5月上旬


「まさか依頼を受けてくれるとはね…。助かるよ。これまで何人もの殺し屋に依頼してきたが、この件に関しては返事がNOばかりだったもんでね。どうしようかと思っていたところだ。」「それは当然だと思いますが…。いくら報酬が弾むとはいえ、身を危険に晒すようなことは、殺し屋として生き永らえるために誰だって避けたいことだ。なんたってターゲットは、日本に住む、一般家庭で育った普通の女子学生だと言うじゃないですか。あんな、銃も刃物も携帯しづらい国に行くなんてそれ自体避けたいってのに。おまけにその子には、優秀な護衛がついているとか…。他所の国の奴であれば、進んで受けたい仕事だとは言えないでしょうね。」「…やはり、アジア人にはアジア人を、か。」「そうですね。欧米人なんかですと基本的にやはり目立ちますし、同じアジアの者であれば、大分紛れることができるでしょう。先ほどの理由もあって大分条件が厳しいですし。しかし、相手は一人―――ボディガードを含めて、たったの二人だ。すぐにでも始末できるでしょう。」「…期待してるよ。」「任せてください。」
――――学校帰り、いつもの道を大和と二人で歩いていた。「あーぁ、ゴールデンウィーク終わっちゃったなぁー…。なんかだるい…。」「5月病ってやつか。」「それそれ。もうなんもやる気でないなー…。学校休んでどっか遊びいきたいなーねぇ、大和?」「そうか。じゃあテストがどうなってもいいんだな。」その一言で私の動きが止まる。彼女の言うように、5月の中旬には、中間テストが待っている。「そっ…それは…っ」「あー…私もなんか…だるくなってきたな…。5月病かもしれない。人に教える余力なんて残ってないな…。」「ちょっ…ちょっと!そんなこと言わないでよ!あたし大和いないとマジでピンチなんだから!っていうか、5月病とかあんた関係ないじゃん!!」「私は漫画読むのに忙しいんだ。あー、教えたいのは山々なんだがなー、忙しいしなー無理かもなー。」「超棒読み!ちょっと!あたしと漫画、どっちが大切なのよッ!!」「漫画。」「少しは悩めよッ!!!」そう、私が突っ込んだ直後だった。腑抜けてた大和の顔が、急に引き締まった。何か察知したようだ。「…まずいな。」「え?」大和は私の腰に手を回すと、方向はそのままに、少し早足になった。「そのまま歩け、瑞穂。今回は只者じゃないぞ。」「只者じゃないって…そんなのわかるの?」「気配の消し方が上手い。アレは…プロだな。」「プロ!?日本で!?」私のリアクションに対し、ため息をつく大和。「…あのな瑞穂。世の中にはお前の知らない世界ってものが沢山あるんだ。もっと社会を知ることだな。」「馬鹿にしてんの!?」「してる。」
――――前方に人影が見えたため、それを避けるように道を変える。「――…一人じゃなかったか…。」更にその先にも、ふらりと人影が。更にそれを避けるように方向を変える。「…まずいな。」「え?何?」「誘導されてる。」「!」とはいえ、瑞穂を守りながら、この人通りの少ない道の中、前後どちらも逃げ道が絶たれている状態でリスクなど冒せる筈もなく。敵の策略にまんまとハマり、やがて廃墟と化した巨大な研究施設跡地へと誘い込まれてしまった。なんだ、何を企んでいる。「―――…!」瞬時にビジョンが浮かんだ。「瑞穂、走れ!」「う、うん!」咄嗟に瑞穂を庇いながら方向転換をし、建物の方へと走り出す。その直後、先ほどまでの進行方向側から発砲音、そして私達の背後の地面に、銃弾が着弾する音が数発聞こえた。サイレンサー付きか。「えぇっ!?えっ!?うそっ!?」銃!?これ銃声!?若干パニックになる瑞穂。だが、落ち着く暇もなく、今度は背後からも銃声が。それを避けながら、敷地の奥へ奥へと逃げ込んで行く。「…たった二人に、随分な気合の入れようだな…。」頭や腕、足を掠ったらしい。体のあちこちに痛みを感じ、血が滴っていくのを感じた。
――――「…おいおい、今の人間の動きか…?」まるでこちらの動きを知っていたかのような避けっぷりだ。依頼者からは、『たった一人と言えど、護衛には一切の油断禁物である』こと、『攻撃を仕掛けるなら、複数人それぞれが同時に仕掛けた方が望ましい』ことが共有されていた。「(あの指令はこういう訳か…。)」決して甘く見ていた訳ではない。だからこその一斉射撃だった。だがあの護衛、いつ攻撃をされてもいいように逃げ込める障害物や逃走ルートの目星を付けていたし、周囲への警戒も怠らなかった。終いにはあのありえないほどの反応速度。「ただものじゃないな…。」住宅街ばかりのこの地域において、追い込んだ上で、暗殺後の処理も容易そうな敷地はここしか見つからなかった。こちらとしても死角が多い建物のため、本来であればあまり選びたくのない場所であったが…。「でかい報酬を目の前に、仕方がない。」最悪、あの女子高生は見逃してもいいと言われている。こちらとしても、ただの罪のない一般学生を殺すと後々厄介だ。問題はあの護衛…。
――――「えっ…、ちょっと、撃たれてるじゃない…!」建物内部の一室に逃げ込み、一度呼吸を整えているところで、瑞穂が初めて大和の怪我の具合に気が付いた。「最小限のダメージに抑えられるようにはしたから、大したことはない。」「でも…、」「それより瑞穂。」余計なことを考えそうになっている瑞穂に、思考を引き戻すよう誘導する大和。そんな大和に応えるように、瑞穂も視線を返す。「この通り、今回はお前を守りながらの行動はおそらく不可能に近い。」「う、うん。」今は、なぜこの状況に陥っているか、相手は誰なのかを考えている場合ではないことは、瑞穂もこれまでの経験からよくわかっていた。だから、先ほどまでの思考を一度止め、大和の話に素直に耳を傾ける。「だから、お前にも協力してほしい。」『協力』―――大和から初めて言われた言葉に、場違いだろうが、瑞穂は少し胸の沸き立つ感覚がした。「!う、うん!勿論!」瑞穂の返事に、大和は続ける。「取り敢えず―――お前は隠れてろ。」「…は?」『協力』…とは?「ただ隠れてるだけ!?」「隠れてる”だけ”とはなんだ。私が戻るまで、『絶対に敵にバレない』『自分の身は自分で守る』ことが条件だぞ。お前がこれさえクリアして、私が一人で動ける猶予さえくれれば、私は奴らを始末できる。」「始末ったって…、あいつら6人はいたよ!?―――もしかしたら、もっといるかもしれないし…!しかも相手は銃持ってて、あんたは丸腰!!そんなんでいけるわけが――」「これでいける。」そう言う大和が手にしているのは、どこで拾ったのか鉄パイプが。一瞬時が止まる。「高校生の喧嘩じゃないのよッ!!」「…あのな瑞穂。」またしてもさっきのような馬鹿にしたため息をつく。「私があの程度の奴らに負けると思うか?」そう自信満々に笑って見せる大和は、不覚にもかっこいいと思ってしまった。…と、思ったが。「…それ、豊里に借りた少年漫画の決め台詞よね。」「バレたか。」しれっと顔をそむける大和。いい歳して何漫画に影響されてんのこいつ!!「――…ともかく、約束は守れよ。下手こいたらぶん殴るからな。」そんな挑発めいた発言に瑞穂は、自分の頬を叩いて気力を出す。「…上等じゃん!!―――絶対、あんたの足は引っ張らない!!」大和は、瑞穂の意気に目を丸くしたかと思えば、次の瞬間には笑みを浮かべていた。「じゃあ頼むぞ、相棒。」「任せなって!」
――――「(この方向に来ている筈…)」大和と瑞穂を探しに来た覆面の男が2人。2Fの建物の廊下を、銃を構え、周囲を警戒しながら歩いていく。ふいに、音もなく黒い影が一人の背後に近づいていた。「!!」男は咄嗟に銃を構えるが、影―――大和は、認識するよりも素早く懐に潜り込み、男の持つ長い銃身を、所持していた鉄パイプで受け流しつつ、何かを男の腕に突き立てた。その痛みに思わず声が出る。「(ガラスの破片―――…!?)」もう一人の仲間が銃を撃つが、大和はそれを避けながら男の手から離れた銃を奪い、そのまま半回転した後、もう一人の男へ銃を撃ち込む。その間、5秒の出来事。――――「(おいおいおい…ッ!!)」どういうことだ?ふいに片手に銃、片手に鉄パイプを持った女が突然現れ、あっという間に一人のしてしまった。「(何だってんだよ、あの動きは…!!?)」
――――銃声がどんどん遠ざかる音を聞いて、こそこそと移動を始める瑞穂。あまり大和と距離を離してもいけないと、自主的に移動を開始していた。今は外へ出ており、庭のようなところを移動している。あの大和のことだ、おそらく敵と戦っている最中にも、こちらの不幸の予知にも気を配っていることだろう。「(少しでも負担を減らさないと――…)」おそらく、銃の発砲や諸々の音の数からして、既に4、5人はやられていることだろう。大和が移動しているということは、こちら側には敵がいないということ。ならば移動しても問題はない筈だ。「(まさかこんな廃墟で不幸なんて起きる筈が―――)」と思っていた矢先だった。突如轟音と爆音が当たり一帯を響かせた。思わずしゃがみ込んで耳を抑える瑞穂。「…うそ…。」頭上からは、破片や何やらが降り注がんとしていた。「――…おいおい、お前って奴は本当に運が悪いな。」そんな瑞穂の前に、ふらりと影が現れる。「待たせたな。」そう言って笑う大和はどこか嬉しそうだった。その後すぐ、瑞穂を抱えてその場を離脱する大和。安全圏まで逃げた後に先ほどまでいた場所をみると、粉々になった建物の残骸が山のように積み重なっていた。「何か古い薬品かガス管がまだあったんだろう。」そう言いながら瑞穂を下ろす。「怪我はないか。」「いや、こっちの台詞だから!」「こっちはなんともない。なんなら一番最初が一番ヤバかった。」瑞穂に怪我がないことを確認して、またしても満足そうに笑う大和。「偉いぞ。よくやったな。」素直に褒めてくれる大和は貴重だ。頭を少し乱暴に撫でる大和。その様はまさしく―――「…犬?」「よくやった後はちゃんと褒めてやらないとな。」「誰が犬よっ!!!」そんな風にじゃれながら一息ついていた時だ。煙の中から、一人の男がふらりと姿を現した。「…懲りない奴だな。」男は大和の言葉に構わず、銃を構え、即座に引き金を引いた。
――――…あり…ッえない、だろう…!!!俺の手にした銃が放った二つの弾丸は、ターゲットに達する前に、軍服を着た女の手にしていた鉄パイプによって弾かれ、軌道を変えられた。一つは頭上に、一つは地面を、跳弾した。まぐれじゃない。明らかに狙ってやっていた。でなければ、弾丸が二つ同時に弾かれるなど、そんな偶然、あり得ない。それに、女の目は、確実にそれら二つの軌跡を追っていた。…こんな、漫画でしか見たことのないようなことを、この女は今、俺の目の前でやってのけたのだ。体が身震いした。銃は既に弾丸が無い。空になった銃身を捨て、他に手にする物がない男は、ヤケになるようにいよいよ懐から短刀を取り出した。その様子を見て、大和は鉄パイプを手放す。
―――…すごい。私はこれまでも、助けられる過程で、大和の常人離れした動きを沢山見て来たけど、ここまでのものは初めて見た。相手がプロだということもあるのだろう。あんなことも、出来たんだ。とにかく、動きが素早く、柔軟だ。流れるように次の攻撃、次、次って、まるで先が読めてるように動いてる。体に重さなんてないんじゃないかってくらい、軽やかだし、早い。人間にこんな動きができるだろうか。―――…敵の男の人が気の毒になるくらいには、相手が悪すぎた。相手が必死に繰り出すナイフ攻撃も、軽やかにかわした後、あっさりと叩き落として奪ってしまった。更に相手が格闘で挑んでくるが、避けられ、受け流され、やがてはあっという間に組み伏せられてしまった。
――――「…さて、次はどうする?」刃物を突き付けながら、こちらを見下ろす女。射抜くような眼光。直感的に、その目は、人間のそれとは異質に感じた。―――…こいつ。さっきの動きといい、この女、本気じゃない。本気を出していたら、俺はきっと、とっくに殺されていた。殺す理由がないから、殺さないんだ。「今諦めてくれるのなら、お前のことは見逃してやる。」その言葉は驕りでもなんでもない。ただ純然たる事実。そう感じた。「だがそれも…”私は”、という話だが。」彼女がそう言うと、背後から数人現れる気配がした。多くのプロが断った依頼を引き受けるもんじゃないな。…いや、それどころか、興味本位で戦いを挑むんじゃなかったな。自分の迂闊さ、好奇心旺盛な性格を反省しながら、複数の足音に向けて、ゆっくりと両手を上げた。
――――「…大和?」どこかを気にする素振りを見せる大和に声をかけた。「なんでもない。」なんてことなく振り返る大和。別にいつも通りだった。「大和って、やっぱすごいんだ…。」「よくわかったか?」「よぉ~~くわかった。敵には回したくないタイプだと思った。」「ふっ、そうだろ。」ドヤ顔で自信満々だ。意外とそういうところもあるんだ、と思う瑞穂。「…ともかく、無事でよかった。」「お互いにな。」「あはは、そうだね!…でもあの人達、なんだったんだろうね。ヤクザかなんか?」その発言に、瑞穂の見えないところで真剣な表情に変わる大和。「…そうかもな。ヤクザの抗争に巻き込まれたのかもしれないな。」「えぇ~~~っ?また私の不幸~~?」ぐちぐち不満を口にする瑞穂に、後で名村に聞いておく、と添えて置く大和だった。

「依頼者は死んだよ。外国のお偉いさんだとさ。殺し屋に依頼できるような人間だ。自分も命を狙われる立場にあったんだろうな。結局、何故瑞穂ちゃんが狙われたのかわからず仕舞いだ。証拠も何も残っていなかったらしいしな。それどころか、何故外国人のそんな偉い奴が、ただの女子高生を標的になんかしたのか…謎が深まる一方だよ。」「そうか。」「…そうそう。聞いたんだが――…ここ最近、依頼者の傍には、それまで見かけたことのない人物がいたそうだ。」「…」「依頼者が死んだ途端、その人物は行方をくらましたんだと。正体不明で、誰も詳細を知らない。いつの間にか現れて、いつの間にか消えたらしい。」「…」「他にも、知ってどうする、って情報ばかりなんだが…。そいつが現れたのは、一月ごろから、だとか、軍服のようなものを着ていた、だとかな。―――…ちなみになぁ、その依頼者の方だが…普段はかつらで隠してはいたものの、生まれつき、髪が赤いそうだ。」そこまで言ったところで、名村刑事の目が大和を射抜く。「…何が言いたい。」大和の問いかけにしばし沈黙し、彼女の様子を窺う名村刑事。「なに、やけに共通点が多いな、と思ってね。」だがしかし、大和の威勢は変わらない。それどころか、「…なぜそうなのか、よく考えてみることだな。」「!」その答えは名村にとっては予想外のものだった。真っ向から否定する台詞を吐くものだと思っていたからだ。その言い方はまるで…。「あんただからそう言うんだ。私自身の口からは、何も言えない。」何かに気づいてほしい、といわんばかりだ。「…だが、まぁ…多分、お前等の予想が当たることはないだろうがな。」どこか諦めたような口調でそう言った。