9月上旬


「もうーーーッ!!9月だっていうのに暑くない!?」「温暖化だからな。」瑞穂と大和は、都市部まで電車で買い物に来ていた。「代表者の何が嫌ってこの髪よ!!真夏の暑いじめ~っとした時期でもこの髪と付き合わなきゃいけないの!!」「確かに7、8月も大分苦戦してたな。」「目立たせるのはまだしも、この長さいらなくない!?」「まぁ確かに…他の代表者はそこまでの長髪はなかなかいないだろうな。」会話していても、どこか上の空な大和。証拠に、会話にいつもの軽快さが無く、冗談を交えてくる様子もない。人混みに警戒しているからだろうか。表情もどこか硬い。「――…ごめんね、何もこんな日じゃなくてもよかったかもね。」そんな瑞穂の発言に、どこか申し訳なさそうな大和。「いや…仕方ないだろう。休日はどこも混んでる。」いつぞやもこんな感じのやり取りがあった。瑞穂もどことなく感じていた。…最近、大和の様子が変だ。―――電車での移動後、駅のホームに降り立とうとした時だった。背後から何者かが近づき、瑞穂に何かを仕掛けようとする男が。大和はその腕を掴んで捻り上げた。―――…注射器…?それを手にする男は、何やら瑞穂と同じくらいの歳の男だった。大和は男が持っていたそれを取り上げた直後、男はもの凄い力で大和の手を振り払う。大和は、咄嗟にもう一度捕まえようと手を伸ばすが、人の波に阻まれ、男は雑踏の中に消えて行った。「どうしたの?」瑞穂の呼びかけに、手にしていた注射器を隠す大和。「なんでもない。」
――――「…中身は、青酸カリらしい。」「…!」後日、名村兄に成分分析を依頼した。あの時の男の様子を思い出す。「…明らかに、瑞穂を狙っていたように思う。」男は迷うことなく一直線に瑞穂を狙って来ていたように思えた。「…瑞穂ちゃんはただでさえ目立つ。たまたま標的になった可能性もなくはない。」「…それはそうだが…。」「…確かに、例の殺し屋みたいに依頼されて、というのもあり得なくはないけどな。俺も少し調べてみるよ。」「…頼む。――そういえば、あっちの方はどうだ。」大和の質問に頭を撫でつける名村兄。「あー…正直言って、不調だ。」「…なんなら、私が直接話したっていいし、身体検査を受けてもいい。」「…それは俺も考えたんだが…、どうにもな…。」困ったようにぼりぼりと頭をかく。…わかっていた。警察の連中を説得して、味方につけるなんてことが難しいということくらい。だが、もしもそれが可能なら、と思い、藁にも縋る思いで名村へ依頼した。名村も何とかしようと動いてはくれているのだろうが…。名村兄の反応から、どこか諦観の気持ちが芽生える大和。「…ただ、もし今回の犯行が本当に『誰かに意図的に狙われて』のものかもしれないとなれば、警察の動きも少しは変わってくると思うんだがな。」そう言われて、あの時腕を離してしまったことが悔やまれた。「まぁ、取りあえず俺ももう少し努力してみるよ。」「…悪いな。」「いや、こっちの台詞だよ。」
――――「どうだった?」公園の、少し離れたところで待機していた瑞穂。「…今のところ、他の代表者の情報はあまり掴めてないようだ。」「ふーん…。」「瑞穂、」「ん?」「今後、暫くは人混みは避けよう。」「え、…あ、うん。そうだね。」こちらの目を見もせず、いつものように説明無しで提案のみをしてくる大和に、違和感を抱きながらも瑞穂は返事をした。「…そういえば、」そう言いかけて大和が突然立ち止まる。「最近学校はどうだ。」そこには、いつもの世間話をするような柔和な笑顔などなく、真剣な表情の中、探るような意図が込められているように見えた。「どうって…、別にいつも通りだけど?」きょとんとした顔で答える瑞穂。瑞穂の表情を確認すると、「…そうか。」と言い、大和は再び歩き出した。並んで歩く横で、視線を感じてちらりと横目に見る瑞穂。そこでは、通り過ぎる学生が、自分達を見て何やらひそひそと話しているように見えた。瑞穂は、それに気づかないフリをして、そのまま大和についていくように歩みを進めた。
――――それから数日後。学校帰りの夕方のことだった。人気のない住宅地を大和と瑞穂が歩いていた時のこと。前方から、大型の車が現れたかと思えば、二人の目の前で停車し、その中から複数人の覆面を被った男達が4人飛び出してきた。大和はその男達を、瑞穂に触れさせることなく、いとも簡単にあっさりとねじ伏せた。「…誰に頼まれた。」男を組み伏せながら問う大和の声色は、いつもより低かった。
――――「闇バイト…?」「あぁ。今あるだろ、ネットで高額報酬を条件に、リスクの高い単発バイトを依頼するやつが。」「…やはり、依頼者がいるということか。」「残念ながら特定には至れていない。どうやら指示役は、海外の複数のサーバを経由して指示を送っているようだ。」「…この前から、たった数日だぞ。」「…あぁ。確かにこの前のも、闇バイトと見ていいかもしれないな。」「そうじゃない。」名村を見る大和の目は、どこか責めるような目線が含まれていた。「…気持ちはわかるが、焦るなよ。」「!」「俺だってわかってる。…ネット上の噂が加熱してきてることもな。」「…!」近頃ネット上では、『先天性毛髪異常症』の人間と、その周囲にいる『軍服の人間』について様々な憶測が飛び交っていた。おそらくどこかの国の代表者が発信した内容や周りの人間が噂した内容が、人に伝播する内にねじ曲がって伝わったのだろう情報もあった。何か組織的な企みがあるだの、陰謀だの、先天的にウイルスを持っているだの、神の遣いだ、不幸を呼ぶ悪魔だ、死神だ、亡霊だ、生贄だ――――…その内容は実に様々だ。「…瑞穂ちゃんの様子はどうだい。」「…見たところ、特に問題ないように思うが…実のところは私にもわからない。」「…そうか。まぁ、何かあったらすぐに言ってくれ。」そう言って大和の肩をぽんと叩く。「確かに俺も非力で申し訳ないが―――今回の件で、いくらか警察は動かせると思う。…それから、あまり根を詰めるなよ。君が潰れたら元も子もない。…あの子が頼れるのは、君なんだからな。」「…!」「とにかく、あまり考えすぎないことだな。」そう言って再びぽんぽんと肩を叩くと、名村兄はそのまま立ち去った。
――――大和が瑞穂の元へ戻る時、待機していた瑞穂の視線がどこかに向いていることに気づいた。「!」そこには、男女が瑞穂を見ながら何かを離しているような様子が。思わず大和はその男女を睨みつける。それに気づいたのか、二人はバツの悪そうな顔をして、慌ててその場を立ち去った。「…アレでしょ?ネットの噂。」その様子を見ていたのだろう、瑞穂が大和の元へ歩み寄りながら呟く。その発言に驚く大和。「…!知ってたのか。」「そりゃあね。あんだけ見られてたら気づくわよ。でも、目立ってきたのは8月くらいからかな?」そう言う瑞穂は淡々としていて、悲しんでいるでも、怒っている様子でもない。「まぁ、この髪のせいで昔から色々言われてきたし。私にとっては今更よ。」なんてことなく、あっけらかんと答える瑞穂。「…」言われてみれば、瑞穂はこの髪とは幼いころからの付き合いだ。特に幼少期は周りから言われるだろうことは想像に難くなかった。「先天性なんちゃら~なんて、名前が付くまでは好き放題言われたもんよ。」あはは!と豪快に笑う。「だから大和も気にしないのっ!…気持ちは、嬉しいけどね。」優しい笑みを浮かべてそう言うが、その直後少ししょげたように言う。「…寧ろごめんね。なんか…余計なストレス与えさせてたみたいで。最近様子が変だったのはそのせいだったのね。」「…余計なわけないだろ。」「…え?」「そんなものに慣れる必要もない。」そう言う大和は少し怒っているようだった。自分達と少し違うからというだけで、何故そんな奇異の目にさらされなければならないのか。「あははっ!ありがと!――でも、別にそんな実害ないし!あんたがいてくれるから、私は心強いのよ。」そう言って大和の頭を撫でる瑞穂。されるがままの大和。これではまるで、いつもと逆だ。瑞穂にとっては、大和という味方がいてくれるだけで十分だった。「学校のことも心配無用!私には、陽葉と清香がいてくれるし、味方になってくれるクラスの子もいるから、全然大丈夫!」「!」まるで大和が危惧していることを見透かしているかのような台詞だった。瑞穂は大和から手を離すと、大げさにふざけて見せる。「まぁ私?不幸の女神とか、死神だなんて言われてるし?最悪脅せばなんとかなるわよ!」「…お前、なんか変わったな。」瑞穂に撫でられた髪を直しながら、ジトっとした目で突っ込む大和。その様子は、“いつもの大和”だった。「ま、メンタル強くなきゃここまでやってこれないってことよ。これが本来の私!」「なんというか…環境適応力が高いというか…。」「ふふ、ありがと!…って、褒めてる?」「神経が図太いというか…。」「あ、これ褒めてないな。馬鹿にしてるな。」いつものようにふざけた後、瑞穂が急に本題に入る。「それで?名村さんとの話は何?」「――…」瑞穂からの問いかけに、言葉が詰まる大和。嘘を言うか、はぐらかすか、と思ったが。真っ直ぐと大和の目を見て“逃がさない”とでも言いたげな彼女の目線にどきりとする。真摯に向き合おうとしている今の彼女に対して、『子供だから』等という理由でその二つの選択肢をとるのは失礼かと思った。「…最近、お前を狙う輩がいるのは察してるな。」「昨日のとか?」「そうだ。」「やっぱりアレ、私のこと狙ってたの?」「…そのようだ。高額バイトで依頼されたらしい。」「あぁ!今はやりの闇バイトってやつ!」「あぁ。事が事だしな。おそらくその内、警察がパトロールについてくれるかと思う。」「へぇ!」そしたら大和の負担もちょっとは減るのかな、なんて言う瑞穂。そんなことを話していた時だった。
「あなた達ね!?」二人の背後から、中年らしき女性の声が。二人して振り返ると、突如小柄な女性が詰め寄ってきた。「あなたのせいで神がお怒りなのよ!?」「…はぁ?」思わず素っ頓狂な声を上げる瑞穂。「軍服のこの子があなたの監視役で、あなたが悪いことを重ねれば、人類に鉄槌が下るんでしょう!?」「はあぁッ!?何それ!?それは初めて聞いた!!」どうやらネット上の噂を信じたオカルトマニアだか宗教の信者だからしい。「(いっ…、いやいやいや、何言ってんのこのオバサン。よりによってなんでその噂信じるの!?)」あまりにおかしな噂を信じるものだから、瑞穂も思わず笑ってしまいそうになる。大きな声で怒鳴り続けるオバサンに、ちらりと横の大和の顔を伺う瑞穂。「(あつ、やばい!大和がイライラしてる…!)」見るからにイライラしだす大和に、血の気が引く瑞穂。暴力を振るってきている訳では無いので手を出せないのが余計に腹立たしいのだろう。「(折角大和が元に戻ったのにこのオバサン…ッ!!)」いつまでも止まない罵倒に、流石の瑞穂もイライラとしてくる。周りに人だかりもできている。面白そうに眺めるもの、怖い者でも見るように引いているもの、無関心といった風に通り過ぎる者。様々だ。だが、その誰も助けようとはしてくれない。…あーぁ、大和にこんなもの見せたくなかったんだけど。人間の汚い部分、悪いところ。大和には人間の綺麗なところだけ見て育ってほしい。…なんて、まるで母のようなことを想いながら心の中で笑う。だって大和は、生まれて半年ちょっとの、純粋な気持ちを持つ子なんだから。やがて騒ぎを聞きつけた警察官が駆け付け、なんとかオバサンを引きはがしてくれた。
「…大和?」「…」「やーまと、」「…あぁ、悪い。なんだ?」遅れて瑞穂の呼びかけに気づく。何か考え込んでいるようだった大和。「…あのね、人間でもあんなの少数だからね。気にしなくたっていいのよ。」「…あぁ。」返事はするが、本当に聞いているのか聞いていないのか、どこか上の空の大和。「(…あぁ、なんかこれは…)」おそらくよろしくない状況だと瑞穂は察した。大和の人間に関する見解、現在の心境に至った経緯を聞いたのを思い出す。その時思った。―――大和は、純粋なんだと。純粋が故に、危なっかしい。大和の様子に、何か嫌な予感がしている瑞穂だった。

その日の夜。ベランダで考え事をしている大和の姿があった。「(今日のこと…おそらくこの日本だからこそ、ああいった人間は少数派だろうが…。)」他の国ではどうだろう?いざ、ああいった人物を目の当たりにして、想定や、話で聞くだけの“そういう人種の人間”が実在することをまざまざと見せつけられた。例えばまじないや呪術なんてものが存在するような地域、宗教観の強い地域での代表者や守護者達を想う。もしかしたら、あのような人々に責められ、命を落とした者もいたかもしれない。魔女だなんだと祭り上げられ、処刑されるような者もいたかもしれない。悪魔だ死神だと、迫害されているものもいるかもしれない。現代にそんな、と言えるのは日本に限った話で―――「(…いや、)」あながち日本もそう馬鹿にできない日が来るかもしれない。今日の出来事は、小さいことだが大和の中に大きなしこりを生んだ。彼女が瑞穂や自分達に向けたのは、『明確な敵意』だった。大和はため息をつきながら、髪をかき上げた。夜空を見上げるが、曇っているのか星一つ見えやしない。「…」それはまるで、先行きに対する不安を抱える、大和の心情を表しているようだった。