なんだか照れくさくなり、思わず顔が熱くなる。恥ずかしくなって目を反らす。「そ、そんなもので悪いけどさ、…代わりといっちゃなんだけど、質問に答えてよ。」慌てて話題を変えると、視線を女に戻した。向かい合って見つめ合う。「これだけ確認させてほしいの。…これからも、私に付き纏うの?」私の質問に、女は少しだけ考えてから口を開いた。「…あぁ、そうなるな。」その回答は概ね予想通りだった。質問を続ける。「あんたの正体は?」「…言えない。」「助けてくれる理由は?」「それも言えない。」ここも予想通り。それ以上の追及は諦めて、別の質問に移ろうとした時だった。珍しく女の方から言葉をつづけた。「…『言わない』じゃなく、『言えない』んだ。」そう言う彼女の目と表情は、とても嘘をついているようには見えなかった。…本当、どういう心境の変化なんだろう。私は、彼女のその言葉を素直に受け入れた。「…わかった。じゃあ最後に、一番肝心なこと聞く。あなたが私に付き纏うことで、私の周りの誰かが被害を受けたり…危ない目に遭ったりする?」「それはない。」 即答だった。そして続けて口を開く。「私の第一の目的は―――…」何か言いかけたものの、そこで口を噤んだ。彼女としては、本当は『言いたい』ことなのかもしれないと、その時ふと思った。「…いや、なんでもない。とにかく私は、誰かに危害を加えることはない。それはお前も例外じゃない。」「…それも、信じていいの?」「あぁ。嘘偽りはない。誓ってもいい。」じっと目を見つめる。だが、女は逸らすどころか、私の視線を真正面から受け止めた。「…わかった。…思えば…ずっと私の命を救ってくれてたんだしね。」「…」それに対しては女は何も答えなかった。だがそこにきて、ふと思ったことがある。「…逆に、私のせいで…あんたが危険に晒されてる可能性ってのは、ないの…?」今まで考えもしなかったこと。私のここ最近の不運と言ったら、異常な頻度だ。私を守ることで、彼女は毎度危険に晒されている。もしかして、私のせいで…?私の不安げな様子を感じ取ったのか、女は何かを言いかけるが、やはりまた口を噤んだ。「…そういうわけじゃない。」なんとか取り繕って絞り出した答えがそれなのかも、と思うと、昨日の態度といい、こいつ案外悪い奴じゃないのかもしれない。「…そういうことにしておく。」私は思わず笑ってしまった。そんな私の様子に驚いた様子の女。爽やかな風が私達の間を駆け抜けた。―――なんだか、すっきりした。