「忘れ物?」『そうなんだよ…午後の会議で必要で。瑞穂、出来れば…届けに来てくれないかな。』「…って言っても…、」私はソファに座って新聞を読む大和をちらりと見た。私の視線に気づいたのか、大和は新聞をテーブルに置いて、こちらに近づいてきた。「どうした?」「お父さんが、会議に使う大事な資料を家に置いてきちゃったんだって。それで、会社まで届けに来てくれって。今日、お母さんも豊里もいないじゃない?だから私しか出来ないんだけど…。」「それで?」「電車使わないと行けない距離なのよ。…まぁ、電車なんてそうそう危ない目に遭うこともない、よね?」「…何かあっても、私がついてる。だから、安心しろ。」「!―――…わかった。うん。…お父さん?今から行くね。」
――――「なんか、変な感じ。大和と一緒に電車乗るなんて。」電車の中。私と大和は扉付近の両端に、向かい合って立っていた。「…」大和は何か気にかけているようだ。背後に意識を集中させてるように見える。「どうしたの?」「…まずいな。」「は?何、早速?」何か起こるのか、そう聞こうとしたら、停車する筈だった駅のホームが、窓の奥で通り過ぎていくのが見えた。あれ?と思ったら、そういえば先程から車内放送が聞こえない。周囲を見渡すと、先ほどの駅で降りるつもりだったろう人が、私と同じように戸惑い、きょろきょろと見回している。それに気づいたであろう人たちも、ざわざわと騒ぎ出した。はっとして大和を見ると、やはり背後――――車両の先頭の方を気にしている。「なんか…あったの?」その時、連結部分の窓の奥から音がして、見ると、向こうの車両から、人が続々とこちらに走ってきているのが見えた。扉が開け放たれ、わっとその人々が押し寄せると、そのまま後ろの車両へ走っていく。私と同じ車両にいた人は訳も分からないものの、ただ、異常事態だということは理解したらしく、数人が彼らと同じように逃げていった。と、突然大和が逃げて来た一人の腕を掴んでその足を止まらせる。「何があった?」そいつが、一刻も早く向こうへ行きたい様子で、早口で答える。「先頭車両で爆弾みたいなもんを持った奴がいたんだよ!!武装した奴等も数人いて!!」その声を合図に、残った人も次々と走り出す。早く離してほしそうにしている男に思わず突っ込みを入れる。「はあ!?この時代に、日本で電車テロ!?」「…数は。武装って、銃でも携帯してたのか。」「知らねえよ!!俺だって途中の車両から逃げて来たんだ!!ただ、向こうから来た奴は、5人は見たって行ってた!!あと撃たれた奴もいたって――!!早く離してくれッ…!!!」大和は言われたように離してやると、そいつは一目散に逃げて行った。「…そこのばあさん。」そいつを意にも介さず、大和は傍で立てなくなっていた老夫婦に話しかけていた。「はい…?」「こいつを頼む。」そう言いながら、私をお婆ちゃんの側に押しやる。「はぁっ!?ちょっ――…やまとっ!!」「お前はその人たちを連れて一緒に向こうへ行け。私がなんとかする。いいな、絶対こっちに来ようとは思うな。向こうで何かが起きても、自分でどうにかしろ。お前は生きなきゃならないんだ。この中の誰よりもな。」「……!!」その言葉には、やけに重みがあった。「…なんとか、できるんでしょうね?」大和はそれに応えるようにして、余裕たっぷりといった顔を見せつけてきた。「楽勝だ。」
――――瑞穂が後ろの車両に移動したのを見届けると、私は方向転換して前の車両へと向かった。ここは9両目だ。テロ犯たちがいるのはもっと向こうの車両か。敵の人数が確認できない以上、慎重に行かなければならない。ましてやこっちは丸腰だ。電車の中じゃあ武器の調達も出来ない。…どうする。しばらく行って6両目に差し掛かると、車両を繋ぐドアの窓越しにテロ犯の姿が確認できた。…まずは二人、か。武装、と言っても、銃を構えているだけで見た目は一般人と変わらない。それもそうだ。変に重装備をしても、電車に乗るまでに不審者扱いされて捕まえられるだろう。己の身を捨てたような実行の仕方だ。宗教関連の何かか?…いや、その割には体格が良い。…油断はしない方がいいな。…さて、どうする。ここまで来る途中、何かしら忘れ物か何かあるかと期待したが何もなかった。どうせなら、さっきの乗客の中から何か拝借してくれば良かったな。思案していると、背後から気配を感じた。振り返ると、そこには一人の成人男性が。その動きは素人じゃない。慎重な動作で、扉付近でしゃがむ私の隣まで来た。「一人であれを倒す気かい?」「…あんたは?」「私は警察の人間だ。非番だったんだ。まさかテロに出くわすとはね…。」「そいつは不運だな。」「全くだよ。まぁ、巻き込まれてしまったのは仕方がない。ここは俺がどうにかしなきゃならないみたいだと思ってね。そこで君と出くわしたわけだ。」「何が言いたい。」「よければ、協力してもらえるかい?君は相当勇敢な女性と見えるが。」「警察官の言う台詞じゃないな。初対面でそんなこというくらいだ、私を使えると判断した根拠はあるんだろうな?」「ただの勘だよ。それとも、一人でテロ犯のいる車両に向かった度胸を認めて――とでも言おうか?」「それでも不十分だろ。頭のおかしな警察がいたもんだな。――…銃は持ってるのか?」「そんなわけないだろう。非番だ、と言った筈だ。」「じゃあ武器は。」「ない。」「…」「今、使えねえなこいつ、と思っただろう。」「ああ。」「はは、随分とはっきり言ってくれるな。」「…どうするつもりだったんだ。」「それをこれから考えるところかな。」「…やってられないな。」私は立ち上がって、隠れつつも扉に手をかける。「おいおい、何してる。」「お前はそこで待ってろ。私が銃を調達してきてやる。そこから協力してもらう。」「冗談はよせ。あの銃の持ち方から察するに、只者じゃないぞ、彼らは。」「わかってる。いいから黙ってろ。いいか、私が奴等をのしたら、すぐにこっちに来い。」「扱えるのか?」「あぁ。…殺しても、私を捕まえようとは思うなよ。」「私と乗客が生きて帰れれば文句はないさ。しかし凄いな、生きて帰る気満々か。」「当然だ。」「それはなんとも頼もしい。だがな、」
――――俺の言葉を最後まで聞くことなく、女は何の躊躇いもなくその扉を開けた。俺は、閉まった扉の窓から女の入っていった車両を覗き込んだ。女は男たちの静止の声も聞かず、彼らのほうへ走っていく。彼らが堪えきれず銃を構えた瞬間、私は体をずらして安全な場所へと退避した。日本ではあまり聞くことのない銃声が、絶え間なく鳴り続ける。――…あの子…一体何の自信があって向かっていったんだ。先程の発言を聞いたときに思ったが、ただの頭のおかしな子だったのか。服装も随分個性的だったし…。彼女が死んだと確信した俺は、音が鳴りやむと、その無残になってあるだろう死体を確認するため、再び窓から覗き込んだ。――が、そこには、俺の予想を大きく飛び越えた光景が。倒れた二人の男と、そいつらから武器を回収する女の姿があった。「さっさと来いッ!!」その顔には赤い線が入り、どこか撃たれたのか、体もやや不自然な動きをしているものの、命に別状があるようには見えなかった。私はすぐに扉を開け、走りながら彼女が滑らせたのであろう銃を手に取る。そして、もう一つ窓の向こうの車両から走ってくる男に向け、数弾発砲した。それが見事命中したようで、そいつはこちらに入ってくることなく、窓の向こうで体を崩れさせた。その向こうに、人の姿は見えない。「流石だな。」「…あり得ないだろ。」走った勢いで彼女の元までたどり着く。「丸腰で、銃を携えた男二人に特攻して無事だなんて…。」「運が良かっただけだ。」「…はっ、ははは、君、何者だ?」「それは今、関係あることか?」「…尤もだ。」「さっさと行くぞ。」
――――そこから数両、中にいた銃を持っていた男達をのして、不思議な女と二人、先頭車両に辿り着く。そこには、右肩から血を流して座りこむサラリーマンが1人。そして、武装する男が3人いた。内一人は、運転手に銃口を向けている。リーダー格と思われる男の足元には、黒い大きなカバンが。――…これが、爆弾ということか。…時限式か…衝撃感知式か、はたまた操作式か…。「―――君等の要求はなんだ?」自ら口火を開いた。それに対し、淡々と答えるテロ犯。「既に警察の方々にはお伝えしました。現在、向こうが動いてくださっている頃だと思います。我々が望むのは、教祖様の解放です。要求を呑んでいただけない場合は、乗客全員を道連れに自害します。」…宗教関係か。厄介だな。刺激しないようにしないと…。「それで…警察はなんて?」「『少し待ってほしい』と。」…さて、どうするか。と方法を考えようとしていたところで、横の女がおもむろに銃を構える。それは、銃の扱い方を知っている構え方だった。その突飛な行動に流石の俺もぎょっとする。「おいっ…!!」「この方が早い。」おいおいおいおい、なんだいつは。思っていたよりヤバい女か?止めるべきか悩んでいたところ、「…待て。我々は、教祖様さえ解放してもらえれば、必要以上の危害を加えるつもりはない。」「…一人負傷させておいてよく言ったもんだ。」女から目を離さないまま、犯人は姿勢を屈ませ、足元のカバンのチャックをゆっくりと開く。と同時に、左ポケットから、何かのボタン付きのリモコンを取り出した。「…スイッチ式の爆弾だ。」「…爆弾はそれだけか?」「あぁ。警察が要求をのまない場合だけ、起動するつもりだ。」「…信じていいのか?」「…我々は、教団のイメージを下げたいわけではない。ただ、教祖様を取り返したいだけだ。」それを確認すると、女はゆっくりと銃を下ろした。「(…なるほど)」彼らの目的は、あくまでも『教祖の解放』。彼らとしても、目的を果たすまでは犬死を避けたいだろうという思惑か。…全く、肝が冷えることをやってくれる。「なら、さっさと警察と交渉しろ。」この女、偉そうにどの立場で…。「渋るようなら私が代わりに言ってやる。」「おいおい…。」呆れたように呟く俺に女が噛みつく。「なんだ。乗客の命と教祖様の釈放、今すべきことは明らかだろうが。」「そりゃそうだが…。」俺と女が言い合いをしている中、男達はどこかに電話をしていた。どうやらまた警察へ催促をしているらしい。――…まぁ、俺としても、“フリ”でもいいからさっさと釈放の動きを見せてほしいところだが。俺も自分の命が惜しい。だが、どうやら交渉は決裂しているらしく、男の語気がどんどんと荒くなる。―――おいおいおい、頼むから穏便に済ませてくれよ。「ふざけるな…ッ!!」終いには怒鳴る始末。「…絶対に許さないからな…ッ!!お前等は、俺等の心のよりどころを取り上げたんだ…!あの人に救われた人がどれだけいると思うんだ…、どんな方法であれ、俺たちは確かに救われたんだよッ!!―――誰にだって救いがあっていい筈だろ。それを寄ってたかって…宗教の何が悪いんだ?辛いことがあっても、ただ苦しんでろっていうのか?こんなに息苦しい世の中にしておいて、その上救いまで取り上げるのかよ!!俺たちが何をしようと、どうなろうと、幸せだと思えているならそれでいいじゃねえか!!他所の人間が、知ったようなことばっかり…好き放題言いやがって…ッ!!だったら、もっと弱者に優しい世の中にしろよ!生きやすい世の中にしてくれよ!!」電話の向こうにいる誰かに対してそう叫んだ後、俺達の方へ振り返る男。「なぁッ!!あんた達もそう思わねぇか!?」その問いかけに、俺は思わず答えてしまった。「――…この国には、信仰の自由がある。君等が誰を崇めようが、何をしようが信じようが、それは個人の自由だし、誰も咎められることじゃないさ。だがな、それはあくまでもこの国のルールに乗っ取った上での話だ。君たちが他の誰かに迷惑をかけたり、法に触れることをしたりしなければ、の話だ。君たちは、君等の信じていた人は抵触してしまったんだよ、そのルールに。どんな理由があろうと、国に定められたルールに背き、国に悪だと判断された者は相応の処分を受けなきゃならない。そういうシステムなんだ。この世の中は、そういう風にできてるんだ。俺達は、諦めてそれに従う他ないんだよ。…本当、優しくない世界だ。自由なんて、どこにもないんだよ。」この国に定められたルールなんてものは、大体が俺達に優しくはできていない。あくまでも、秩序を守る為のものでしかない。そんな俺の、しょうもない回答に男は更に激高する。「うるさいッ!!そんな屁理屈が聞きたいんじゃねぇッ!!!」「それ以上は無駄だ。」俺が話す間、何やら意味ありげな視線を向けていた横の女が突如、口を出してきた。「そいつにまともな話は通じない。麻薬の匂いもするしな。おそらく…、大麻か。」言われて自分も鼻を嗅いでみるが、火薬の匂いしかしない。「…わかるのか?」「あぁ。鼻がいいんだ。」正直信じられないが、それは彼らを捕えてから調べりゃいいものだ。「だがそういうことか。銃といい、薬物といい、彼らの過剰な信仰心といい…やはり…。―――ということは、」女の方を見ると、目配せをしてきた。…やるしかないか。次の瞬間、俺と女は二人して瞬時に銃を構え―――「ッ!!」女は運転手に銃口を向ける男の腕を、俺はリーダー格の男の腕を、それぞれ撃ち抜いた。そして俺はそのまま間髪入れずに、残り一人の男のわき腹を撃つ。その間に、女は男達の元へ駆け寄り爆弾の入ったカバンを拾い上げ―――俺が銃弾を撃ち込み破壊したガラスの窓の向こうへ、それを思い切り投げ飛ばした。窓の向こうは――――「……!」リーダー格の男は、慌ててポケットのスイッチに手を伸ばす。爆弾は、河川の上で、爆発をした。「―――…なんつー腕力だ…。」おかげで、こちらまで爆風が飛んでくることはなかった。俺とテロ犯達が爆弾に意を取られている間に、女はテロ犯達へ駆け寄り、さっさと銃を奪い取って倒してしまった。「―――…お前、本当に警察か?」呆れたように銃を俺の方へとぶん投げる女。「…まぁ、今日は非番だしな。」「便利な台詞だな。」この女、まるで人間じゃない。犯人たちを縛り上げ、運転席へ行き運転手の無事を確認する。…どうやら、運航に支障はないようだ。「どうする。止めるか?」「いや、このまま走らせてくれ。」「何故だ?」「急ぎの用があってな。そこまで頼みたい。そのくらいは構わないだろう。」「…本当に面白いな、君は。」やがて電車は目的の駅に到着をした。俺の報告を受けた警官たちがホームに溢れかえっていた。俺と女も電車から降りる。「私は帰らせてもらう。」「あぁ、構わないよ。私一人の手柄とさせてもらおう。」「…あんた良い性格してるな。」「はは、今回は助かったよ。君がいなければどうなっていたか…・。何かお礼がしたい。これ、俺の連絡先だ。」 そう言って懐から取り出した名刺を差し出す。「…受け取っておく。」「大和!!」彼女の後方から、金色の長い髪をした女の子が駆け寄ってくる。「さっき爆発が…―――ていうか、本当に犯人やっつけちゃったの!?…まぁ、無事で良かったけど…!怪我は?」「少し撃たれたけど問題ない。」「撃たれたの!?」どこ!見せて!と言う女の子に、すぐ治るから大丈夫だという女。そういえば、怪我していたんだったな。全くそんな素振りを見せないからすっかり忘れていた。多分、大丈夫だというから大丈夫なのだろう、この女は。先程からのあり得ない動きを見ていると、自然とそう感じられた。それにしても…。俺は、金髪の女の子を見つめる。この顔、どこかで見たことがある。―――…そうだ、確かあいつが…。「そんなことより、早く書類届けなきゃいけないんじゃないのか。」「うわっ!!そうだ、早く行かないと…!お父さん待ってる!」女は俺に軽い会釈をすると、金髪の子の腕を掴みさっさと行こうとした。が、何かを思い出したように立ち止まり振り返ると、犯人たちに対してと同じ鋭い目つきをこちらに向けて来た。『…わかってるだろうな。』と言わんばかりにさっき渡した名刺をチラつかせる。その意味を理解した俺は、『わかってるよ。』と答えるように肩を竦めて見せた。混乱する金髪の少女を無理やり引っ張り、不可思議な女はそのまま雑踏の中へ消えていった。
「ただいま。」「おかえりー。」帰宅すると、同居している妹が今でパソコンと資料を広げ、難しい顔をしていた。「仕事か?」「うん…。ほら、今年に入ってから、都心部で事件・事故が頻発してるでしょ?それについて、いろんな憶測が飛んでてね。何か理由があるんじゃないか?とか言って、陰謀論とかが出ててさー。うちの会社がそれに興味持っちゃって。お前、詳しく調べてみろー!って。」「くだらないな。偶然が重なっただけだろ。」「平和ボケした国日本だしね。そうやって考えた方が楽しめるんじゃない?…と、私も思ってたんだけどね。あまりにも集中してるから、私もなんだか疑問に思っちゃって。」「そのことだけ調べてるからだろう。毒されてんだよ。」「ん―…そうかなぁ…まぁ、疲れてるからかもしれないなぁ。でもさ、今日も電車のテロがあったっていうじゃない?知ってる?」「あぁ。俺が解決した。」「ふーん・・・・って、え!?」「正確には、乗り合わせた若い女と、だがな。」「ちょ、ちょっと待ってよ!!何!?あの車両乗ってたってこと!?っていうか、大丈夫なの!?非番だったんでしょ!?」「俺は無傷だ。」「無傷でどうやって…!!」女のあの目が頭をよぎる。妹と言えど、あの女について詳細を話すわけにはいかなかった。妹は好奇心旺盛な奴だ。下手に首を突っ込ませるようなことをするわけにはいかない。「まぁ、なんだ。その女が結構優秀な奴でな。かなり助けられた。よくは知らんが。」「へぇー、元自衛隊とかの人だったのかな?」「多分な。このことは誰にも言うなよ。俺一人の手柄ってことにしてある。お前は口の堅い奴だから言ったんだ。」「えぇっ!?お兄ちゃんサイテーじゃないッ!助けてもらっておきながら名声独り占めしたわけ!?」「いてっ…痛いって!!わ、悪かったとは思ってるよ!!でも、その人もあまり目立ちたくないみたいで…、そ、それより、だ!!」「何よ!!」「こっからが本題なんだが…その女の人ってな、お前が昔仲良くなったっていう、金髪の女の子と一緒にいたんだ。もう高校生くらいになってたけどな。」「瑞穂ちゃん!?――あ…そういえば、あの子が住んでたところ…。」「どうした?」「…ううん。確か、あの子が住んでる町周辺が今、一番危ないところなのよね…。事件・事故の発生件数が一番多かったような…。」「…」「そうだ…瑞穂ちゃんも心配だし、久しぶりに会いに行って…ついでに現地取材してこようかな。その女の人の存在も気になるし。」「…」墓穴を掘ったか、と後悔した。
「で?今日会うって奴は誰なんだ?」「名村さん、っていうの。昔、私が小学生の時に会った記者でね。それから仲良くなったんだー。」「なむら…」「ほら、私のこの髪って生まれつきでしょ?昔、隔世遺伝について特集を任された名村さんが、私に興味を示して取材してきたの。その時にね。」瑞穂の話を聞きながら、大和はポケットから小さな硬質の紙をこっそりと取り出す。その紙には、『名村』の文字があった。
―――約束のカフェへたどり着くと、そこには既に目的の人物が座っていた。私達に気づいたその女性は手をあげ、口パクで呼びかけてきた。早足でそこへ向かう。「ごめん、遅くなっちゃった。」「そんなことないわよ。私が早く着きすぎちゃったの。久しぶり、瑞穂ちゃん!さ、座って座って!」「久しぶり。全然変わってないね!あ、そうだ。電話で言ってたこいつなんだけど、」そうやって大和を紹介しようとした時だった。「あなたが…」 名村さんが意味深にそう呟いた瞬間、大和が警戒し出したのを気配で感じ取った。名村さんは気づいてないようだ。多分、三か月前の私も気づかなかっただろう。「…普通の、女の子ね。しかも若いじゃない!」 つい大声を出してしまったと、慌てて口を隠す名村さん。「取り敢えず座りましょう」、と言って腰かける。私達もつられて腰を下ろした。そして、注文をすると名村さんがこちらに乗り出して小声で話し出した。「これあんまり大声で言っちゃ駄目なのかもしれないけど…あなた、昨日の事件解決に手助けしてくれたんですってね!」 畳みかける台詞に、大和の警戒心が一層強くなる気がした。…なんだなんだ、名村さん、天然なところがあるけど、彼女は今、何をやらかしてるんだ!?さっきからなんで大和警戒してんの!?訳の分からないまま、冷や汗をかきながら次の言葉を待つ。「その時にいた刑事、覚えてる?非番だった!あの人、私の兄なのよ!なんでも、あなたが兄を手伝ってくれたとか!すごく強いんですってね!?自衛隊にでも所属してるの?ともかく、おかげで兄が無傷で助かったわ、本当にありがとう!」天真爛漫にそう述べる名村さん。ようやく合点がいった。―――そういうことか!!確かにあの事件の後、男の人といたみたいだけど、まさか警察と一緒に行動してたとは!どこまで何をしたのかまではわからないけど、多分、自分が怪しい存在だって疑われてないか気がかりだったんだこいつ!…っていうか、聞いてないんですけど。あんた、一人で解決したって言ってなかった?そういう意味合いを込めて大和を軽く睨みつけたけど、スルーされた。「すごい偶然よね~~!まさか瑞穂ちゃんのお友達だったなんて!」そう言って「運命だね~」なんてのんきなことを言ってニコニコする彼女は、嘘を付いているようには見えない。多分、お兄さんは気づいてなかったのか、それとも口が堅い人なのか。名村さんに大和のことはバレていないようだった。「あっ!ついつい話しちゃったわね!ちょっと待っててね!」名村さんがドリンクバーを持ってきてくれるということで、お言葉に甘えて、私達は座って待つことにした。隣の大和を肘で小突く。「…ちょっと、聞いてないんだけど。」「別に、言わなくてもいいことだろ。」 その言い方が少し寂しかったなんて、そんなことは思ってない。「…多分、大丈夫だよ。あの人には何も疑われてないと思う。人間じゃないとかバレてない。わかりやすい人だし、興味がそそられたら直球で聞いてくるような人だから。」「…そうか。」 そう言いつつ、大和は警戒を解かない。「お兄さんには、バレたんだ。」「ああ。」だからか、と思って視線を大和から名村さんに移す。その後姿を見ながら、私は昔のことをふと思い出した。「名村さん、本当に良い人なのよ。もうお人好しレベル?私の取材に来た筈なのに、髪のせいで苛められてた私を、励ましてくれたの。愚痴も沢山聞いてくれて、相談にも乗ってくれた。お父さんとお母さんが、私のために雑誌に取り上げるのはやめてくれって言ったにも関わらず、だよ?結局、その雑誌に私のことが載ることはなかった。」「…」「本当は、雑誌記者とか向いてないと思うんだよねーあの人。正義感強いし、優しいし。」「…」「…大丈夫だよ。悪い人じゃない。きっと、お兄さんも。私のことは伝えたのにそこを指摘しなかったってことは、きっと大丈夫。」そこまで言うと、ようやく警戒を緩めてくれた。意外と素直な反応に、思わず笑ってしまった。「お待たせ!はい、瑞穂ちゃん!」一通りやり取りが終わった良いタイミングで、名村さんが戻ってきた。「ありがとう!」「あなたは、本当にいいの?」「はい、お気遣いなく。」「そう、遠慮しないでね?」「それで名村さん、今日はどうしてここに?」さらっとさっきの話題を流しつつ、別の話題を振った。「うん。私、ここ周辺で起こってる事件とか事故とかについて調べててね。瑞穂ちゃんがその圏内に住んでたこと思い出して、心配になっちゃって。それで、現地取材込みで様子を見に来た、ってわけ。」「ふぅ~ん、あたしに会うのはついでかぁ。」「あっ!違うわよ!瑞穂ちゃんに会うのが最優先よ~~!!信じてっ!!」「あはは、冗談よ、冗談。会いに来てくれて嬉しい。ありがとう。」「えへへ、私もそう言ってくれて嬉しいわ。でも、こんな強いお友達がいるんだから、大丈夫ね。ちょっと安心したわ。」彼女は本気で心配してくれているのだ。その気持ちが、素直に嬉しかった。しばし笑いあった後、気になることを聞いてみた。「調べてる、って言ってたけど…何かわかったことはあるの?」聞いてはみたが、特に私達にも目新しい情報はなかった。それも当然か。当事者が何もわからないんだから、第三者にはさっぱりの筈だ。まして、どれもかれも、傍目から見ればただの事件・事故。なんら関連性はない。すべてを知ってるであろう隣のこいつはだんまりだし…。やっぱり、時が来るまではどうしようもないのか。思考の森に迷い込みそうになったところで、名村さんの顔を見る。今は、折角の再会を楽しもう。そう思って、一旦それは忘れることにした。その後は、近況をお互いに話し合うだけでほとんどの時間を過ごした。
―――「二人とも、気を付けてね」 夕方になって店を出た。名村さんは、夕日ごしにあの人懐こい笑顔を浮かべている。…言える筈がなかった。それらがすべて、私達が原因なのかもしれない、だなんて。「うん。ありがとう。そっちも気を付けて。」名村さんが去っていくのを見送ってから、やや後ろに立つ大和に向き直る。と、大和は何やら店内を気にしている。「どうしたの?」 すると、さっきまで私達がいた店から一人の男性が出て来た。そしてその人は、何故かこちらを見つめてきた。「…やっぱりバレてたのか…。」「…誰?」「名村の兄だ。」言われてから、あぁ!と、まじまじとその顔を見た。…あの時はただの刑事さんだと思ってたから気づかなかったけど、確かにどことなく名村さんに似ている気がする。「改めてこんにちは、瑞穂ちゃん。妹から君のことは聞いているよ。」「…こんにちは。」「…心配するな。あんたの妹をどうこうするつもりはない。」「…わかってるよ。ただ、俺は慎重なんだ。妹に君たちのことを話してしまったのは迂闊だったよ。君にとって、どこまで喋られると不都合なのかわからないからね。だから念のためについてきたんだ。」「あの、本当、心配しないでください。」私が言うと、名村兄だけじゃなく、大和までこちらを見てくる。「こいつ、こう見えてそんな危ない奴じゃないし。そもそも、あり得ないけど、こいつが名村さんに何かしようとしても、私がそうさせませんし。」「…君は、この子の正体を知ってるのかな?」「えっ!?あっ、…あははは…」「…まぁ、君がそう言うなら大丈夫なんだろう。わかった。シスコンも大概にするよ。」そう言ってあっさりと去っていくお兄さん。その背中を見送りながら、…なんか、まずい人に怪しまれてしまった感が拭えなかった。僅かに不安を感じてちらりと大和を見る。無視されるかと思ったその視線は、受け止められた。「悪かった。」「何が?」「…いろいろ、だ。」律儀に詫びを入れてくるとは。大和のこういう部分が、私が「大和を信頼できる」って言える要素になる。「許してあげるよ。」そう言って笑ってやった。