あの話をしてから数日後、瑞穂がインフルエンザにかかった。体温計を見ると、『39.3度』の表示が。それを見て豊里と二人、あーあーという顔をした。体温計の奥で、顔を赤くしてだるそうにしている瑞穂の顔が見えた。「うーー…だるぃ…。」 夏だと言うのにマスクに上着。見ていて暑苦しい。ごほごほと咳き込みながらだるい、だるいと呟く。「今の時期にインフルエンザとかどこでもらってきたのよ。」 豊里が呆れたように言う。「馬鹿は風邪引かないって言うがアレは…。」私が続く。「あんたら重病人相手にそれ言う…?」よほど辛いのだろう。いつものキレたツッコミがこない。「もしかしたら、悪夢の一件で免疫が落ちて、その時にどこかでうつされたのかもしれないな。」「…そういえばなんだけど、もしかしてあの悪夢も、結局ゲームとやらに関係あったってこと?」「試練の一つだったんだろうな。」そう聞いて少し目を伏せる瑞穂。「…もしそうなら、神様って随分鬼畜ね…。」「今回のインフルエンザは完全にお前の免疫のせいだがな。」「畜生!!」瑞穂を病院に連れていくことになった。
―――バスで移動することになり、搭乗すると一番後ろの席に座った。瑞穂は私に寄りかかって辛そうにしている。「!」瑞穂に一言断りを入れる。「…悪い。瑞穂、少し待っててくれ。」「うん…。」私はバスが揺れる中、立ち上がって前方に向かって歩く。やがて、バスが停車した。私は運転席付近に立つと、体を出入り口に向けた。バス停には、一人の男が佇んでいる。私服姿だが、おそらく年齢としては学生だろう。フード付きの上着を着て、鞄を携えている。低い、ピーッという電子音を響かせて、バスの扉が開いた。男が動き出すのを見て、私も動き出した。「少年法に甘えるのは関心しないな。何があったか知らないが、真っ当に生きろ。」そう、男の耳元で囁く。男が驚いたように体をビクつかせて後ずさった。そして自分の手元、足元を慌てて確認し出す。私の手元に目をやった瞬間、男は顔を白くした。当然だ。鞄から取り出そうとしていたツールナイフが、いつの間にか目の前の女の手の内にあるんだからな。男は汗だくになると、もつれそうな足でそこから逃げだしてしまった。誰にも見えないようナイフをしまい込んで振り返ると、運転手がぽかんとした顔をしていた。「彼は乗らないようだ。さっさと出してくれ。」それだけ言うと、何事もなかったかのように後ろへ戻り、再び瑞穂の隣に腰を下ろした。「なんかあったの?」 鼻声で聞いてくる瑞穂。この弱弱しさはなかなかのレアだ。「なんでもない。」駅名表示を見ながら答える。病院まで、あと3駅か。
―――その後、無事に病院に到着し、大分待たされてから瑞穂は診察を受けた。「うぅ~~なんでこんなに時間かかるのよ…。」病院の待合室には高齢者が多くいた。「…少子高齢化の弊害だな。」「…ん?何、政治の話…?」ぼやけた頭では瑞穂の質問と私の回答が繋がらなかったらしい。これはいよいよ重症だ。それからまた待たされた後にようやく薬を貰い、さあ帰ろうと、病院を出てバス停に向かって歩いていた時だった。全身に鳥肌が立つような嫌な気配がした。それが漂ってくる方向にすぐさま目をやる。空だ。空から、何かが―――。視線の先に、二機の航空機があるのが確認できる。小型機と、ヘリだ。「(…まさか。)」その直後、その二機が衝突し、この場へ墜落、そして爆発するビジョンが浮かんだ。落下・爆発範囲は広範囲に渡る。すぐさま瑞穂を抱えて、移動しようというところだった。「あ…」 瑞穂が声を出したのに気付いて見やると、私の背後を見て何かを訴えている。振り返ると、ここから距離のある場所に、空を見上げながらぼうっと突っ立っている小さな女の子が。周りに親がいないどころか、その子がその場から逃げ出そうとする気配もない。あの位置―――このまま放っておけば、確実に巻き込まれる。…いや、元々、“巻き込まれる予定だった”子だろう。―――だが、瑞穂を確実に安全だと言える場所へ運んだ後に、女の子を助けに行く時間など残されていない。かと言って、あの子を拾いに行ってから、それから移動する余裕もない。どうする。早く決断し、実行に移さねば、全員死ぬ。―――…どうする。ふと、瑞穂に視線を落とした。不安そうな顔を見ていると、その先の道路上にマンホールが見えた。直後、目まぐるしく頭が回転し出す。条件を確認し、即刻決断をすると、私はその場に瑞穂をおろし、懐から、先程バスジャック未遂犯から奪ったツールナイフを取り出した。何のパーツが入っているかは先程確認済みだ。慣れたような手つきでその中からフック状のパーツを引き出すと、マンホールのへこみに引っかける。―――軽量と言っても、やはりそれなりに重さがあるが、私からしたらなんてことない。腕と腰の負担を上手く分散させながら、蓋を早急にずらす。…開けやすいマンホールで助かった。「先に入ってろ。」 瑞穂の背中に触れてそう告げると、私はすぐにそこを駆けだした。その時。頭上で、激しい衝突音が聞こえた。急がねばならない。周りに誰もいないのを確認すると、依然呆けている少女を拾い上げ、踵を返して再び瑞穂のいるところへと向かう。元の位置へたどり着くと、瑞穂は既に穴の中に体を収めていた。瑞穂が差し出す腕に、放心状態の少女を渡す。受け取った瑞穂の顔が青ざめている。おそらく、彼女の目には、今まさに落ちんとする機体が映っていることだろう。瑞穂は、少女をしっかり抱き留めると、私の入るスペースを作るため、がくがくと震えながら重い体を無理やり動かして降りようとする。…だが、間に合わない。私が入れたとしても、まだ作業が残っている。その合間に墜落したら。私は移動すると、蓋を閉める作業に取り掛かった。下にいる瑞穂が、まさかという顔をする。「大和ッ!!!」 蓋を動かしながら告げる。安心させるよう、余裕だと言った風な口調で。「大丈夫だ。」私は、泣きそうな顔をした瑞穂をそこに置いて、蓋を完全に閉じた。そしてすぐさま、体勢を変えようとした―――が、激しい爆風が、体を押し寄せて来た。
―――すさまじい音が蓋を隔てて聞こえてくる。梯子を掴み、体を縮こませてその衝撃に耐える。―――大和はああ言ってたけど、機体はもう寸前まで迫っていた。轟音が鳴り響く中、私はふと思った。大和は、人間じゃないと言うのなら、どこまでが人間なんだろう。丈夫なさまは今まで何度も見てきたけど、実のところ、どこまで耐えられるんだろう?今のアレ。大和は、耐えられるの?急に不安が押し寄せてきた。音がやんで蓋を開けようとするが、びくともしない。体はだるいし、蓋が重すぎて全然動かない。かと言って、大和が開けに来てくれる気配もない。段々不安になって、涙目になってくる。「誰か!!だれか…っはやく、あけてっ!!」 どんどんと蓋を叩くが来ない。―――だるいとか、何とか言ってられない。早く大和のところに行かなきゃ…!そう思ってもう一度蓋に力を込める。ここぞという時の馬鹿力だ、とでも言うように、全身全霊の力を込めて蓋開けようと試みる。やがて蓋が若干持ち上がったので、少しずつ、少しずつ、時間をかけてずらすことで開けることができた。腕は痛いし、体力がなくなって息が上がってる。汗だくになりながら少し休憩して、重い体を持ち上げてようやく脱出した。「ちょっと待っててね。」まだ地上は危険かもしれない。下で不安そうにしている女の子に声をかけ、一先ず私だけ地上へ上がった。―――少し離れた場所に、機体が二つ転がっている。それぞれまだ火が燃えあがっており、辺りは煙が充満していた。周辺にはバラバラになった部品が散乱している。ぱっと見たところ、大和は見当たらない。「(…どこ…?)」不安が加速し、あたりを必死になって見回す。すると、「!」見ていたのとは逆方向に目を向けた時だった。「…お前、よく出られたな。」頭上に大和が現れた。よかった、無事だ――と思いながら、振り返ったのも束の間。…爆風に巻き込まれたのだろう、大和は、顔も体もボロボロで煤やほこりやらで汚れていて、あちこちから血が流れていた。腕には酷い切り傷が。
――――辺りに目を配るが、人影は見当たらない。こいつ、こんな状態でよくあの蓋を開けたな。ともあれ、無事なようで良かった。でも、さっさと逃げた方が。そんなことを考えていたら、瑞穂が突如、私に突進して胸倉を掴み上げ――ようとしたが、高熱のせいかバランスを崩し、二人してもつれて倒れこんだ。「瑞穂…、」何事かと、起き上がろうとする私の胸倉を離さないまま、そのまま馬乗りになると瑞穂は体を揺さぶってきた。「馬ッッ鹿じゃないのッ!!?」そう怒鳴りこむ瑞穂の顔は、くしゃくしゃになっていた。熱のせいだろうか。涙腺が緩みっぱなしだ。「また…っ、そうやって…あんたは…っ!!―――…っわたしが…あんたにしんでほしくないって、思ってるとは…考えなかったの…?」「!」熱は39度も出ている。意識は虚ろだろう、体はだるいだろう、起き上がってるだけでも辛いだろう。それでも瑞穂は、息も絶え絶えになりながら、自分に思いを伝えようと必死に言葉を紡ぐ。…自らを犠牲に、瑞穂を守ろうとしたことが許せなかったのだろう。先日の話と、私の身を案じる発言。瑞穂の気持ちは、痛いほど私にも伝わっている。「…心配させて悪かったな。でも、マンホール上はちょうど直撃が免れる場所で―――」説明しようとしたが、瑞穂の耳には入っていないようだった。握る手は震えていた。「いつもそうだよ…!大和は、自分のこと、考えてなさすぎだよ…ッ!!わ…っ、たしのこと、ばっかりで…っ、…っもっと、ちゃんと…ッあんた自身のことも考えてよ…ッ!!!」瑞穂の涙が、ぱたぱたと私の顔に振ってきた。「…!」それは紛れもなく、私に対する思いやりだった。「あんたが私のことを大切にしてくれてるのは知ってる。あんたの役割も…、私も、自分の役割も…わかってる…。でも、そういうの関係なく、…っ大和には、生きててほしいって…っ、自分を、大切にしてほしいって…っ、―――…、…っ私も、大和がいなきゃ嫌だってことも…っ、わかってよ…っ」そう言って私の胸に顔を埋める瑞穂。「ばかだよ…ほんと、やまとの、ばか」熱のせいか、瑞穂はそこまで言うと気を失うように眠った。その様子に、力が抜けるように仰向けになった。片手で瑞穂の頭を撫でる。―――これまでの出来事―――通り魔の件から空き巣の件や、瑞穂が名村妹から庇ってくれたこと、強風事件でも泣いていたことを思い出す。瑞穂が、自分を信頼してるに飽き足らず、一人の人間として大切に思っていてくれていることが改めてよくわかった。その気持ちは、純粋に嬉しく思う。ゲーム内限りの存在である、しかも人間ではない自分のことなんて、瑞穂に言われるまでは考えもしなかった。自分に頓着することのなかった私が、初めて意識をした。「(…でも、)」それでも私の中の考えは変わらない。瑞穂には悪いが、もし万が一自分が犠牲になろうとも…私は瑞穂の命を最優先にするだろう。…何故なら、瑞穂が、私を想ってくれて…、いろんな人間達と繋がりをくれて、楽しい時間や経験を共有してくれて―――…。…私には、もうそれだけで十分なんだ。修学旅行も、家族旅行も、陽葉や清香達との買い物も、なんてことない日常も、全部が私にとっては大切で、楽しい。私はもう、身に余るくらい十分に「幸せ」とやらは貰っている。どうせ、長くても1年の命であることに変わりはない。それならば、私はその中で自分がやりたいことをやるだけだ。だからこそ、私は瑞穂を守りたいし、信頼に応えたいと思う。私は、私の自己満足のために、お前を守るんだよ。だから、
そう思って自分の胸元で寝息を立てる瑞穂を見る。…だが、『気にするな』なんて言っても、聞かないのは承知の上だ。――願うことなら、寝て起きた時にはこのことを水に流してくれるとありがたいんだが…。そう思ってまた瑞穂の頭を撫でた。そんな私と瑞穂の元に、人々が駆けつけてくるのが見えた。
その日の夜。意識が戻り、冷静になった瑞穂が謝罪してきた。「…ごめん。あそこは、怒る場面じゃなかった。私の安全を考えての判断だったのに…。頭に熱が上がって…どうかしてた。」「いや。…お前の気持ちは、嬉しかった。」「!」「だが、お前の方こそもっと自分のことを考えるべきだ。」「…それ、あんたにだけは言われたくない。…ていうか、…ごめん。私、どこまで何を言ったの?なんか…記憶が曖昧で…」「…教えない。」「なんでよっ!」笑ってその先のことは言わなかった。